12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

馬上枕上厠上(ばじょうちんじょうしじょう)

2007年05月30日 06時10分36秒 | Weblog

今日のお題は、三つの上とかいて「三上(さんじょう)
=考え事をするのに最も適した場所」ついて。

三上とは、千年ほど前に中国で始まった言葉。

馬の上と書いて「馬上(馬上)」、
それから枕の上と書いて「枕上(ちんじょう)」、
最後は厠(かわや)の上とかいて「厠上(しじょう)」、
これら3つを合わせたものの事。

いずれも自由な環境のときに、人間の心は開放されてアイデアが出るということである。

馬上は、車上とか車中とかに読替えたら、現代にも十分通用する。
列車やバスの中では、人間観察派と読書派と居眠派がある。

最近では、列車・汽車の類には縁が無くなった、もっぱら、車である。

時々、これはという俳句が浮かんだり、ブログの素案が浮かんだりするが、なにぶんにも、運転中のため、書き留めることが出来ない。

 思いついたことをすぐにメモすればいいのだが、ほとんど30分後には忘れてしまって、
停車し書ける状態になったときには、多くのものが思い出せないのである。

枕上は、頭が枕の上だから、寝る前、睡眠中・覚醒前・覚醒時などであろう。

第一は、睡眠薬代わりの読書と深夜放送、これも時々面白い話題がある。
その次は、夢や目覚めのときに、これはと思うものがあるとうまくいけばメモできるが、ハッキリ目が覚めてみると、なんともツマラナイことが多いのである。

厠上は厠(カワヤ)、邪魔がはいらない唯一の場所でもあり、心静かに考え事をすることに適しているよく言われる。

しかし、小生にとってはあまり落ち着けない場所で、これは生まれつきなのだからと諦めている。


また「スウェーデン式 アイデア・ブック」という本では、「創造性の4B」といって、

バー(Bars)、バスルーム(Bathrooms)、バス(Busses)、ベッド(Beds) が頭が冴えてひらめきやすい場所だと紹介されている。

バー(Bars)というのは、人と話をする所であろうから、人と話をしている最中に、いろんなアイデアが出ると言うことのようである。

なんとなく判るような気がするのであるが、しかし、昔のように人と深く話をする機会がなくなってしまった。

「バス」というのもがよく判らない。なんで「電車」じゃだめなんだろうか。

「バスルーム」では、これまでこれといったよいアイデアを思いついたことが無い。

と言う事で、馬上と枕上は、人並みかもしれないが、

残りのひとつを探しあぐねている。

何とか自分の場所を、探し出したいものである。


インターネットの不安

2007年05月29日 06時18分18秒 | Weblog

ANAのコンピュータが不調で、半日欠航・予約もうまく出来ない状態が続いた日のこと。

そんなこととはつゆ知らず、予約を試みたのである。
旅程の都合で、往きはANA、帰りはJALで予約を開始した。

A社は、順調に手続きが出来た。
(このときは既に不調が知れ渡り、アクセスが大幅に減少していたのであろう)

反面J社の方は、ものすごい殺到状態にあったようで、インターネットの接続は極端に遅くもたもたし、最終の予約完了の画面が、どういう訳か、真っ白で何も見えないのである。

 真っ白で、何も見えないということは、「予約番号」が判らないのである。

予約確認という作業をしたくても、Keyになる「予約番号」が不明では手も足も出ないのである。

直ぐに、Telで連絡しようとしたが、話中で全く繋がらず、電話の前で1時間くらい悶々としていた。
(インターネットが満員なら、当然電話も満員になる)

