私の好きなポルシェ、といったら何をおいてもこの917。
1969年の日本グランプリにタキ・レーシングからエントリーされました。
917には色々なバリエーションがあって、ルマンなどの高速コースを走るためのロングボディ(917LH)やスポーツカー選手権に出走したショートボディ(917K)、またCan-Am仕様のオープンボディのものもあります。
これらの原型になったクローズドボディの917は排気量約4.5リッター520馬力の水平対向12気筒エンジンを積んモンスターマシンです。
私の大好きだったジョー・シファートがドライブする(相棒はデイヴィッド・パイパー)ということでトヨタ7の活躍とともに楽しみにしていましたが...。
F1(アメリカGP)とCan-Am(第10戦ラグナ・セカ)の間のわずかな期間(何と滞在は3日間)という厳しいスケジュールの中での来日で走行練習する時間も満足に無く、また主催するJAFが917の可変スポイラーの使用をを認めず(前年のニッサン381のスポイラーはどうなんだ?)、厳しいハンデを背負っての戦いでした。
それでも当時の映像(YouTubeにアップされています!)を見ると、トヨタ7やニッサン382などよりも一段と低いスタイルのポルシェ917が這うように(というかすべるように)富士のコースを駆けていく姿はまさに“怪鳥”と呼ぶにふさわしい姿です。
※「“怪鳥”といったらシャパラルだ」と主張される方もいらっしゃるでしょうが、ここは抑えて抑えて。
予選で7位になり、本番のレースでは序盤一時はトップに立ったもののライバルマシンのオイルをかぶってピットストップを繰り返し、またタイヤのバーストなどがあって順位を下げてしまい、結局総合6位の結果に終わってしまったカーナンバー14のポルシェ917。
それでも私にとって忘れられない1台です。
ちなみに、ドライバーのジョー・シファートは翌々年の71年、F1レース中に事故死し、デイヴィッド・パイパーは70年に映画「栄光のル・マン」撮影中の事故で片足切断の重傷を負っています。
※写真のミニカーはEBBRO製、1/43スケール。
1969年の日本グランプリにタキ・レーシングからエントリーされました。
917には色々なバリエーションがあって、ルマンなどの高速コースを走るためのロングボディ(917LH)やスポーツカー選手権に出走したショートボディ(917K)、またCan-Am仕様のオープンボディのものもあります。
これらの原型になったクローズドボディの917は排気量約4.5リッター520馬力の水平対向12気筒エンジンを積んモンスターマシンです。
私の大好きだったジョー・シファートがドライブする(相棒はデイヴィッド・パイパー)ということでトヨタ7の活躍とともに楽しみにしていましたが...。
F1(アメリカGP)とCan-Am(第10戦ラグナ・セカ)の間のわずかな期間(何と滞在は3日間)という厳しいスケジュールの中での来日で走行練習する時間も満足に無く、また主催するJAFが917の可変スポイラーの使用をを認めず(前年のニッサン381のスポイラーはどうなんだ?)、厳しいハンデを背負っての戦いでした。
それでも当時の映像(YouTubeにアップされています!)を見ると、トヨタ7やニッサン382などよりも一段と低いスタイルのポルシェ917が這うように(というかすべるように)富士のコースを駆けていく姿はまさに“怪鳥”と呼ぶにふさわしい姿です。
※「“怪鳥”といったらシャパラルだ」と主張される方もいらっしゃるでしょうが、ここは抑えて抑えて。
予選で7位になり、本番のレースでは序盤一時はトップに立ったもののライバルマシンのオイルをかぶってピットストップを繰り返し、またタイヤのバーストなどがあって順位を下げてしまい、結局総合6位の結果に終わってしまったカーナンバー14のポルシェ917。
それでも私にとって忘れられない1台です。
ちなみに、ドライバーのジョー・シファートは翌々年の71年、F1レース中に事故死し、デイヴィッド・パイパーは70年に映画「栄光のル・マン」撮影中の事故で片足切断の重傷を負っています。
※写真のミニカーはEBBRO製、1/43スケール。
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