12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

ユリウス・カエサル21

2009年01月31日 09時31分07秒 | Weblog

 ガイウス・ユリウス・カエサルより38歳年長のルキウス・コルネリウス・スッラは、制度疲労を起こした元老院体制を本来の体制に復活しようとした先鋭的急進的元老院派の代表選手だった。

 小生の目からは過激な保守派の代表選手に見えるスッラは、民衆派弾圧で4800人にも及ぶ殺戮を冷徹平然と実行した。

このとき、まだ少年期のカエサルは、身の危険を感じ国外逃亡をせざるを得なかった、また幾多の過激な殺戮を眼にした青年カエサルの心に非道に対する反感を抱かせたのに違いない。

後年の彼の寛容の精神は、生来の性質とともに、このような悲惨な光景を眼にしたことにあるような気がしている。

 カエサルとスッラは、人の能力・性向としては、強い信念・行動力・人望などで卓越した人物としての多くの共通点がある、それを詳細に対比してみるのも面白いのである。

第一に、二人とも、ローマきっての名門貴族ながら、それまではほとんど歴史に登場しない傍系貴族出身。
第二に、当代きっての知性の持ち主、第一級の教養人。
第三に、背が高く痩せ型、品位のある立ち居振る舞いで、いつでもどこでも目立つ存在。

第四に、早熟天才でなく、四十代で全開した。
第五に、金の重要さは知っていたが、私財を貯えることに無関心。
第六に、目的をはっきりさせ、部下達から慕われ尊敬された。

第七に、二人とも、もはや元老院には統治能力がないと見通したが、スッラは元老院の機構改革で解決しようとした保守派であり、カエサルは元老院体制の廃止すなわち国体の改造、新秩序の樹立を目指した革新派だった点が異なった。

第八に、両人とも従来の考えに捕らわれずすこぶる大胆に行動した。

スッラはたとえ内戦であっても歯牙にもかけず迷いも不安も持たなかったが、カエサルは、ルビコンを渡ることによっておきる内戦の悲惨さを思い迷ったのであった。

(スッラは、「民衆派」との内戦とその後の反乱者4800人の惨殺をこともなげに実行した。13歳のカエサルは、内戦の悲惨さを伯父達の死を見ることも含め心にとどめたのであった。

生来の性質と共に、この恨みや怨念や憎悪が後々まで後を引き復讐心が共同体の力を結集する妨げになるという経験もカエサルが人を大切にしたことの要因であった。)

ルビコンを越えるときのカエサルの言葉が彼の思いを物語っている。

「ここを超えれば、人間世界の悲惨。超えなければ、わが破滅」

そして迷いを振り切るかのように大声で叫んだ。
「進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた!」


京都初詣の旅

2009年01月30日 09時08分41秒 | Weblog

 

小生は労働組合系の金融機関中国労金の年金友の会に属している。読者の中にもこの種の会に参加しておられる方も多いだろう。

ここ数年、初詣ツアーと秋の旅行に幾度か参加している。
昨秋は明石大橋―淡路―鳴門―瀬戸大橋の周遊コースだったが、検査入院で残念ながら欠席した。

今年の初詣ツアーは、出雲大社が改修工事のため京都下鴨神社―平安神宮―錦市場となった。

昨年は源氏物語千年紀(源氏物語の存在が,記録上確認されてから一千年にあたる)の年だったので、秋の紅葉見物もかねて出かけようと思っていたが果たせなかった関係もあり、ありがたい企画であった、また好天に恵まれ快適な旅ができた。

今回は、静止画中心のスライドショーでビデオを作ってみた。

http://jp.youtube.com/watch?v=K3NFEn2AdX4&feature=channel_page

 

 


その第一弾は平安神宮である。


新年会

2009年01月29日 08時42分03秒 | Weblog

           

全ての習い事を辞めてしまった関係で、忘年会も新年会も縁がなくなったかと思っていたら、水墨画の会から新年会のお誘いを頂いた。

以前は、小生と女性二人で都合三台の車が手当てでき、分乗すれば全員そろって出かけられたが、今年は小生ともう一人の運転できる女性が体調の関係で運転不能となってしまった。

しかし、タクシーで出かけるというので、家でふさぎこんでいるよりは精神衛生上よろしかろうとお勧めにしたがって参加した。

毎度感心するのは、女性は洒落た料理屋やレストランや喫茶店の情報に精通していることである。今回の開催場所は、児島にあるフレンチスタイルのレストラン「フェリーチェ」であった。

 http://www.restaurant-felice.com/

ちらほら若い女性達も来店していたが主にフランスやイタリアやインド産のしゃれた小物の品定めであった。月曜日のお昼時、大半のお客は、我々同様年金世代でランチを目当てに訪れていた。