この不安というものは、非常に嫌なものである。

幸い、予約確認通知メールを受信するように指定したことに気が付き、メールを見ると「予約番号」が記載されていた。

 これを使用して、予約の確認が出来たので、ほっとした次第である。

幸い、最終的には、A社・J社ともどちらもうまく予約は出来たのであるが、このようなことがあり、暫く不安な気分であった。

利用者にとっては、思いがけない不具合・不調・混乱のとき、全く手も足も出なくなってしまう。

災害・事故・暴動・騒乱・ストライキ・・・・疫病・テロ・はたまた戦争・・・などの、不測の事態における、

インターネット社会の脆弱性に、大きな不安を感じたのであった。


クラクション

2007年05月28日 06時36分01秒 | Weblog

数十年前は、日本でもクラクションの洪水であった。

韓国・中国・・・などの、近隣諸国も同様であった。 

最近の近隣諸国で驚ろかされるのは、街が、クラクションから開放され、静かになったことである。

まさに、「・・・足りて、礼節を知る」の類である。

やや気になったのは、携帯電話であるが、言葉が判らない分、これもかつての日本ほどには気にならなかった。

旅行の記録DVD・音楽CDを作り、思いつきで身近な人に配りまわり、

「要らないのに・・・」と、人の迷惑を顧みず、おそらく顰蹙(ひんしゅく)をかっているのであろう。

諸芸に練達して、「是非俳句を一句」とか、「すばらしい水墨画の作品を、是非1枚とか」、

請われておもむろに、恩着せがましく、贈呈できるようになる日まで、 じっと我慢をしなくては思うのであるが、自己顕示欲に勝てないのである。

 「・・・足りて、礼節を知る」の境地からは、程遠いのである。


かけ

2007年05月27日 06時23分04秒 | Weblog

 賭け事は、小生の最も不得手なもののひとつである。

 パチンコ・競馬・マージャン・株・・・、何一つ他人に誇れる成績のものが無い。

先日ストレッチ体操の岡山県総会なるものに、初めて出席した。

岡山・岡南・早島・倉敷・加須山・琴浦・玉野の各教室から有志数名ずつ、総計約五十名の出席者。

多くの参加者が、腰痛・ひざ痛などに悩んでいた、と聞いた。

また、どこかに故障のある人こそが、継続する確率が高いとも言っていた。(一病息災の例えのようにである)

会長(我々の教室の先生でもある)から、“xxx痛が直る”という表現をしないようにと厳重な注意があった。

 医療行為ではないので、この種の表現は、禁止なのだそうである。

さて、総会の話はこれくらいにして、肝心の「賭け」のお話に進めよう。

七十代はもちろん八十代、更には、九十代の人たちも、この体操を楽しんでいると言うのである。

それで、思った。 小生が、10年後・もし生きていれば、20年後、

その1;背筋をピンと伸ばし颯爽かくしゃくと歩いているのか。

その2;あるいは、何にもしない普通の皆さんと同じように、年相応によぼよぼしているのか。

どちらだろうかと考えた。
これらのいずれに該当しているのか、それは、一種の賭けである。

この賭けくらいには、10年後20年後に、せめて快勝したいものである。


SLの思い出

2007年05月26日 05時02分24秒 | Weblog

 最近、関口知宏の「中国鉄道大紀行」が放送されている。

中国の鉄道を「一筆書き」で、3万6千kmを乗り尽くそうという番組である。

既に、彼は日本の鉄道は乗りつくしており、先日はヨーロッパやカナダなどの鉄道の旅も放映していた。

また最近は、TVでSLを取上げた番組にしばしばお目にかかるのである。

小生は、山陽本線のK駅から100mくらい北で生まれ育った。

子供の頃は、ホームに列車が到着してから、出かけても十分乗れると、豪語したものであった。
(家にいても、アナウンスやベルの音などで、列車の状況が手に取るように判るのである)

男の子は、総じて列車が好きである、ご他聞にもれず小生も例外ではなかった。

上りの機関車停車位置の真上、プラットホームの東端に陸橋が掛かっていた。

どういうわけかしばしば、オヤジがこの陸橋に連れて行ってくれた。

陸橋の階段の下では、ピストンから放出される蒸気を全身に浴び、
陸橋の上では、真下の機関車の煙突から吐き出される黒い煙に包まれ、

なんともいえない臭いを楽しみ、発車の汽笛に耳を押さえたものであった。

人間的な蒸気機関車は、子供の頃の思い出に直結するのである。


本質安全

2007年05月25日 07時05分01秒 | Weblog

 NHK TV 「失敗学へようこそ」より(工学院大学教授 畑村洋太郎)。

 新しいことには、「避けられない失敗」・「必然的に起こる失敗」・「通らなくてはならない失敗」がある。

それ故、先生は、「成功する方法」を突き詰めるより、「失敗の方を突き詰めることが大切」とおっしゃる。

数年前、回転ドアに男の子が頭部を挟まれという不幸な事故があった。

小生なども、時たま回転ドアに遭遇すると、とても危険な気味悪いものに思え、別の通常のドアから出入りするのである。

 ヨーロッパ製の回転ドアは、「本質安全」性を備えていると先生はおっしゃるのである。

この「本質安全」という言葉は、小生にはそれほどなじみのある言葉ではなかった。

「本質安全」とは、回転ドアの場合でいえば、たとえ回転羽根に挟まれても、人身事故に結びつかない構造とすることである。

(ヨーロッパ製は、極度に軽量化することにより、ほぼこれを満足している-小さい子供の場合には、問題があるように思えるのだが)

