はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

練馬区立美術館「式場隆三郎 脳室反射鏡」

2020年10月18日 | 三島由紀夫

2020/10/18

 

練馬区立美術館で開催中の「式場隆三郎 脳室反射鏡」を見てきました。

 

 

私は式場隆三郎という人をほとんど知らなかったのです。でも、先日、練馬区文化振興協会から来たメールマガジンを見て、はっとしました。

式場隆三郎ですって⁈ 確か三島由紀夫が『仮面の告白』を発表した後、精神科医に手紙を書いているんじゃなかったかしら。

 

 三島由紀夫 式場隆三郎(精神科医)宛ての書簡(昭和24年7月19日付)

【「仮面の告白」に書かれましたことは、モデルの修正、二人の人物の一人物への融合、などを除きましては、凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述でございます。この国にも、また外国にも、Sexual inversion (注:性倒錯)の赤裸々な告白的記述は類の少ないものであると存じます。

わづかにジッドの「一粒の麦」がございますが、これはむしろ精神史的な面が強調されてをります。ジャン・コクトオの Livre blancといふ稀覯本を見ましたが、これも一短篇にすぎませぬ。

私は昨年初夏にエリスの性心理学の Sexual inversion in Man や Love and Pain を読みまして、そこに掲載された事例が悉く知識階級のものである点で、(甚だ滑稽なことですが)、自尊心の満足と告白の勇気を得ました。当時私はむしろ己れの本来のTendenz(注:傾向) についてよりも、正常な方向への肉体的無能力について、より多く悩んでをりましたので、告白は精神分析療法の一方法として最も有効であらうと考へたからでございました。— 】 (『仮面の告白』 Wikipediaより引用)

 

これは貴重な手紙じゃありませんか。

三島が『仮面の告白』を「凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述」と書き、「正常な方向への肉体的無能力について、より多く悩んでをりました」と、あります。

つまり、この時点で同性愛を認めていること、正常ではないと悩んでいたことになります。

式場隆三郎とはそれほど親しいつきあいはなかったのかもしれません。しかし、式場が当時著名な精神科医であり、著述家で、昭和12年には『マルキ・ド・サゾ』(オットー・フラアケ著)を翻訳していること、昭和22年『サド侯爵夫人』を出版していることから、近づきになりたいと思ったのかもしれません。

三島に関する展示があるかもしれないと思って出かけました。

これは正解だったのですよ。

上記の三島の手紙の全文が用紙3枚に渡って展示されておりました。文章はしっかり確認してきました。あの達筆の文字で書かれておりました。

これを見ることができて、行った甲斐がありました。

当時は現代の感覚の「同性愛」とは違い、「性的倒錯」であり、異常な精神病理と捉えられていた時代です。どのような気持ちで式場に手紙を出したのかなあと考えさせられます。

この原稿の解説文には、三島が式場と交流があり、式場の『サド侯爵夫人』を読んでいたことは明らか。しかし、三島が1965年に『サド侯爵夫人』を書いたときには、友人・澁澤龍彦の『サド侯爵の生涯』を読んだことがきっかけだとしている。なぜ、式場のサド侯爵ではないのか、と書いてありました。

式場とはその後、疎遠になってしまっていたのか、それとももっと単純な話で、1964年に出た渋沢の著作のほうが新しかったためかもしれません。そのへんのことはわかりませんけどね。

この式場隆三郎は、多趣味、多才な人でした。

「脳室反射鏡」については次回に書きます。

 
 

 

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