オリンピックの色は実は6色である。白が加わるのだ。
私の知り合いでオリンピックに連続3回出場したアスリートがいる。その人は、とくかくオリンピックというのは特別だ、という。名だたる世界のビックイベントに出場し、何度も優勝経験のある名選手の体験である。
オリンピックというのは、競技以上にアスリートの心を掻き立てる何かがあるのだろう。
おそらくその特別な感情というのは、競技としてのレベルの問題ではなく、国を代表する選手が一堂に際会し、競技を展覧するという特別なイベント性に由来しているのではないかと想像できる。それは、別言すればオリンピックの政治性だ。だから、かつての例でいえば、ミュンヘンでのアラブ過激派のテロ、モスクワでの西側国家のボイコットなどがあった。
スポーツに政治を関与させないというのは、いわば国際協約のようなもの。しかし、これを政治の場にする意図があればこんな絶好な舞台はない。開催場所の決め方、開催時期をめぐる調整、費用の負担の問題など、これも政治が関与する一翼である。
2020は東京に決まった。そうした中で私が思うに、少なくとも次の2点を実現してもらいたい。
①表彰式についてはオリンピック歌を作曲してそれを演奏したい。国歌はなくしたい。②また出場選手には大会組織委員会から補助金を出すべきである。スポーツをするには、お金がかかる。小さな國から参加費を捻出するのは大変なのだ。だから、優秀な選手はみなアメリカなど、強大国に移籍してしまうのである。この2点が、スポーツの世界から政治的な関与を排除する最低の条件のように思うのである。
日本は成績はともかくスポーツ大国である。子供から老人まで、また階層を問わず、スポーツを楽しめる環境にある。スポーツを人種や国家、階層を越える人間の共通な楽しみ、つまり国家のスポーツではなく、都市のスポーツとしての理想に向けた開催にぜひ進めて欲しいものだ。が……無理だろうね。【彬】