本質安全について、もう少し飛躍した解釈をしてみると、
飛行機が墜落しても、人身事故にならないような安全性を備えているようなものである。

(こんなことは、現在の技術では、荒唐無稽と言われかねないのだが・・・)

事故を起こした回転ドア(日本製)は、様々な事情から
→大型化・重量増加(ヨーロッパ製の3倍の重量)
→「制御安全=安全装置を多重に設置していたのだが」
→「本質安全」を忘れていた。

この結果、「一つの重要な安全装置であるブレーキ作動後でも、30cmも行き過ぎる」+「挿まれると大きな破壊力が発生し、重大な人身事故を引き起こす」ものになっていた。

 では、これを「本質安全」にするための改善対策は?

 現在、研究されているいるひとつのアイディアは、
回転羽根の先端部が、物を挟みそうになると蝶番で折れ曲がる構造、とすることを検討しているのである。

 こうすれば、たとえ回転し続けても、挿まれる危険性は皆無に等しくなる。

これに急速停止ブレーキや各種安全用センサーなどの安全装置を付加すれば、多重安全性を持つことになる。

(このように安全性向上の制御装置を持つ場合を「制御安全」と先生は説明された)

「本質安全の上に制御安全を加えて、本当に安全なものとつくる」べきであると先生はおっしゃる。

小生には思いもつかなかった思想を教えていただいた。

小生世代の多くの考え方には、「安全性とは幾重にも制御安全を備えること」と考えていたのだったが、これでは完璧ではなかったのである。

 もう少し早く、この思想を知りたかったのである。


IE7

2007年05月23日 07時07分17秒 | Weblog

土曜塾の世話役Sさんが、ブログにIE7のことを書いていた。

彼は、コンピュター関連の会社の社長を経験した人で、なんといっても、専門家であり、非常に熱心でもある。

Sさん運営中のホームページ
• 田井土曜塾
• スマイルネット玉情協
• とんぼ玉クラブ
• パソコンたまごクラブ

同じく運営中のブログ
• Picasa玉野みなと芸術フェスタ2007
• WEBの進化と動向(livedoor)
• 土曜塾ブログ(google)
• 土曜塾コラボレーションブログ(goo)
• とんぼ玉クラブブログ(livedoor)
• スマイルネット玉情協ブログ(livedoor)
• パソコンたまごクラブブログ(goo)
• 玉野みなと芸術フェスタ2007

驚くほど多彩な活躍をしている。

 加えて、学校や市内のパソコン教室の講師・NGOかNPOか知らないが幾つかのグループ代表等など、多くの肩書きを有するマルチタレントである。

とても彼の高度な話にはついていけないのであるが、専門家ではない小生が、好奇心ではひけをとらない。

それ故、負けてなるものかと、IE7も既に運用中である。

IE7は、お気に入りを便利に使えるので、重宝しているが、それ以外これといった、利便性を感じていない
(フィッシング対策に有効ときているが、判っていない)。

それに加えて、Googleディスクトップ“ガゼット”というものも使っている。

こちらは、現在、目の不調から、パソコンの使用時間を制限されたため、少しでも早く楽に情報を得ようとしたためである。

何がどんなのかと言うと、ブログを例にとれば、

「よく見るブログが更新されると、その情報が、見出し(インデックス)として自動的にディスクトップに表示されるのである」、

そして、見たければクリックするのみで繋がるのである。

それ故、更新の有無にかかわらず、お気に入りのブログを次々と全て覗いて見る必要がなくなったのである。

 更新のあるところのみ、覗きに行けるようになったのである。
このことで、パソコンとにらめっこする時間の大幅な削減が可能になった。

Sさんによれば、他社でも似たようなものがあり、今後はこの種の方向に進化して行くだろうと、ブログに書いていた。

 注記;
小生としては、読者のパソコンにこれらが適合するものか否か判断できない故に、ご興味のある向きは、自己責任でご試用下さい


痛みいろいろ

2007年05月22日 06時06分43秒 | Weblog

 本稿は、ストレッチ体操の話である。

最近、玉野教室で、“痛いけど、気持ちがいい”と話している人が居た。
その通りである、小生も1年目を迎え、痛みに二通りあることに気が付いたのである。

 この体操で初めて知った、「楽しみな・病みつきになる」痛さなのである。

それは「(歯の痛みのような)耐えられない痛さ」とは、全く異質な痛さである。

それで、先日入手した10周年記念誌を紐解いてみた。
(今年度は、15周年にあたるので、年度末には15周年記念誌が刊行される予定である)

