ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

夫婦同姓は桎梏なのか

2024年03月22日 | 日記

                 モクレン

 毎日新聞が報ずるところによると「婚姻時に夫婦が同姓か別姓かを選べる「選択的夫婦別姓制度」の法制化や議論の活性化を国に求める意見書について、香川県内の全議会(県議会と17市町議会)での可決が19日、実現した」とのこと。夫婦別姓を求める動きは以前からあって、国会や裁判所でも審議審査された経緯があるようだ。

 ところで私が疎いのか、現在の夫婦同姓にどんな問題があるのか、まったく実感がないのである。結婚しても姓を変えたくないという人はいるだろう。ならば変えずにいればいい。職場なのでは旧姓のままに過ごしていて、なんら問題もないはずだ。罰則もない。ただ、給与明細や、公式の場、たとえば選挙権、健康保険証などは旧姓のままという訳にはいかない。法的な権利関係が及ぶからである。でも私たちは法的に日々の生活を送っているわけではないから、普段の生活上では、姓の選択は自由だ。姓というのは、ペンネームのようなものだと思えばいい。

 昔は夫婦別姓のことより、姓の変更のほうが問題だった。金とか朴とか、苗字を変えないと韓国人だと思われるので、姓を変えないと結婚できない、などの話は現実に存在したのである。

 法制の問題として、これを扱うとすれば国籍と関わりが出てくるので、簡単ではない。戸籍などいらないというのなら、話は簡単だ。アメリカなど多くの国では国籍のみで、戸籍はない。そしてなんら問題も起こらない。日本も江戸時代までは戸籍はなかった。戸籍らしきものは各地の寺社が保管していた。封建時代は人よりも土地が統治の基準だったからだ。だから苗字がなく「どこそこの誰べえ」で所在が確認された。

 今は各人が家族を単位とした戸籍を持ち、それを国籍として登録しているのである。だから夫婦別姓は家族法と関連してくる。日本では、なぜ戸籍が発生しコミュニティを維持する基本となるのか、改正を主張する人たちは、まず家族法のどこがどのように問題なのか論じてほしい。そして将来の家族はどうあるべきか展開してほしい。単に別姓がほしいというのなら、今のままで、別姓で生活したら良いのではないか。【彬】

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