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よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

日本の桜

2017年04月15日 | いろいろ
3月末、所用で日本へ行って一昨日アメリカに戻った。この時期に日本へ行くのは昔破格の値段で日本へ行った12年くらい前のこと以来である。当時は痛風をおしての強行軍だったので、結果的には何も日本を楽しめなかった思いがある。

今回は4月の中旬まで日本だったので、大いに桜を期待していたところ、寒さで開花遅れが報じられ、どうなることかと気をもんだが、帰る頃になり漸く満開近くになり、ほぼ満足のいく桜見物であった。造幣局に近い桜ノ宮界隈の桜、吉野山の桜、そして地元大和郡山のお城の桜を立て続けに訪れた。最も綺麗だったのは地元郡山城の桜が見ごろのピークであった。

こちらアトランタでも桜が見れる場所があり、我が家の年中行事にしているのだが、今年は日本行きとなり、ワイフは残念がっていた。こちらの桜もそこそこ豪華だが、やはり日本の桜の豪快さには勝てないと、今回痛感した。

それにしても、昨年10月に行った時も外国人旅行者の多さに驚いたが、今回は更に増えていた感ありで、何とも凄まじい限りである。

これほど集中的に桜を堪能したのは初めてで、やはり外国に住んでいる分、感動が倍加しているのかもしれない。今後この時期に日本を訪れることは恐らくあるまい。貴重な4月の桜であった。

日本短訪 (4)お墓を考える

2016年11月25日 | いろいろ
今回の日本行きに際し、当初の予定より数日早くなったのは、母が亡くなったからである。満95歳を二カ月後に控えてのことであった。ひょっとしたら百歳までいくかな、と思っていたが数か月前の骨折で死期を速めた感あり。それにしてもこの世代は長生きである。

ここアメリカでの知人の死でワイフと話たことだが、我々がアメリカで死んだ場合は、火葬後に骨粉にしてもらうだけで葬式の類はしないことにした。その骨壺をどちらかが日本へ持ち帰り家で供養するだけに決めた。わざわざ墓に入れないことにしたのだ。

特に我が家は女系家族だし、今ある墓も家系が途切れればケアする者もなくなり、やがては更地になる運命なら、お墓を持つ意味は殆ど無い。今回母の納骨をした際、約30年前納骨した父の骨は見事に土に帰っていた。跡形も無くなっていた。

日本人は家にこだわり、亡者の住処としての墓に強くこだわる人種だが、納骨した骨も20年過ぎると土に帰ってしまうことを考えると、カタチに拘り過ぎてもいかんのではないだろうか。

今ある墓はいずれ処分することにして、我々夫婦は死んだら骨壺を娘の側に置いてもらい、たまに思い出してもらえば、それで十分であろう。

我が家は浄土真宗だが、49日を魂が彷徨うという他の宗派と異なり、死即成仏というのがいい。戒律も自由とあるから、当時親鸞が教えを唱えたのは画期的なことだったはずだ。

こうした形式を重んずる弔いの方法も最近の簡素化には目を見張るものがある。と言うよりはブラックボックスが長年覆い隠されてきたとも言える。幸い、海外に居る我々は日本に長居も出来なかったから、お通夜を省き、形式的な葬儀、火葬、納骨を一日でやってもらった。

今、お墓を持つべきか、と問われたら 答えはノー、それに尽きる。あとは心の持ちようだろう。

日本短訪 (3)日本で暮らせるか

2016年11月11日 | いろいろ
たまに帰る日本、その短期滞在で思うのは、こんな生活費が高いところで、日本人はよく生活できてるな、と感心する。帰りの機中で、ワイフとこんな会話をした。我々日本に帰って生活出来るやろか?

兎に角日本に帰った途端、エンゲル係数は急上昇して、分かっていながら驚くのである。そしてバカにならないのが交通費。兎に角お札がどんどん飛んでいく。

昔、アメリカ人が日本に来て、物価の高さ、生活費の高さに仰天し、日本人はさぞかし金持ちだろうと錯覚した話をよく聞いていたが、たかだか20年日本を離れている我々でも、今はアメリカ人の心境に近い。そのギャップの大きさに、きっと外国人も戸惑うのだろう。

アメリカで暮らしていると、移動はすべて車だから、確かに注意していないと足腰が弱るのは理解出来る。その意味では、今回歩いたこと、歩いたこと。一日間違いなく一万歩以上は歩いている。世界標準で日本人の肥満が少ないのは、歩くせいであろう。

しかし、若いうちはそれでよいが、歳を取るとそうもいかぬ。毎日歩きながら、歩けなくなったらアメリカの車生活のほうがよさそうだな、とワイフに話を向けると、ワイフも否定はしない。我々もそんな生活にすっかり慣れてしまったわけだ。