 A: 倉敷教室 Oさん  
”「イタイ」に二通りあった”と題する掲載文より 。

“・・・「イタイイタイ」と言いながら体を伸ばす心地よさ、・・・”

B:琴浦教室 Tさん 掲載文より

“・・・ふくらはぎが少々いたいのですが、少し我慢すると心地よい痛さに変わります。・・・”

以上のような記載が、あった。

 我々新人にとっては、新世界を覗いたような新鮮な驚きであったが、先輩諸氏にとっては、ごく自然な当たり前の事だったのであろう。

小生の場合は、両ひざに故障がある。
そのため、四十代前半で、ゴルフを止めざるを得なかった。

 二十年間ひざをかばい続けていたのであった、この結果、ひざ周りの筋肉は萎縮と硬化をしたのであろう。

始めた頃は、翌々日まで全身的に筋肉痛になっていたが、最近では、体操中この両ひざ付近の筋肉のみが痛くなり、そして軽い痛みが1日くらい残るのである。

そして、体操中伸ばしていると痛いのではあるが、気持ちのいい痛さなのである。

元の健全な状態に戻そうとして伸ばすためだろうか、痛みではあるが、「不思議に」気持ちがいいのである。

そして、少しずつその痛みが薄らいできている。
この痛みが、完全になくなったときが、元の健全な筋肉に戻ったといえるのかもしれない。

この痛みが消える日を楽しみに、伸ばし続けているのである。

それでも、ひとつの不安がいつも心の片隅にある、それは「ストレッチを止めると元に戻る」という不安である。

「元に戻る」という脅迫観念に、背中を押されて、続けているのである。


趣味講座の1年

2007年05月21日 05時50分32秒 | Weblog

 全ての講座が新年度を迎えたので、1年を振り返っておく。

 1. 俳句:
昨年度は、先生の急逝に伴う激変期となったが、新進気鋭の先生をお迎えすることができ、また、生徒さんも増え、活況を呈し始めている。

作句は、ぼちぼちであるが、雑誌・新聞・TVなどで、人様の句を楽しめる状態になったことは、絶大なる進歩であると自認している。
(名作曲家や名演奏家には、誰でもはなれないが、多くの人が聞くことを楽しむことが出来るように、優れた人達の俳句を楽しめるようになった)

 2. 水墨画:
描く楽しみを味わいたいと始めたのであるが、その境地には程遠いのが現状である。

満足の出来る一本の線を描ける日が来るのは、何時のことであろうか?
今年度も投げ出すことにならないようにと念じている。

3. 源氏物語:
始まったばかりである。とにかく、続けることこそ第一と心得ている。

4. ビデオ編集と土曜塾
困ったことに目の具合が悪い、良くならない。
暫く目の健康を優先し、休眠することにした。残念至極である。

5. 太極拳:
今年度から、毎金曜日夜間2時間のコースを追加した。

これで月計12時間学ぶことになった。
筋力不足・覚えられない等、進歩は殆んど無いのであるが、初心者に比べるとそれなりに一日の長があることを実感している。

進歩の早い人と比べるのではなく、自分なりの進歩を求める努力をする以外にないと割り切った。

6. ストレッチ体操:
まだまだ上級者の柔軟度レベルには程遠いし、日常生活でのひざの痛みは殆んど無くなってきたのであるが、10km歩行では、残念ながら軽度の痛みが生じた。

この次は、20kmを目標に、歩行距離を伸ばすための訓練も加えていきたいと考え始めた。

 一病息災のたとえの如く、“ひざの痛み克服”が継続の力となっている。

怠けると“ひざの痛みがぶり返す”という恐れが、PPK(ピンピンコロリ)のその日まで、体操を続けさせてくれるような気がしている。

2教室休場、新規進出1教室、その他横這いと芳しい成績ではないが、

「人は人、我は我」、まあまあ上出来の一年であったことにしようと、自画自賛しているのである。

来年度は、どんな風に書いているのだろうか。


水分補給法

2007年05月20日 07時10分21秒 | Weblog

これは「ためしてがってん」で教わったことである。

最近、ペットボトル持参の方を多く見受けるようになった。
この習慣は、「先取り」「小分け」の水分摂取には、非常に適した方法のようである。

「渇いたら飲む」という意識だけで水分を摂取していると水分不足になりやすく、放置すると脳こうそくや心筋こうそく、熱中症の危険が高まると言う。

暑くも寒くもない環境で、安静時、1日に、尿は約1.4リットル、呼吸・皮膚からの蒸発は約0.9リットル、便に含まれる水分は約0.2リットルで、1日合計約2.5リットルの水分が失われる。