時々思うのだが、インターネットではキーワードがないと情報を見つけ出すことはできないのである。このことは重要な問題で、何らかのきっかけやヒントがないとインターネットも有効な道具とはなりえないのである。

来店していた若い人たちはインターネットが主な情報源かもしれないが、我々世代の女性達はおそらく、彼女達の主要な情報源である口コミによってこの店を知ったのだと推定した。

子供達を養育する関係から、本能的に女性は群れをなし共同生活をするように神様が作ったと聞いた。そのため、各種の情報は彼女達の口コミによりインターネットより早く有効に浸透するようである。

また、女性達の井戸端会議というか長いながーい立ち話は、非常に重要な情報交換の場であり、生き方の指針のようである。
どうも我々男性の簡潔かつ瞬間的な立ち話は一見効率的であるが、情報の価値は女性達に勝てそうにないようである。


言葉の力その2

2009年01月28日 06時41分49秒 | Weblog

 前回、「よくもこの程度レベルの人が政治家に成れたものだ、我々の国では到底ありえないことだ」と外国の政治家に言われた話と、

根本的には、言葉を発する人の品性・品格・思想・理想などが言葉に力を与えるのではないかと思っていると書いたが、その続きである。

日本人の知的平均レベルは、世界でもかなり高いと思うが、良いほうにも悪いほうにもあまり突出せず平均値付近に集中しているのであろう。

それゆえ、あっと驚くような突出した人物が現れにくい国になっているのだろうと思っている。

物質的には貴族的な生活をしている我々は、精神的な貴族に成る必要があると思っている。

ブレス・オブリージュまたはノーブレス・オブリージュ (フランス語:noblesse oblige) は「貴族の義務」あるいは「高貴な義務」のこと。一般的に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことをさす。

この種の精神を実践している政治家・権力者達が日本にどれほどいるのだろうか。

本日の我国首相の演説を注目している。

Wikiよりの補足:
この言葉の意味する概念自体は新約聖書の福音書に由来している。
「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される」(「ルカによる福音書」12章48節)(新共同訳)。

 F.A.ケンブル(フランセス・アン・ケンブル、1809-93,イギリスの女優)が1837年に手紙に「…確かに『貴族が義務を負う(noblesse oblige)』のならば、王族はより多くの義務を負わねばならない」と書いたのが、この言葉が使われた最初である。

 倫理的な議論では、特権はそれを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきだという「モラル・エコノミー」を要約する際にしばしば用いられる。

最近では主に富裕者、有名人、権力者が社会の模範となる様に振る舞うべきだという社会的責任に関して用いられる。

「ノブレス・オブリージュ」の核心は、貴族に自発的な無私の行動を促す明文化されない社会の心理である。

それは基本的には、心理的な自負・自尊であるが、それを外形的な義務として受け止めると、社会的(そしておそらく法的な)圧力であるとも見なされる。 法的な義務ではないため、これを為さなかった事による法律上の処罰はないが、社会的な批判を受けることはしばしばである。

現代のアメリカでは、裕福な人物や著名人がボランティア活動をする事は当然とされ、しない方が特異視されやすい。「最近どういうボランティア活動をしていますか」と問われて、「何もない」と答える事は、地域社会にとけ込む事を困難にしかねない。

貴族制度や階級社会が残るイギリスでは、
上流階層にはノブレス・オブリージュ(ノーブル・オブリゲーション)の考えが浸透している。

第一次世界大戦で貴族の子弟に戦死者が多かったのはこのためであり(皆志願して従軍した)。

フォークランド戦争にも王族(アンドルー王子など)が従軍している。
現在でも、例えば高校卒業後のギャップ・イヤーに、ウィリアム王子がチリで、ヘンリー王子がレソトの孤児院でボランティア活動に従事している。


ユリウス・カエサル19

2009年01月26日 07時35分33秒 | Weblog

 BC58年から51年までの八年間に戦役の主人公たるカエサルはガリア戦記を書いた。

史家たちの間で二千年間カエサルの業績については意見を異にすることもあったが、カエサルの文章力については賛嘆で全員が一致したという。

---キケロ(BC51年記)---
これら
の巻きはすべて裸体であり純粋であり、人間が身につけている衣服にも似たレトリックを完全に脱ぎ捨てたところに生まれる魅力にあふれている。

