日々の泡

日々の事、ヨガや空手、チベットの事など、、、 いきばたブログ。

菜食(べジ)

2015-06-30 | ヨガ/仏教
菜食主義者、ベジタリアンには2種類あると考えます。

・ 健康の為に菜食を選ぶ人

・ 生き物を殺したくないという事で菜食を選ぶ人

です。

前者はそこまでこだわる事なく、できる範囲で実践しているようです。
なにせ健康が目的ですから、健康を損なう事は避けなければなりません。

後者は前者よりも徹底して不殺生の菜食です。
肉類だけではなく、土の上にある穀物と野菜しか食べない。
つまり、根菜類は決して口にしません。
土の中の生き物を殺さない為です。
穀物や野菜も一部だけ収穫して食べたりします。
それらも生き物だという認識によるものです。

ジャイナ教の裸行派などはその最たるものかもしれません。

服を着ないのは無所有の実践ではありますが、服を着ればやはり虫たちが迷い込んで死んでしまうのです。

頭を剃り上げます。
髪の毛は長ければ長いほど多くの虫を殺すものです。

マスクをする人も多い。
口に虫が飛び込むのを防ぐ為です。

自分の足元を掃きながら歩きます。
虫たちを踏まない為に。

車や自転車など言語道断です。


大変そうですね。
考え方はそれぞれですが、極端な実践はおすすめできません。






自己観察による自己発見

2015-06-24 | ヨガ/仏教



ヨガの練習をする時に「観察して」という事を言います。

なぜ観察するのかといえば、気付く為、発見する為です。

つまり自己観察によって自己発見をするのだという事がいえます。
対象は自分です。
鏡に映る自分ではなく、内に眼を向ける事が必要です。

なぜ発見する必要があるのかといえば、知る為。

なぜ知る必要があるのかといえば、制御に必要だからです。

なにかをコントロールする時には、そのなにかの構造やコントロール方法を知る必要があります。



冷静に観察する事をいつも心がけてみましょう。
ヨガの練習の時、それから日常へと観察を広げていきます。

節食

2015-06-23 | ヨガ/仏教






ヨガには不食断食のイメージがあるように思いますが、基本は節食です。
長い期間の不食断食や極端な食事制限は身体を浄化するかもしれませんが、弱めもします。
多くのヨガの行者が食を断つという苦行を行なっていたのは確かです。
身体を弱めることによって心を弱め、心が弱まれば欲望も弱まると考えたのでしょう。

歴史上のブッダもそのように考え、苦行に没頭しました。

そして、ある時悟ります。

『これは必要がない』と。


節食とは、それぞれに合った分を食すという事です。
運動する人としない人、男と女、老人と若者、、、

人によってどれぐらいが適量かは違います。
もちろん日によっても違うでしょう。

考えながら食べる事が大切です。










デリー 他

2015-06-21 | インド


ある日の朝食。
正直、過ぎるマサラはもはや受け付けないが、とりあえずインドの飯を食べたい。
ここでしか食えん物を食べておきたいという気持ちになる。






健康的な標語は世界中で同じ。
いっこうに気にしないのも世界共通。






チベタン!






エア・インディア。
TOKYO。






ある日の晩飯。
高めのターリー。
飯の写真を撮りなれていないと、食べかけの汚い写真になってしまう、、、 仕方がない。







オールド・デリーの路地裏。
冠婚葬祭グッズ通り。










働くおっちゃん達。
古い建物の中庭にて。












デリーのメトロ。
路線や時間によってえげつない混み方をする。

かつて携帯と思い出のストラップを失った。









課外授業。






インド最後の晩飯をステーキで終える男。