1日3食の食事中に約1リットルの水分が含まれているため、最低でも残り「1.5リットル分は水分として飲む」のが望ましい。

 失う水分量を知った上で、「失う前に “先取り” して飲む」のが理想的だと言う。

がぶ飲みすると、尿として出てしまいやすいので、
「 “小分け” に飲む」のが良いのである(トイレが近くなるので、飲み過ぎにはご注意)。

アルコールやカフェインを多く含むコーヒーなどの飲料は利尿作用が高く、飲んだ以上の水分が尿として排出されるので、水分摂取の目的には適さない。

暑い時や運動時に汗をかくと、さらに1日1リットル程度水分を失う。

 実験によると、運動後、飲んだ水の量は、かいた汗の量の半分にも満たないという結果だった。

不思議に、人間はずっと少ない水分補給で満足してしまうことが判った。

それ故、専門家は、
「ただ“渇いたら飲む”だけでは、体内の水分を保つには不十分」との指摘。
(むやみに飲み過ぎると「水中毒」で命の危険もある)

最近の研究では60~70歳代にかけて、腎臓の機能の衰えとともに“アクアポリン”の数も減少していくと考えられている。

“アクアポリン”とは、聴きなれない言葉である。
2003年、アメリカの科学者が人間の体の細胞に「アクアポリン(水の穴)」と名付けられた新物質を発見した功績で、ノーベル化学賞を受賞。

その実体は、内部に小さな穴が開いた筒型のたんぱく質。
この穴は、1秒間に数十億個もの水分子を通すことが出来る。
(水以外は通さない)

この「水の穴」が体内にあるからこそ、人間は涙を流すことができたり、肌に水分が補給されたり、ものを食べる時に唾液が分泌されたりするのである。

この「水の穴」が体内の「血液中の水分や老廃物を濾過して尿を作る腎臓」に水の通り道を作ると、飲んでいる水の量が少なくても、脱水症状にならずに済む。(アクアポリンが尿から水分のみを血液に戻すから)

ところが、いつもアクアポリンが正常に働いてくれるとは限らない。
年をとると、腎臓はホルモンによる脳からの指令への反応が鈍くなり、さらには腎臓の細胞内にあるアクアポリンの数自体も減ってくる。

その結果、尿から水分を取り戻すことで脱水症状を緩和することが難しくなる。

その分、積極的に水分を摂らないと、脱水症状に陥りやすくなる。

つまり、1日に摂るべき水分量を決めて、あらかじめ先を見越して、意識的に飲むことが重要だと言う。

最後に、再び同じ事を言う。

1.失う水分量を知った上で、「失う前に “先取り” して飲む」のが理想的。
2.がぶ飲みせず、「 “小分け” に飲む」。

 特に、暑くなるこれからは、これらを守って、安全に運動をしましょう!


暗黒物質

2007年05月19日 07時42分15秒 | Weblog

 NHK TVの宇宙の番組からの受け売りであるが、番組名を忘れてしまった。

4:22:74という比率で、宇宙が構成されていると言う。

4%は、原子・元素・・・星・恒星など人間知っている、普通の物質の量である。
22%は、暗黒物質(ダークマター)の量であり、
74%は、暗黒エネルギー(ダークエネルギー)の量だと言う。
(このエネルギーは、重力の反対のエネルギーで、宇宙を膨張させるエネルギーと言う)

22+74=96%は、未知の物質やエネルギーなのである、ということは、殆んど何にも判っていないことになる。
(物質とエネルギーは、同じものなのだそうである)

22%の暗黒物質(ダークマター)の性質とは、次の四つだと言う。
1. 見えない
2. 質量がある
3. 我々の周りにあるが、すり抜けることができる
4. 宇宙の誕生のときに造られ、安定である。

京大では、「アキシオン」という未知の素粒子だろうと考え、懸命に探している。

また、東大では、小柴先生がノーベル賞を受賞した神岡鉱山の地下1000mくらいのところで「ニュートラリーノ」という素粒子ではないかと、こちらも懸命に調べているのである。