カエサルは、歴史書を書こうとする者に史料を提供するつもりで書いたのかもしれないが、その恩恵に浴せるのは諸所のことをくっつけて飾り立てした歴史書を書く馬鹿者だけで、思慮深く賢明な人々には、書く意欲を失わせてしまうことになった。

---小林秀雄(AD1942年記)---
・・・少しばかり読み進むと一切を忘れ一気呵成に読み終えた。

・・・・ 勿論、別して読後感という様な小うるさいものも浮かばず、満ち足りた気持ちになった。近頃珍しく理想的な文学鑑賞をしたわけである。・・・・

カエサルの文体は、簡潔・明瞭・洗練されたエレガンスの三語で総括できるという、それは、文は人となりという視点で捕らえれば

「カエサルが真に貴族的な精神の持ち主であり」また「裸体であり純粋であった」さらに「読者の思惑なぞは一切黙殺して自足しているようであった」と塩野七生女史は言う。

 「ガリア戦記」は、戦や政治のさなか驚くべき速さで書かれた元老院への現地報告書に過ぎないというのであるが、これらの多くの賛辞を聞いては、是非とも読みたいと思わされた。

 しかし、カエサルは元老院宛の報告書として簡潔に書いているため、二千年前のローマ人にとって衆知・公知のことなど書かれているはずもないだろう。そうなれば、塩野七生女史の「ローマ人の物語」を十分理解した後、ガリア戦記を読まねばならぬことも明白である。

あとがき;
文は人となりという視点で見た場合、オバマ新大統領が27歳のスピーチライターに書かせた文章とはいかなるものだろうか。

カエサルのように貴族出身ではない彼ではあるが、理想主義的な発言から貴族的な精神の持ち主であるように思えるのである。

また「裸体であり純粋であった」点についてはそのような気もするが、政治家の発言として有権者を最も意識せざるをえない関係上、「読者の思惑」はどうしても大きく影響しているはずである。

美辞麗句があるわけでなく簡潔・明瞭についてはその通り守られているが、「洗練されたエレガンス」については、小生の語学力では判断不可能であった。

日本の政治家でこのレベルの文章を書ける人が、早く表に出てくることを願うのである。

 

お断り;明日火曜日は、所要ため休刊します。

 


言葉の力その1

2009年01月25日 09時56分35秒 | Weblog

 オバマ新大統領は、歴代の大統領の中でも傑出した人なのだろうが、それにしても彼の演説で民衆が大歓声で応えるなど、果たして日本で考えられるのだろうか?

次のURLは、ニューヨークタイムスのものである。映像の右側に英文が表示される、早口で聞き取り難いので、文字を見ながら聞くとよいであろう。

http://www.nytimes.com/interactive/2009/01/20/us/politics/20090120_INAUGURAL_ANALYSIS.html

大歓声が起こった幾つかの場面から二つ選びその演説の訳を、朝日新聞から引用する。

その1;
「・・・大国の首都から、私の父が生まれた小さな村まで、今日(式典を)見ている他国の人々や外国政府の皆さんに知ってほしい。米国は、将来の平和と尊厳を求める全ての国家、男性、女性、子供の友人であり、再び主導する役割を果たす用意があることを。」

その2;
「・・・そしてなぜ、60年足らず前だったら地元のレストランで食事をさせてもらえなかったかもしれない父を持つ男が、(大統領就任の)神聖な宣誓のためにあなたたちの前に立つことができるのか、ということだ。」

たまたま歓声を録音した位置に黒人が多かったのかもしれないが、この二箇所に共通することは、彼の父に触れた場面だったと言うことである。

 27歳のスピーチライターが書いた原稿であるが、全てオバマ氏が言っているように聞こえたのであった。根本的には、言葉を発する人の品性・品格・思想・理想などが言葉に力を与えるのではないかと思っている。

塩野七生女史が、外国の政治家と話したとき「よくもこの程度レベルの人が政治家に成れたものだ、我々の国では到底ありえないことだ」と語ったと書いていた。

 わが国政治家から品性・品格・思想・理想などを感じることは久しくない。

国会で漢字の勉強時間があるなど、みっともないことこの上ないのである。つき上げる野党も野党なら、突っ込まれる与党も与党である、なんとも次元の低い幼稚な国会である。

こんな議員達を選んだのは、我々である、全ての責任は我々にある。

謝辞:
ご近所のカメラ名人Yさんより大統領演説の日本語訳ページのある朝日新聞を頂いたおかげで本稿が書けました。厚く御礼申し上げます。


大根おろし

2009年01月24日 05時16分50秒 | Weblog

 NHKためしてガッテンの番組より、耳寄りな事を知った。(この番組をご覧のお方は、以下読む必要ありません)

