怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

「教科」って知ってる?

2013-02-26 18:17:31 | 教育
いじめや体罰問題など5項目提言 教育再生実行会議(朝日新聞) - goo ニュース

その昔、「生活科」も教科として立ち上がったのだけれども、今は「評価」の部分で、とても「教科」的な扱いとはいえないと判断できる。

今のところ笑い話だが・・・、
もし「道徳」が「教科」になったら、
『私は道徳が『不可』だったから、卒業単位に満たなくて留年が決定したんだ~。』
とか、
『テストで道徳的価値観の“公徳心”が出るらしいよ~。そこに山はって、問題集をやっておこ~っと。』
などの、とても道徳的といえないような会話が生まれるのではないだろうか?

今まで「道徳」が「領域」であった意味も考えてほしいものだ。
まっとうな「道徳」屋が聞いたら、だれでも怒る話ではないだろうか?

(以下、引用)
いじめや体罰問題など5項目提言 教育再生実行会議
朝日新聞2013年2月26日(火)11:12
 【花野雄太】政府の教育再生実行会議(座長=鎌田薫・早大総長)は26日、いじめと体罰問題に関する5項目の提言をまとめ、安倍晋三首相に手渡した。道徳教育の教科化やいじめ対策法の制定、体罰禁止の徹底などを訴えている。

 提言は「いじめの問題等への対応について(第1次提言)」と題され、(1)道徳の教科化(2)いじめ対策法の制定(3)いじめの早期発見に向けた学校・家庭・地域・警察の連携(4)いじめる子への出席停止措置を含む指導強化(5)体罰禁止に向けた部活動指導のガイドライン策定――の5項目。

教育というのは「覚悟」が必要ではないのか

2013-02-26 18:00:17 | 教育
教頭の車が無残な姿に…「ルールのはざま」現場教員たちの戸惑い(産経新聞) - goo ニュース

典型的な「排除の論理」による見方の記事だ。
教育の問題を「学校内」に閉じ込めて見ている。

なぜ「荒れ」をもつ子どもが出現しているのか?
そういった子ども理解や子どもを人格的に育むための社会的視点に目を向けずに話を進めるとこうなるという典型だろう。

では、これについての対案は?と、すぐ詰めるのもダメだ。

教育の問題をどう捉えるのか?という点である程度かみ合った中での議論でないと対案はあり得ないだろう。

「人格育成」を考えるときに、「社会的な要請」ばかりを取り上げていたり、「社会の現状への適応」ばかりを求めたりしていては、子どもはよりよく育たないであろうし、ひいては、そういったもののダウンスパイラルに陥るわけ(否、現にそういう状況だろう)で、その点の改善を望めない中、現場が今までよく頑張っているという見方さえできる立ち位置になければ、改善策は見いだせないだろう。

対案はいくらもある。
必要なのは、そういう見方をして、具体的に手立てを講じようとする覚悟だろう。

(以下、引用)
教頭の車が無残な姿に…「ルールのはざま」現場教員たちの戸惑い
産経新聞2013年2月26日(火)15:25

 「学校現場」と一口に言っても、実情は本当にさまざまだ。小中高など年齢層に応じても異なるし、荒れた学校とそうでない学校、都市部と地方など、環境によっても大きく異なる。

 「友達をエアガンで撃つ生徒がいる」というエピソードに「そんな生徒が日常的にいるとは思えない。あまりにも極端な例ではないか」と指摘した人がいたと紹介したところ、大阪府の男性(48)からこんなメールが届いた。

 「私の息子が通う中学では、授業中に教頭先生の乗用車のガラスが割られたことがある。車の天井もへこみ、見るも無残な姿になった。それでも警察沙汰にはしなかったが、今の教育現場は昔のような穏便な現場ではない」

 この話を聞いて「さもありなん」と思う人も「あり得ない」と感じる人もいるだろう。みな、多かれ少なかれ自分自身や自分の子供に関わる教育体験があるだけに、自身の見聞きしたことを“普通”と感じてしまう傾向もあると思う。

 一方「荒れた学校と評判の学校に通っていた」という愛知県の男性会社員(42)は「生徒が暴れたり、窓ガラスが割られたりするのは日常茶飯事ではなかった。本当にごく限られた一部の生徒だけのことだった」と回想していた。

 荒れた学校だといっても、生徒全員に問題があるわけではない。一部の生徒が暴れ、ほかの生徒に迷惑をかけているという図式が多いのだろう。

 東京都の男性教員(52)は「授業妨害をしている生徒は、押さえつけて無理やり教室の外に出さないと、授業を受けたい生徒に迷惑がかかる」とし、次のように指摘していた。

 「体罰はあってはならないし、体罰に頼る指導もいけないことも分かる。しかし、非行少年の指導を具体的にどうしたらよいのかという対策がなければ、まじめな生徒がかわいそうだ」

 繰り返し取り上げているが、学校教育法では「体罰はいかなる場合も行ってはならない」と定められている。しかし、文部科学省の通知では、他の生徒や教員自身に対する暴力などは「例外」と位置づけられており、この線引きの曖昧さが「ルールのはざま」として現場教員たちの戸惑いにもつながっているようだ。

 読者から寄せられたお便りでは「暴力を使えば、生徒を管理しやすい」とばかりに、簡単に暴力を振るう教師もいたという話も少なからずあった。「体罰は一切やめるべきだ」という意見には、こうした教師をはびこらせてはいけないという思いも感じられる。(か)