物価の問題、移動の問題を考えると、果たして年金生活者が日本で生活出来るだろうか、とふと思ってしまう。だから、いろいろ問題はあろうが、多くの年金生活者はよくやっているな、と感心するばかりである。

アメリカからみて、日本の唯一いいところは、医療費だろう。これは絶対安い。日本人はこの点だけは絶大な恩恵を受けていると自慢してよいのではないか。だから、我々が日本へ帰るきっかけになるのは、恐らく病気だろう。そうなったら躊躇なく帰ると決めている。

良くも悪くもアメリカ暮らし。いつまでここに居るのやら。

日本短訪 (2)グルメ天国ニッポン

2016年10月26日 | いろいろ
前回2013年に日本へ行った時も東京に出たついでに娘と初めて亀戸ホルモンを食べに行った。亀戸ホルモンは予てよりチャンスがあればと思っていたので、それが漸く実現した。今回は家族4人でおもいきり食べてこれたのがなによりである。

そのバラエティの豊富さと味のこだわりと言う点では、日本ほど充実した食文化はあるまい。ピンポイントでフレンチの何は美味い、とか中華のこれは美味い、とか言うが、トータルでみて日本での”食”は他の追随を許さない。日本人の味に対する執拗なこだわりは、持って生まれたものなのだろうか。

美味いが、高い。食材が半端でないくらい高い。アメリカ人が日本でその高さに仰天するのがよく理解出来る。長くアメリカに住んでる日本人の我々でも仰天度はアメリカ人と同じである。レタスが、トマトが、キュウリが、白菜が。ワイフが手に取って、まじまじと見ながら、買うのかと思いきや、棚に返す。この国では暮らせないな、とワイフと思わず苦笑い。

回転ずしが凄まじい。手軽に食べられる、安くて美味い寿司の普及に大いに貢献した進化する回転ずしチェーンは、今や寿司文化を破壊する領域に入っている。かつて百貨店の食堂が和洋中なんでもござれ式で賑わったが、その役目を回転ずしチェーンが担っているようだ。だから、子供たちは寿司を食べず、ラーメン天丼ケーキの類でおなかをいっぱいにするのだ。新しい食文化と言ってしまえばそれまでだが。

アメリカに戻る直前にシェーキーズに行った。久しぶりのピザ食べ放題を満喫した。このアメリカ発のピザレストラン、もはやアメリカには存在しないのだが、日本で普及していた時は、昼間は600円か700円くらいだったから当時は外国人も多かったが、今では大幅に縮小され、なにやら寂しい限りである。大阪も一店舗となってしまった。それでも価格は当時とあまり変わらず、そして何より美味しい。アメリカのピザなど食べる気にならない。

世界ナンバーワンといってもよいグルメジャパン。またしばらくのお別れである。

日本短訪 (1)高校クラス会

2016年10月21日 | いろいろ
よし坊は日本の運転免許更新の年に日本へ一時帰国している。海外に住んでいるのに何故日本の免許証を更新するかと言うと、2009年に一時帰国した折、パスポートから免許証まで一切合切置き引き盗難に遭い、その時顔写真付の証明書はパスポート以外にもう一つ必要な事を痛感したからに他ならない。

さて、今年も秋のどの辺で帰ろうかと思案していたら、高校クラスメートのアキラ君から今年帰ってくるならよし坊の予定に合わせてやれるかもしれない、という有り難いメールをもらい、今年の幹事に取り次いでもらった。10月15日に決めてもらい、それを軸に10月4日発で約二週間の予定を作成した(実際には別の事由で4日ほど早く出発せざるを得なくなったのだが)。

13年前の2003年に帰国した際、アキラ君が有志を集めてくれて、楽しい会食をしたが、今回は30名弱が集まり、その多くは実に50年ぶりの再会となった。

皆 歳を取り、年輪を重ねた顔だが、その50年をタイムスリップしたような、あの頃に戻っていい顔をしている。高校3年間組替え無しに加え、アキラ君のリーダーシップで合唱コンクールを目指した全員参加の練習はA組に独特の連帯感のようなものを作り上げたのではないだろうか。

子供でもない、大人でもない多感な高校時代にA組に居た事が、何やら誇らしい気分になるのだ。次はいつ頃参加出来るだろうか。極上の楽しみである。




絶妙のタイミング、蔡総統の”新生”台湾

2016年01月18日 | いろいろ
台湾の新総統に中国と一線を画す野党の蔡主席が誕生した。中国と一線を画そうとしている蔡新総統の誕生は、時期が時期だけに極めて重要な意味を持つ。