葉っぱに近い首の部分が甘くて、尻尾に近い部分は辛いというのは、必ずしも正しくないのです。驚きの内容でした。インターネットより一部引用。

 ”今回のテーマは、日本人になじみ深い「大根おろし」。
ただの添え物と思われていますが、調べてみるとその調理の過程には化学反応がいっぱいありました。

さまざまな酵素をうまく使いこなせば、「甘い・辛い」が自由自在になるだけでなく、ほかの食材まで上品においしくしてしまうのです。大根おろしの不思議をガッテンが徹底研究、新たな調理方法をお伝えします。”

 ポイントその1;大根おろしの新常識!
 『大根は内が甘く 外が辛い』 皮に近いほど辛味が強いので、甘い大根おろしを作りたければ、中心部を使用すればよい。逆に、辛いものを作るには皮に近い方だけ使用すればよい。

ポイントその2;大根おろしは時間とともに辛さが変化する。
おろしてから3分後までは辛みが少ないが、そこから急上昇。およそ6分後にピークとなり、その後、徐々に辛味は少なくなっていく。

 甘いものが必要なら、中心部をおろしてすぐに食べるとよい。

その他、詳しくは次のURLをご覧ください。
http://www3.nhk.or.jp/gatten/archive/2009q1/20090114.html


高齢者フリーパス

2009年01月23日 08時41分39秒 | Weblog

 

眼の不調から車の運転をあきらめた関係で、外出により安く便利な方法はないものかと思っていた。

近所の盆栽名人の奥さんが、毎日バスで水泳とか用事で、また毎週くらい岡山市にその他に出かけているのである。それでお尋ねしたところ「ことぶきパス」を愛用しているとのこと。

早速インターネットで「ことぶきパス」を調べると次のような画面が出てきた。

“ 路線バス会社3社が、平成12年4月より県内に住む70歳以上の高齢者を対象とした専用定期券「ことぶきパス」を発売している。

  「ことぶきパス」は、発行バス会社の全路線バス(高速バス、定期観光バス、催事輸送の臨時バスは除く)に自由に乗り降りできるもので、高齢化社会を迎え、高齢者の外出の足として、気軽にバスを利用してもらうことを目的としている。“

 このパスは、R社というこの町を走っているバス会社なら、どこでも乗り降りでき、日に何度でも自由に乗り降りでいるという、まことに便利なパスだと判った。
(この奥さん説明では、69歳6ヶ月以上だと、このパスが購入可能だと教えてくれた、ただし、パスポート用の写真が必要)

小生の場合には、自宅から宇野駅までの運賃は250円くらいになる、もし岡山市まで行くとすると900円弱である、往復すると前者では500円、後者なら1800円近くにもなる。

六ヶ月ものを2万円で購入すると1日当たり110円程度となり、これが乗り放題だとすると、じつに便利な足。

もうひとつの試算;
月1回R社の路線を利用して県南東部の撮影旅行(半年で6回)+週2回の生活上の必要な外出(買い物、通院、図書館、文化センター、銀行・・・、半年で2x24=48回)とすると合計54回の利用程度が考えられそうである。

この場合だと、20000/54=370円/回程度で、実にありがたい金額となる。

「高齢者専用定期券」で調べると各地でも、ほとんどが70歳以上から有効となるいろいろな格安便利なパスがあるようである。

あと2年半後にはその権利ができる、楽しみである。


釣りバカ日誌18

2009年01月22日 06時32分08秒 | Weblog

ようやく民放で見ることができた待望の作品であった。それは「釣りバカ日誌18ハマちゃんスーさん瀬戸の約束」である。

2007年9月8日公開(ロケ地の岡山県内では2007年8月25日から先行公開)。 寅さんシリーズが作られなくなって以降は、このシリーズにはまっているのである。

Wikiによると、このロケは2007年5月7日から始まり、6月1日まで岡山県倉敷市、笠岡市、瀬戸内市、高梁市、岡山市、鏡野町の6市町で行われた、とあった。

笠岡は小生が生まれた町であり、倉敷市と表現されているが実際には、下津井はもとより、小生が住んでいる玉野市でも撮影されたのであった。

そんな関係で、映像に出てくる背景は身近なものや懐かしいものが多く、他の作品に比べてまた別の楽しみ方を与えてくれた。

ママカリの酢漬け、さわら、鯛、メバル、あいなめ、たこ等と共に、渋川海岸、下津井、瀬戸大橋、牛窓など見知った風景が沢山出てきた。

 予告編であるが、下記URLからどうぞ。

http://jp.youtube.com/watch?v=7KzaTFHZBHA

 


