五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

再びガルフカラーのミラージュ

2016年06月15日 | ミニカー
ガルフカラーのミニカーが好きで、以前から何度かこのブログに登場させてきました。
代表格でもある1970年代のミラージュというレースカーについては、下記のブログで取り上げました。

 → ミラージュ(2014年2月)
 → 1977年のミラージュ(2015年6月)

で、このときにはまだ持っていなかったミラージュについて、今回取り上げます。

まずは1973年にル・マンを走ったミラージュM6、1969年以来、4年ぶりの参戦でした。
オイルメーカーのガルフオイルがスポンサーになり、F1用のフォード製エンジンを積んでいました。
ドライバーは8号車がデレク・ベルとハウデン・ガンレイ、9号車はF1ドライバーのジョン・ワトソン、マイク・ヘイルウッド、ヴァン・シュパンの3名でした。


予選は8号車が8位、9号車が9位と、カーナンバーそのまま。
しかし、決勝レースでは両車ともリタイヤしてしまいます。

8号車は、序盤でギヤボックスのトラブルで4時間もの修理を行い、その後レースに復帰しましたがオイル漏れを起こし、エンジンが焼き付いてしまったのです。
一方9号車は、深夜コースアウトしてしまい、わずか112周しただけで戦列から離れざるを得ませんでした。


ミラージュM6は、風洞実験で空力を徹底的にテストされたデザインだそうですから、重心の低いかっこいい姿をしています。


さて、翌1974年。
この年はマトラが三連覇を成し遂げた年であり、ミラージュGR7は苦しい戦いを強いられました。
ドライバーは11号車がデレク・ベルとマイク・ヘイルウッド、12号車がヴァン・シュパンとレイネ・ウィセルの二人でした。


予選は11号車が4位、12号車は3位と、優勝候補のマトラに次いで良い位置に付けました。

迎えた決勝レース、今回は期待されたミラージュでしたが、まず12号車がわずか49周でリタイヤしてしまいます。
原因はドライブシャフトの破損でした。

残る11号車も同じトラブルに見舞われましたが、ピットストップのたびにグリスを注入するなどの涙ぐましい対応を行い、結局首位から20周遅れの4位でフィニッシュしたのでした。


1974年版のGR7は、リアウィングもポリスチレンフォームにマグネシウムコーティングを施すなど前年のM6から徹底的な軽量化を行いました。
残念ながら、それでも優勝したマトラよりも40キログラムも重かったのだそうです。
私はこのデザイン、結構好きです。

下の写真は、11号車の運転席の中を撮影したもの。
サルテ・サーキットのコース図が描かれたものが内部に貼ってありました。
なんて細かいこと。
でも、ドライバーはこの地図を運転中に見たのでしょうか?


ミラージュは翌1975年、新しいGR8で念願の優勝を飾ります。
が、その時のことは、すでにブログに書きましたので今回は省略します。
ちなみに、この1975年までがガルフカラーのミラージュでした。


ガルフオイル自体は今でもWECやスーパーGTなど、モータースポーツへの協賛を続けています。
最近、別のガルフカラーのクルマを見つけましたので、この機会にご紹介しておきます。
ちなみに、ミラージュとは何の関係もありませんが、フォードのV8エンジンを積んでいるというのも何かの縁かもしれません。

2006年のル・マンに出場したクラージュC65というクルマです。
ん、少し名前も似ているような...。

クラージュはフランスの老舗シャシー・コンストラクターです。
C65は私が集めているLMP1というクラスではなく、その下のLMP2というひとつ下のカテゴリーのクルマです。
本来は収集対象ではないのですが、ガルフカラーを身にまとっているので、オークションに出品されているのを見て素通りできませんでした。


このC65はポール・ベルモンドというフランスのチームからエントリーされた2台のうちの1台です。
どこかで聞いたような名前だなと思ったら、あのフランスの映画スター、ジャン=ポール・ベルモンドさんのご子息だそうです。
ご自身も俳優であり、また元F1ドライバーでもあり、現在はチーム・オーナーなのかな。
私よりも9歳年下のようですね。


プライベートチームのクルマなので、よく見かけるものと若干デザインが異なりますが、水色にオレンジ色を基調とするガルフカラーは、かなり目立ちます。

ル・マンでは今でも毎年ガルフカラーのクルマが走ります。
私のコレクションも、この先何台増えていくのでしょうか。


※今回のモデルはすべてスパーク製、1/43スケール。