ふぶきの部屋

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聖女か悪女か 美智子上皇后の肖像 23

2021-07-05 07:00:00 | 聖女か悪女か美智子上皇后の肖像

 1970年 10月 学習院運動会で大玉ころがしをする

 1970年10月15日 美智子妃36歳の写真

  1970年11月8日

 美智子妃の着物特集

 1970年11月30日

 1970年12月14日 東宮御所の和室でカルタ大会の稽古に励む浩宮と皇太子

 

 1970年 リウマチ友の会設立10周年で患者を東宮御所に招いて懇談

 1970年 兄弟でスケートの練習をする

 

 1971年 天皇一家

新年祝賀の儀に出席の皇族方

 

 1971年2月 札幌プレ五輪に出席 ペアでスケートを楽しむ

 1971年 長久保コーチにスケートを教わる浩宮と礼

 1971年3月 苗場にスキー旅行

 

 1971年 紀宮誕生日

 1971年4月25日 上野動物園に

 

 1971年5月 サウジアラビアのファイサル国王来日宮中晩さん会

 

 1971年6月3日 アフガニスタンに出発する皇太子夫妻

 1971年6月 バーミアン遺跡訪問

 1971年7月 長野県と山梨県訪問時

 1971年7月 軽井沢静養

 

 1971年8月 香川県での公務時

 1971年8月 日本で行われたスカウトジャンボリーを視察

 1971年8月23日

 1971年9月15日 葉山海岸

1971年頃の美智子妃殿下のやつれっぷりがすごいなと思いました。

それから礼宮が大きくなるにつれて「子供って本来こういうものだな」と。

浩宮は長男のせいかぼやっとしている印象。一方の礼宮はとても子供らしくしかも、妹が大好きでしょうがないお兄ちゃんですね。

 

 

 


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6 コメント

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お健やかな証ですね (RM)
2021-07-05 07:21:47
ふぶき様のおっしゃる通り、礼宮さまはとても子どもらしくお育ちだったと思います。それは健やかにご成長されてきた何よりもの証ではないでしょうか。

浩宮さまが長男のせいかぼやっとしている…というのはちょっと違うかな?と思います。
ぼやっとしているのはご本人の資質でしょう。
大学生の娘の小学校時代からの友人をみていますと、ご長男でも代々の家業や家督を継ぐ立場にあったりしますと、しっかり者に育てられていると感じます。
そういった家に嫁に入ったママ友も、それなりの覚悟をもって子育てされていたと思います。
上皇后の「ナルちゃん憲法」での子育ては失敗?
まあ、できの悪い長男を育てるのはむずかしかぅったのかもしれません。
昭和天皇が礼宮さまをことのほかかわいがられていたのは、上皇后には教えられない大切なことを伝えられるよい機会としていたのではないでしょうか。
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Unknown (味彩)
2021-07-05 08:28:34
沢山の写真ありがとうございます。
三人の御子様がいながら公務をこなすのは大変な時期だったと思いますが、東宮は人手はあったでしょう。後に、紀子様が人手がなくても休むに休めない事になります。
当時の浩宮様の社会的な感覚は、今では想像できないくらい高いもので、次男坊の礼宮様とは全く違いましたね。それでも本家の次男坊として讃えられました。
今の悠仁殿下の社会的捉えられ方は、分家秋篠宮家の三番目の御子様といったところでしょうか。
時代は変わったとはいえ、悠仁さん呼びはあまりにあまり。様と読んで差し上げて頂きたいものです。
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Unknown (Ray)
2021-07-05 12:33:39
いつも有り難うございます。
沢山の写真、本当に楽しく拝見しています。
アーヤの子供らしく元気な姿、妹を可愛がる様子、本当に大好きでした。当時は兄は自分の立場を既に自覚しておられるのかと感心していましたが、今となっては全ての事に我関せず、妻子の事しか目に入らない姿の伏線だったのかと、深読みしてしまいます。
美智子様のおやつれが海外でも話題になり始めた頃ですね。
三人の子宝に恵まれ幸せの極みと思うのですが、むしろ華子様の笑顔が花開いたように美しく幸せそうな様子で、感慨深いです。
今日も楽しませて頂きました。
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いつもありがとうございます。 (しまき)
2021-07-05 12:49:14
本当に数々の写真、見せていただき、日々楽しみにしております。
見た記憶がない(のか忘れてしまったのか)写真がたくさんあって嬉しいです。

新年祝賀の儀の写真ですが、前列左端に座っておられるのは華子様ですよね?私、この写真を見て一瞬「あれ?何で紀子様がここにいるの?」と思ってしまいました。他の写真では似ておられないのに、ちょっとびっくり。華子様のこういう肩だしスタイルも珍しいのではないかと思います。

私はこの当時の浩宮殿下は、浜尾さんのしつけが入って、貴公子に見えました。礼宮は天真爛漫にいかにも子供さんらしく。そして浩宮は殿下らしく。華子妃殿下の隣に浩宮が立つ写真も初見のような気がして、感慨深く拝見させていただいたのですが、多分この当時浩宮は小学校の高学年。もう華子様に追いつきそうな感じでお背が伸びています。このまま伸びていけば、我々も幸せになれたのかもしれない。長身ならば、もう少し早く、そしてもっとずっと皇室に合った方とご婚姻できたかもしれないなぁ~なんて思ってしまいました。
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Unknown (松陰神社前)
2021-07-05 19:55:50
上皇と上皇后が皇太子・皇太子妃の時、両手を繋いでスケートをしている場面で、上皇がすってんころりんと顔面から転んだのを覚えています。

上の写真で、手を繋いでいる写真の時です。

みっともない事したなと、見てて思いました。本当に無様に転びましたから。晒し者でした。美智子さまも罪な事するなと感じました。

礼宮さまの妹の可愛がりかたは、微笑ましかったです。本当に、いい意味でやんちゃで、子供らしいお子さまでした。

品性の賎しい母子の問題で、今は感情を押し殺して、おいたわしいです。
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Unknown (蓮の葉)
2021-07-05 22:45:56
こんにちは。
以前コメントした時の名前を忘れてしまいました。
ふと、目の前に蓮の葉がありしたので
その名前をお借りいたします。
71年の写真の美智子さま、
額に深いシワが二、三本
多分これが気になって
手術を繰り返して 狭い額になったんですね。
俗物過ぎたお妃さまでした。
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