ユリウス・カエサル20

2009年01月21日 06時49分08秒 | Weblog

 ユリウス・カエサルは皇帝ではない、彼はブルータスらの凶刃に倒れついに皇帝になることはなかった事は、皆さんよくご承知の通りである。。初代皇帝は義理の息子のアウグストウスであった。

ローマ皇帝の三大責務は、第一に安全保障(異民族との戦に勝利すること)、第二に国内政治、そして第三にインフラの整備(街道や水道や公共の建物など)

五賢帝の一人にトライアヌスという皇帝がいた、AD98年1月、13代皇帝になった人である。この人が、皇帝の三大責務をどのように遂行したか見てみよう。

第一の安全保障、これは異民族との戦に勝利し侵略を防止することである。特にダキア戦役で勝利ドナウ川以北の異民族の侵入を防止したのは有名である。

第二の国内政治では、多くの人民に資する政策を実行したが、その一つとして以下に、育成資金を紹介する。

そして第三のインフラの整備(街道や水道や公共の建物など)では、AD107年から112年間広範囲の公共投資を行い、歴代皇帝の中でも有数の公共投資を行った。

トライアヌス以前は、土地の有力者や資産家が個人的な育英資金の基金となる巨額の寄付をするというのが伝統であった。すなわち個人による育英資金の制度はずいぶん昔から行われていたが、

国家制度としたのはトライアヌスだった。
嫡出の男子 ― 16セルティウス/月
嫡出の女史 ― 12セルティウス/月
庶出の男子 ― 12セルティウス/月
庶出の女子 ― 10セルティウス/月
が成人(男子17歳、女子14歳)になるまで支給された。

 この当時、軍団兵の月給が75セルティウス/月であったから、かなりの額と言えるであろう。この法は、同時に少子化対策としても大いに効果を発揮したそうである。

この制度は成人までと期間が長いのが幼少期のみに制限されている現代と異なり、また全ての子供を対象にしたのと、現代は子供の人数に比例して増額するという点が、今の制度と異なっている。

人々が経済的に恵まれてくると、少子化問題がクローズアップするのは、ローマ時代でも同じだったという点でも興味があった。

ユリウス・カエサルは、「国家の父」という称号を始めて受けたが、歴代の皇帝もこの伝統を受け継いできた。

ローマ皇帝の就任時に行う宣誓は、最初にローマの法に忠誠を誓うと共に、

次いでフォロ・ロマーノの演壇に立った皇帝は「ローマ市民に強大なる権力を与えられた皇帝は、主人としてでなく、父親として、専制君主でなく市民の一人として」振舞うことを誓い。

また「快活であると同時にまじめであり、素朴であるとともに威厳があり、気さくでありながら堂々としていなくてはならない」と心がけたとある。

この考えを「パテルナリズム(温情主義、家父長主義)」と呼んで、隆盛時期の日本企業の経営者達は前近代的と批判されたのであったが、日本の良き時代の考え方もローマ的であったのは一考に価するように思っている。

昨今の西洋式経営スタイルは、信賞必罰と競争心による企業業績の向上を図る方式が主流であるが、

ローマ式、日本式「パテルナリズム(温情主義、家父長主義)」は、個人の自覚と責任感と忠誠心と義務感から生まれた自主性による企業活動の活発化を図るものであった、格差社会の発生や著しい落ちこぼれの発生を予防したことは一考に価すると思っている。

さて、米国の新大統領が、いかなる宣誓をし、従来の西洋的な政治思想にいかなる変革をもたらすのか、本日の就任式に注目している。

ひょっとすると、新大統領が「パテルナリズム(温情主義、家父長主義)」に近い政策を行うのではと期待をしているのだが、どうであろうか。

お断わり;
本日は新大統領の就任式の日である、このためユリウス・カエサル19を飛び越えて20を掲載した、次回19へ戻ります。


わが町探訪-宇野駅宇野港付近

2009年01月20日 07時43分14秒 | Weblog

写真の奇妙な建物は、商工振興会館(商工会議所・レストランなどがある)。港町だと言う視点から、船の舳先を模した外観に作られている。

 瀬戸大橋が開通して20年、宇野駅周辺は、大きく変貌した。国鉄の駅や宇高連絡船など既に過去のものとなった。駅や港は、歌謡曲にも歌われるような、哀愁が今でも漂うのであるが、過去のそれほどではない。

