はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

雅子さまの涙

2019年11月11日 | 雑感

2019/11/10

 

雅子さまの涙を見て、感受性の強い方なんだなと思った。

以前から、ふとしたしぐさに感受性が見てとれた。つまり、公衆の前では内面を見せぬ教育を受けた、以前の天皇ご夫妻と違い、内面が垣間見える。それは、私たちと同じである。普段当たり前に生きていると表に出てくる行動である。

その感受性の強さゆえ、適応障害といわれる症状が出たのかもしれない。皇室のしきたりに、少なからぬ違和感を抱かれたのだと思う。

少女時代から欧米で暮らし、欧米の合理的な考えを身につけた雅子さまには、理解不可能なしきたり、かつ、それに従うのに合理的な理由を見出せないことがたくさんあったに違いない。

「人格否定発言」というのがありましたよね。

これは皇太子さま自らが記者会見でおっしゃった。皇室の方々は自分の考えをおっしゃらない。話す機会が与えられていない、といったほうがいいかもしれない。皇太子さまがそれをあえておっしゃったのは、よほどのことだったのだと思う。

皇室に生まれたということは、職業も、住まいも自分で選ぶことはできない。「国民の象徴」という言い方で生涯にわたる重い責任を負わされている。そして、雅子さまは固辞しながらも、皇太子さまの気持ちを受け入れて皇室に嫁がれた。

天皇が「国民の象徴」ということは、主権は国民にある。しかし、最近の安倍政権は必要以上に天皇に権威を持たせ、その権威を政治に利用しようとしているように思われる。昔の武家政権と同じ。政教分離のはずが、政治のほうが介入しすぎていると感じられる。それは皇室の望むところではないだろう。

出席者たちの「天皇陛下万歳!」は気持ちが悪かった。

私は皇室礼賛でも、排斥論者でもない。しかし「天皇陛下万歳」は、戦争中の言葉。敵地に突っ込んで死んでゆく日本の兵士が言わされた言葉のイメージが強すぎる。戦後生まれの私でさえ、あの言葉にはそんなイメージを持っている。何度も繰り返される「天皇陛下万歳」には、時代錯誤的な違和感を感じた。今はそのような時代ではない。

 

嵐が歌った「天皇陛下御即位奉祝曲」について

歌詞が載っていたので、コピーしておきます。

君が笑えば 世界は輝く
誰かの幸せが 今を照らす
僕らのよろこびよ 君に届け

はじめはどこかの 岩かげにしたたり
落ちたひとしずくの 水が平野流れ
やがて研ぎ澄まされ 君をうるおし
鳥たちをはぐくみ 花たちとたわむれ
あの大河だって はじめはひとしずく
僕らの幸せも 大河にすればいい

ごらんよ 僕らは
君の そばにいる

君が笑えば 世界は輝く
誰かの幸せが 今を照らす
僕らのよろこびよ 君に届け

星明りにじんで ふと立ち止まったら
雨の匂いのなかに 虹のうたを聴こう
かすかなそのうた まるでひとしずく
静かにつながって 確かにつながって
青い空の下 夢など語りあう
愛とか語りあう それが僕の願い

ごらんよ 光は
君と ともにいる

君が笑えば 世界は輝く
誰かの幸せが 時代(とき)を照らす
僕らのよろこびよ 君に届け

君が笑えば 世界は輝く
誰かの幸せが 今を照らす
僕らのよろこびよ 君に届け

大丈夫 鳥は 歌っている
大丈夫 空は 輝いてる
大丈夫 水は 流れている
大丈夫 海は 光っている
大丈夫 君と 笑ってゆく
大丈夫 君と 歩いてゆこう

 

「君」というのは、戦前だったら君主=天皇陛下のことを指していたけれど、今はどうなのだろう。岡田氏の意図はどちらなのだろう。目の前にいる「きみ=あなた」を意味する言葉に受け取れる。

簡単で分かりやすい言葉を使っている歌詞。権威付けも何もしていない、励ましと希望と喜びがある。

雅子さまは、「目の前にいるあなた」と受け取ったに違いない。まさしく自分に対して歌っていると感じたに違いない。そして、君が笑えば世界は輝く 誰かの幸せが今を照らす 僕らのよろこびよ 君に届け のことばに涙したのだろう。

皇室の人は自分の気持ちを語らない。しかし、雅子さまの涙は、意図せずに、どんな言葉より強くご自分の気持ちを語ることになったのだと思った。

 

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