親中国を推し進めた馬前政権から中国に距離を置こうとする蔡新政権の誕生は、中国経済が大きく揺れ始め、鳴りを潜めていた東南アジア諸国が露骨に反旗を翻し始めている今だからこそ、日本を含むアジアの安定には大きな意味を持つだろう。反対に、東及び南シナ海での覇権拡大を狙う中国にとってはまことに面白くない。

もちろん台湾は常に微妙な立場にある。経済的には中国依存度は高いから大っぴらな喧嘩を出来ない。さりとて、台湾の中国併合を捨てていない現共産党の中国には屈するわけにはいかない。蔡新政権は微妙な舵取りをしていかなくてはならないが、共産党がかつての蒋介石国民党を台湾に追放した歴史的事実は大きい。

中国のバブルがはじけ、株価急降下で先行きの経済にも暗雲が立ち込めた今、それを見透かしたかのような新政権の誕生ではないだろうか。

三島事件のあの日

2015年11月25日 | いろいろ
45年前のあの日、アルバイトをしていた。この時のアルバイトはただ封書を指示された企業に届けるという、けったいな仕事をしていた。後から考えると、政治家が資金集めでパーティを催すために、企業にパーティ券を売りつける仕事のようであった。東京都内のみならず、横浜や川崎の企業にも出向いて配っていた。

あの25日、昼ご飯を食べにそば屋に入ったら、中のテレビが騒々しい。三島がどうとか。最初は何のことか分からなかったが、三島が市ヶ谷で事件を起こしたらしい。後の仕事があるので、全貌がわからぬまま、午後の仕事をして戻った。

三島文学との出会いは「金閣寺」だったと思う。そして「仮面の告白」は男色、今でいう同性愛をテーマにして鮮烈な印象だった。最後に読んだのは末期に出した「豊暁の海」。

映画好きのよし坊は定期的にアートシアターの映画を好んで観ていた。そして高3か浪人中に、あの「憂国」が新宿アートシアターに掛かった。三島と鶴岡淑子の二人芝居で軍人・日本男児の切腹をリアリスティックに描いた問題作でもあった。

三島事件の全貌が分かって最初に思い出したのは、正しく、あの「憂国」の映画だった。既に、三島の中では深く、静かに、そして力強く市ヶ谷事件に完結する想いが醸成されつつあったのだろうか。

安倍が何とか安保法制の改変を行った事で、三島が描いた理想のホンの扉に手を掛けた程度まで来たが、道のりは遥か遠い。それにしても、45年前の三島の、この国を憂えた洞察力には舌を巻く思いだ。

他国がどう言おうと、その国の防人は最高の栄誉で称え、敬わないといけない。靖国問題とて同じこと。アメリカとかフランスとかロシアとか、かの国では国の防人はヒーローとして大切に扱われ、他人には口を出させない。この、ごく当たり前の事が出来る時代にならないといけない。

橋下徹の次に期待したい

2015年11月22日 | いろいろ
注目の大阪府知事、市長選挙が大阪維新の圧勝で終わった。橋下はひとまず表舞台から姿を消すのだろうが、彼には次を期待したい。

橋下徹が日本の政治に投じた一石は大きい。たかだか一介の弁護士出身の政治の政治の素人に中央政治の連中がすり寄らねばならなかったことを見れば、彼の動きというか手法が侮れないことを見て取ったのだろう。

大阪のみならず、関西のみならず、はたまた日本全国のみならず、戦後の寝技と談合、影の取引に明け暮れたドロドロ政治にウンザリどころか不感症にさえなっていたところに、片手にこん棒を持ちながら、”こすっからい”連中を壊し始めたから、周りはびっくり仰天の図となったわけだ。誰もが見て見ぬふりをしていた府レベル、市レベルの”不都合な現実”を喧嘩手法であぶり出し、相手を煽る。府民や市民は”どうせ口だけだろう”と思っていたら本気で嫌な所に手を突っ込んでいく。ようやく、今までと違う首長とわかったのではないか。

彼の強みのひとつは弁護士出身にあると思う。右手に喧嘩手法でこん棒を振り回すが、左手には六法全書を持ち、どこまでやれば合法かを常に考える。自分で判断出来るから意思決定が速い。これが彼の身上だろう。弁護士出身の政治家は数あれど、その他大勢の議員のひとりでは組織に埋没し何も出来まい。首長だからこそ、こういう手法が生きてくる。

もうひとつの橋下政治の特徴は分かりやすいことだろう。大阪都構想が議会で頓挫したことで、彼は信任を問う為にダブル選挙に打って出た。今までの、既存型政治家なら、折角手にした利権とも言える議員や首長のステータスを簡単に失うかもしれないリスクは犯さない。だが、彼はそうではなかった。