港では、数社のカーフェリーが、数分毎に入出港を繰り返している。瀬戸大橋に比して大幅に料金が安いので、利用者は依然として多い。特に車を利用するとき香川県東部と徳島方面では、安くかつ1時間ほどの休憩が採れる最適な渡海手段である。

しかし、高速道路が1000円乗り放題となる予算案が審議中である、これが実現すると、フェリーの乗客は激減するのではなかろうかと危惧している。2年間限定の高速道路料金の大幅引き下げが、この町に何をもたらすのか、気懸かりなことである。

連絡船のうどんは今でも懐かしく、何とかして再び食したいと思うのであるが、全く出会うことが出来ないでいる。

かまぼこやなるとは紙のごとく薄い、素朴な素うどんで変哲もないものだったが、不思議なことに大変美味しく感じ、乗るたびに楽しんで食したものだった。なぜか、どんな高級なうどんでも、この味にはかなわないのである。

追記:昨日は、久しぶりに俳句のSさんが来てくれた、一緒にお茶を飲んでいたら、とっくに正午になった。こんな訳で昨日は臨時休刊日とした。


ユリウス・カエサル18

2009年01月18日 10時39分13秒 | Weblog

 BC60年は晩生のカエサルは40歳にして起ったのであった。この年三頭政治を密かに結成、翌年から国家改造の第一歩を歩み始めた。

BC59年1月1日、執政官に初就任したカエサルは、着任後数ヶ月は牙を隠し、従来通りの伝統を踏襲した政治を行い元老院を欺いたが、すぐに「アクタ・セナートゥス」すなわち(日報)あるいは(元老院議事録)なるものを、フォロ・ロマーノの壁面に毎日貼り出した。

これはCNN TVが元老院会議場に持ち込まれ実況中継をしたと同じ効果をもたらした。すなわち、もう元老院は仲良しクラブでは立ちゆかなくなったのであった。

 ローマでは伝統的に執政官は、2人制かつ江戸の代官のように月番制であった。当番月は自ら、そうでない月は自派の護民官をつかって法案を提出した。

まずカエサルは「ユリウス国家公務員法」とでもいうべき百数十項目にわたる法を成立させた。この法律は、その後六百年にわたりローマが存続する限り効力を有した。

この法律の骨子は「公職にあるものは贈り物を受けてはならない」というのであるが、元老院派が独占してきた、高級公務員の資金源を断つことが狙いであった。

カエサルの政治は統治される側の民衆への配慮も行き届いており、税制をガラス張りにし賄賂の横行を防止し公平さの確立を図った。 その上、執政官就任後3ヶ月目に宿願の「農地法」を提案した。

これには既得権益を有する元老院議員は簡単に賛成できるものではない。 そこでカエサルは強行突破を断行するため、内密の三頭政治を白日のもとのさらすことにした。

ローマでの最終的な法案の決定権を有する国民投票とでもいう市民集会を開かせたのであった。 反対派が議事妨害を試みるも民衆の怒号で恐れをなし演壇を降りるしかなかった。

カエサルはクラッススに発言を求め、経済界の代表者が賛意を示すと民衆は盛大な拍手で応えた。 次いでポンペイウスに発言を求め賛意を得ると共に、ポンペイウスが実施に当たって、責任を持ってこの法の実施を監視するように求めた。

当然民衆は大賛成である大歓声を響かせた。もう一人の元老院派の執政官が拒否権を発動しようとしたが、民衆は演壇めがけて押し寄せ拒否権を発動するすきを与えなかった。

 それやこれやで、カエサルは着々とポンペイウスとクラッススに対する私益を与える法案も成立させたが、単に個人に対する利益誘導だけでなく、すべて国益に資する法でもあったのはさすがにカエサルだった。

そして、四十にして起ったカエサルはローマ政界を遠隔操作できる手足をローマに残し、8年にわたるガリア征服に赴いたのであった。

「ユリウスとカエサルが執政官であった年」といわれるカエサルの一人舞台であったBC59年はおわり、BC58年からBC51年までの八年間は、カエサルが総指揮を取った「ガリア戦記」の時期になる。

 後世からも名文と評されるカエサル自筆の「ガリア戦記」は、また高い客観性を持って書かれていることでも知られている。


自転車

2009年01月17日 09時39分38秒 | Weblog

 今年の初めから、自転車で外出することを再開した。歩くより頭が揺れない関係だろうか二重に見えることが少なく現在での一番適した外出手段である。

久方ぶりに自転車道路を走ってみた。自転車と歩行者しか通らない関係で、もっとも安全な道路である。ひょっとするとこの町に自慢すべき財産かもしれないと思い書くことにした。

