世なおし倶楽部

①ことば遊びから哲学へ②安全な国産の農産物等の生産、流通③人に健康社会に平和④地球環境とエネルギー⑤矛盾の活用

教えてグー、宗教、哲学、科学、芸術・・・・転載

2010-06-27 21:50:22 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
(1)宗教:信じる+体系創り
(2)哲学:仮説+検証
(3)科学:仮説+科学的検証
(4)芸術:感動共感の訴追
(5)数学:仮説+論理学的数学的検証

(1)について、同感でした。さらに、一人の直感でよい。実証不要。証明してもよし。一人の人間の体験は事実ではあるが、他人に普遍的に応用できる真実であるとは限らない。よって、証明不要。絶対真実の保証もない。それでいい。
(2)哲学は、論理的に究極の「真理」にたどり着くまでの謙虚な作業。脳と身体の両方でやるのが本物の哲学。論理的体験的検証。ヨガ(世我、世と我のむすび)は実践本物哲学のひとつ。なぜなら、心と身体、世と我の調和を目指して、求め続けるものだから。俗なヨガではちょっと違いますが。俗な哲学も脳だけの、偏屈なものが多い。検証は総合的に。
(3)科学は、同感。検証がカギでしょう。俗な宗教は検証せず、ごり押し。妄信。科学は実証主義。しかし欠点、限界はそのことが墓穴になり、実証にこだわる科学知識では、永遠存在の宇宙を説明できない宿命を負っている。客観証明でなければ、ならないという性質上、究極の宇宙生命解明、証明は無理。
そのため、宗教が代替になることになる。科学も宗教も「原理、単一性に収束させたがるくせを持つ」哲学は、断定せず仮説の提案がその本領か。宇宙の真理は、哲学的仮説の中にこそある。
(4)芸術は、個性の主張。単一性とは対極にある。よって、宗教芸術はありえない矛盾。よくあるのは宗教美術、造形で、芸術ではない。芸術に美醜の評価はあたらない。へたうまもない。あるのは個性とそれを表現する技術。
(5)数学は、徹底的な完璧を求める妄想の世界と、近似値実用の現実の世界と妥協する算数と混在する。
もっとも、究極の数学は哲学になるだろう。虚数の大家の哲学者牧島象二氏は虚数によってあの世の存在を証明している。量子論は数学の矛盾を解決した。量子論はヨガ哲学と同じである。

いずれの分野も、究極を治めれば、人類礼賛において同じになる。

ご回答に触発されて、思い付きを書きました。

ご返答いただければ幸いです。

追伸:哲学を大切にしましょう。

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