維新の会からの決別でも分かる。中央政治には些末を捨てての大同団結が必要かと、組んでみたものの、手垢の付いた旧来型政治手法に辟易したパートナーをあっさり切り離した。これも選挙民には分かり易い。理念を持たない、理念が違う、そういう連中が一つになるのは不可能だということを示して見せた。その点、今の民主党をみれば、だらしなさと言うか、希望の無さがよくわかる。

橋下を独裁者だと、メディアで囃し立てるが、困ったものだ。ボトムアップと寝技とも言える”根回し”がビルトインされた日本社会では、トップダウンの欧米手法をすぐ”独裁”とみる風潮が根強い。組織のトップは孤独であると当時に、本来的に独裁者なのである。最近の安倍もそう呼ばれている。トップに立ったら良くも悪くもそう呼ばれる運命でもある。そして、サイコロの目が悪いほうに出たら、責任をとって辞める。それがトップのルールだ。

メディアの言うところの、そんな”独裁者”を選挙民は圧勝させた意味は大きい。橋下徹には次のステージに大いに期待したい。


親父の歳までやって来た

2015年10月25日 | いろいろ
今日68回目の誕生日を迎えた。漸く親父の歳までたどり着いた。親父は68歳、正確に言えば68年と半年で亡くなった。よし坊38歳の時だった。この時から最初の目標が決まった。68歳までは行こうと。

親父の葬儀では忘れられないエピソードがある。

今と違い、昔は家で葬式を出したのだが、出棺の前に家の前で、喪主の挨拶をした時である。前日暗記していた挨拶を始めたのだが、途中で忘れてしまい出てこない。頭をフル回転したが全く出てこない。そのうち葬儀屋が来て、傍で耳打ちしてくれた。「最後の挨拶の部分へ飛んでください」。この出てこない沈黙の時間は一体どれくらいだったのだろうか。ともかく、最後の部分を言って挨拶をどうにか切り上げた。

忌引き休暇を終えて出社した時の事。参列してくれた会社の面々が口を揃えた言った。「あの時は君もさすがに感極まったんだろうな。いやそんなもんだ」。

そういうことか。あの沈黙は周りから見れば「感極まった」ことになるのだ。そして、状況からして、そう考えるのが自然でもある。葬儀の前日、何回も何回も暗記の練習をした成果があの様だとは言いだしかねて、「いやっ」と頭をかいて場を引き取った。

その晩、いつものアフター5の飲み会で、諸兄の酔いが回り始めたころ合いを見計らって、おもむろに空白の時間のネタ晴らしをさせてもらった。「なんや、そうだったんか」

さて、節目をクリアーしたところで、この先どこまで行ってみようか。今の世の中、長生きをするのが幸せではない。はてさて、どうするか。長生きする人多けれど、巷の動向見てみれば最後のページの最大公約数はどうも70代だ。となればあと10年程度か。それほどの年が残されているわけでもなさそうだ。

毎日毎日、笑って過ごせればそれでよし、か。

詐欺のような東京五輪

2015年09月07日 | いろいろ
日本にしては頑張ったプレゼンで呼び込んだ2020年の東京オリンピック。一生で二回も経験できると5年後を楽しみにしていたけれど、こうケチが付いてしまっては興味は半減どころか、それ以下となり、わざわざ日本に帰ってまで観る気は失せてしまった。

事の成り行きを追っていけば、今回の五輪切符獲得は殆ど詐欺に近い。詐欺でもぎ取った五輪開催権と言ってよい。何しろ、プレゼン内容が履行できないわけだから詐欺である。お隣韓国の冬のオリンピックの準備不足を冷やかな目で見ていた日本も所詮、同じ穴の狢である。

新国立競技場プロジェクトのばからしさ。予算を管理するリーダーが誰もおらず、気が付いたらとんでもない予算に膨れ上がっていたと言う。およそどんなプロジェクトでも、リーダー不在となれば、プロジェクトが進まないか、逆に暴走するか、のどちらかで、今回は後者だ。アメフトで言えば、クォーターバック不在というトンデモナイ状況だったわけだ。

ロゴマークデザインの盗作騒動も、その選考プロセスが何やらいかがわしい。アカデミックであろうとなかろうと、どんな団体でも闇の部分があり、”ドン”が必ず居るものだ。そのあたりが蠢いていてもおかしくない。ロゴ当選者の過去のデザインにも盗作疑惑が浮上し、白紙撤回になったのはよかったのだが、これだけ盗作疑惑が出れば、「私はやっていない」は通用すまい。デザイン界の”サムラゴーチ”かも知れない。

各競技施設を準備する東京都も共犯者、いや共同正犯だ。何せ、会場を出来るだけ近くに集め、移動を少なくする「コンパクト」を売りにプレゼンしたはずが、予算大幅オーバーで、分散会場になるというから、相当お粗末で、海外からヒンシュクを買うこと間違いあるまい。だから”詐欺のようなオリンピック”と言わざるを得ない。