まずどんな自転車・歩行者道路かをご紹介する格好の記事があったのでそれを引用する。昨年の山陽新聞の記事である。


「玉野市宇野の市民病院から玉野税務署沿いに延びる自転車・歩行者道のイチョウ並木が見ごろを迎えた。色づいた葉が日の光を浴びてキラキラと輝き、道行く人を楽しませている。 

(中略) 風に揺られ、ひらひらと舞い落ちる葉はまるでチョウのよう。通りを行く人たちは、空の青と黄色の葉のコントラストに時折足を止めて見入り、晩秋の風情を満喫していた。(後略)」

この道路は、玉野市電の廃線跡(約5キロ)である。


(補足)
1953年(昭和28年)4月5日に宇野~玉(後の三井造船所前)間開通。
1955年(昭和30年)10月1日に玉橋(後の玉駅)まで延長。
1960年(昭和35年)8月3日に玉遊園地前まで延長。
これで営業キロは最長の4.7キロ。

1964年(昭和39年)に電車から気動車に動力変更、電車は琴電に売却。

気動車になっても「電鉄」のままで、市民もずっと「市電」と呼んでいた。

ついに1972年(昭和47年)3月31日に廃止された。
廃止後、軌道跡は自転車道として整備をされた。今でもほとんどの線路跡が残っており、当時の面影を見ることができる。

1964年(昭和39年)に玉野市営電鉄は赤字対策により気動車化されたために電車は余剰となり、

1965年(昭和40年)に琴電に売却された。琴電入りした電車は、当初は琴平線で運転され、


そしてしばらく活躍した後2006年(平成18年)8月25日に最後の営業運転をおこない、9月初旬に引退した。 これを市内の有志が、引き取り保存している。







旅情

2009年01月16日 06時34分21秒 | Weblog

 NHK BSでは、昔懐かしい映画をたびたび楽しめるのである。最近またまた懐かしい映画を見た。若かった頃を思い出しながら、音楽でもどうぞと思って書いた。

キャサリン・ヘップバーン、ロッサノ・ ブラッツィ主演の映画「旅情」である。
一昨年、小生も短時間ではあったがこの地を訪れた関係で大変懐かしく鑑賞できた。
半世紀前のヴェニスの美しさを、現在と比較しながら見るのも楽しかった。

小生の世代では、なんとも懐かしく、若い頃を思い出させ、切ない思いのする映画です。

主題歌は、Pinchi作詞、 A. Icini作曲の曲、 ユーゴー・ウィンターハルター楽団の演奏が有名。

YouTubeから次の映像を選んでみた。音楽を中心に見てもらいたい。

 Summertime In Venice - Jerry Vale

<!-- 旅情 -->

 

参考までにあらすじをどうぞ。

アメリカの地方都市で秘書をしていた三十八歳のジェイン・ハドスン(キャサリン・ヘップバーン)は、欧洲見物の夢を実現し、ヴェニスまでやって来た。

相手もなくたった一人で見物に出かけ、サン・マルコ広場に来て、喫茶店のテイブルに腰を下した。 しかし、背後からじっと彼女をみつめる中年の男(ロッサノ・ブラッツィ)に気づくと、あたふたとそこを去るのであった。

翌日、彼女は浮浪児マウロの案内で名所見物をして歩いた。通りすがりの骨董店に入ると、そこの主人は昨日サン・マルコ広場で会った男だった。うろたえた彼女は十八世紀の品だというゴブレットを買い、そうそうに店を出た。

その日の夕方、ジェインはまたサン・マルコ広場へ行った。例の男も来たが、彼女に先約があると感ちがいし、会釈して去って行った。

骨董店の主人レナートは、その彼女のホテルを訪れ、夜、広場で会おうと約束した。その夜の広場でジェインは初めて幸福感に浸り、思い出にくちなしの花を買った。別れるとき、レナートは彼女に接吻し、明夜八時に会う約束をした。

 翌日、彼女は美しく装って広場へ出かけたが、彼の店にいた青年がやって来て、彼が用事でおそくなることを告げた。青年がレナートの息子であることを聞いたジェインは、妻もいると知って失望し、広場を去った。

ホテルへ追って来たレナートは妻とは別居しているといい、男女が愛し合うのに理屈をつけることはないと強くいった。ジェインはその夜、レナートと夢のような夜を過した。そしてそれから数日間、二人はブラノの漁村で楽しい日を送った。

 ヴェニスへ戻ったジェインは、このまま別れられなくなりそうな自分の気持を恐れ、急に旅立つことにきめた。発車のベルがなったときかけつけたレナートの手にはくちなしの花が握られていた。プラットフォームに立ちつくすレナートに、ジェインはいつまでも手をふりつづけた。


青春18きっぷ

2009年01月15日 10時07分55秒 | Weblog

 昨日は定期健診の日、倉敷までの道中で列車に同席した同年代の男性から耳寄りな話を聞いたので掲載する。(ご承知の方も多いのであろうとは思うが)

彼は、早朝京都から鈍行列車を乗り継ぎ岡山まで3時間、更に西に足を伸ばして呉市海事歴史科学館 大和ミュージアムを見物し、また同じコースで京都まで帰ると言う。

なんと、一日乗り放題で2300円だと言う、ちょうど残り1回分(1日分)の使用期限が1月20日までなので、思い立って旅に出と言うのであった。

 時間には不自由のない我々世代にはローカル列車ののんびりした旅は結構味わい深いと言う。

車を辞めざるを得なくなった関係で、遠出はバスか列車が中心となる身では、大変耳寄りな話だった。

腰の痛くなるのが不安要因だが、運賃が安くなった分、道々豪華な弁当など食しながら旅をするのも一興であろうと感じた。早速一度体験してみようと思っている。

参考1: 次は、JRの「とくとく切符」のサイトである。
http://tickets.jr-odekake.net/shohindb/CNT202.do?ld.serv=ap01

参考2:インターネットより参考情報を抽出してみた。ご興味のある方はご一読ください。

青春18きっぷの特徴は、全国のJR線の普通列車・快速列車がその日限り乗り放題で乗り降り自由・途中下車自由という。

 青春18、というと何か年齢制限がありそうなネーミングですが、実際には利用者に年齢制限はなく、有効期間内であれば誰でも使用できる。ただし、一年中使用できるというわけではなく後述のように発売日も利用期間にも制限がある。

こども用はなく、おとな・こども同一料金。枚数制限はなく、売り切れということはない。 JRの駅にある「みどりの窓口」のきっぷ売り場や、JTB、日本旅行などの旅行会社で購入できる。

申し込み用紙などはいらず、そのまま窓口で「青春18きっぷをください」と口頭で言えば購入できる。

乗車できる列車はJR全線の普通列車と快速列車の自由席のみ。
青春18きっぷは1枚で5回分(5人分)使用することができ、11500円。1回分は2300円の計算になる。

切り離して使用することはできず、5回分11500円でしか発売されていない。
1枚で5回使えると考えたほうがよい。 きっぷには日付けを押す欄が5つあり、使用する日や人数によって日付け印を押してもらうことになる。

ひとりで5回分使用したり、友だちや家族での複数での利用も可能。
しかし、複数人での利用には同一行動をする必要がある。 また、1回でも使用してしまったら払い戻しはできない。 

青春18きっぷが余ったり、5回分はいらないけれど3回分だけ欲しいという場合には、青春18きっぷ交換掲示板に書き込んで譲渡するという方法もある。

青春18きっぷの有効期間というものは決まっている。主に学生の夏・冬・春休みに使用することができます。期間はだいたい次のようである。

=夏期= 7月20日から9月10日まで
=冬期= 12月10日から1月20日まで
=春期= 3月1日から4月10日まで

 ただし、これは過去の場合であり、本年度は変更される場合もありますので参考程度。
使用期間中でしたらいつでも使用できる。お盆の時期や年末年始も利用できる。

しかし、数回分余ったということで次の期間への持ち越し使用はできませんので注意して下さい。その期間の有効日までに使用して下さい。

 一日の有効期限
青春18きっぷの1日分は午前0時から24時を過ぎた最初の停車駅までが有効です。
つまり、乗車日が翌日にまたがる列車に乗車する場合は午前0時を過ぎて最初に停車する駅まで有効です。

ただ、東京/大阪の電車特定区間内だけでは24時を過ぎても終電まで使用することができる。

乗車列車が翌日にまたがる場合で、その翌日から有効利用したいという場合には、その列車の日付けが変わって最初に停車する駅までの乗車券を購入して、日付け印を車掌に押してもらって下さい。

例として、東京発下りムーンライトでは東京発が23:43であり、品川-横浜間で日付けが変わってしまいます。
次の日から有効利用したい場合には、日付けが変わる最初の停車駅「横浜」までの乗車券を購入して、18きっぷは横浜から使用するということができます。東京からの乗車でしたら、東京-横浜の乗車券450円を購入して車掌の検札時に印を押してもらいましょう。