超極大の宇宙を知ることが、超極微小の素粒子を知ることに繋がるとは摩訶不思議に思えた。

神の力というか、Something Great(何か偉大なるもの)の力というのか、超極大から超微小の世界への神秘的な輪廻を連想させるのである。

まさに雲をつかむような、ワケノワカラン話であったが、一番印象的だったのは、三十代から四十代の若手研究者が中心になって、研究をしていることであった。

小生の思い込みでは、博士や教授は、バンカラで風采の上がらない難しい顔をした人達かと思っていたが、しゃれたカラーシャツにジーパンの博士や教授達に混じって、美人のハイカラな博士・教授さん方も見受けられた。

更に、ジーパン博士にハイカラなファッションの男女の学生さん方が、研究や勉強をしており、なんだかはつらつとした明るい希望のようなものを感じたのである。

ぜひとも、世界に先駆けて、偉大なる発見をして欲しいものである。


60歳から(その2)

2007年05月18日 06時55分19秒 | Weblog

( 同窓会ブログで、友人Aが次の新刊本を紹介した。
渡辺昇一(77歳)著「60歳からの35年間を設計する、中高年のための実践的幸福論」、『95歳へ!幸福な晩年を築く33の技術(飛鳥新社¥1200+税)』 )

 「60歳から(その1)」の続きである。

文中、小生の思考の波長に一致する記述が、幾つかあったので列記した。

*記憶こそが人生そのものである、
記憶が多いほうが豊かな人生になるからである。

*記憶力は筋力と同じで、鍛えれば強くなる。
最も大切なことは記憶力を鍛えること。

脳活性化のためによいことは、暗記すること、言葉をしゃべる、舌や喉を動かすことである。

A;暗記の勧め

知力を維持したいと思うならば、何か暗記せよ。

「般若心経」でも、百人一首でも、英語の諺でも、漢文の名文句でも、唱歌や流行歌の歌詞でもよい。

・・・(小生)これは参考になった、今からでも遅くない、即実行である。

 B;音読の勧め

楽しんで読める本を音読したり、仏前での読経でもよい。

・・・(小生)毎日かんきん実行中、なれど、更に広げよう。

C;修道の勧め

60歳定年を立派に果たした人は、一応の修行者だったのである。

その残りの35年間は、修道生活に入ってもよいのではないか。

瞑想、信心、巡礼などなどがよいのではないか。

・・・(小生)これは今後の課題である、時間はたっぷりあることにして、ぼちぼち検討しよう。

同窓会ブログは、よってたかって書き込む形式で運営する
「乗り合いバス」方式のブログである。

1ヵ年少しを経過して、だいぶ運営が円滑になったが、参加者が少ないのが悩みの種である。

 六十台半ばの同窓会メンバーは、まだまだ時間的余裕の少ない経営者組・現役組も多く、楽隠居族の比率はそれほど高くないのと、

パソコン端境期世代のためや秘書任せのパソコンに疎いものが多い、こんな関係で、38名の存命者中半数以下がパソコン常用者に過ぎない。

パソコン人口を如何に増やすかが、最大の問題となっている。


60歳から(その1)

2007年05月16日 08時02分54秒 | Weblog

 同窓会ブログで、友人A(強力な演算用のコンピュータ6台を用いて、ホームトレイダーをしている)が、次の新刊本を紹介した。

渡辺昇一(77歳)著「60歳からの35年間を設計する、中高年のための実践的幸福論」、
『95歳へ!幸福な晩年を築く33の技術(飛鳥新社¥1200+税)』

有難いことに、友人Aはエッセンスを纏めておいてくれた。

更に、有難いことに、別の友人B(異文化研修、ビジネス研修、語学研修などを主要業務とする教育・研修の専門機関「インテックジャパン」を経営、コンピュータ7台を使用、IT業務でも活躍中)が、
小生の書き込みに異論を唱えた。

それを以下に併記しておく。
人それぞれ、思いは違って当たり前、しかし、この友人Bは、小生よりはるかに深くものを考えていることが改めて判った。

 どうも、小生は、軽薄・表面的人生を送るように出来ているらしい。

《基本的な心構え》

・晩年は「賢明さ」より「楽しさ」が大切
・・・(小生)その通り、実践中。(お迎えがくればハイそれまでよ)
・・・(友人B)賢明さと楽しさの2者択一はおかしい。むしろ「懸命さ」をとる。60過ぎても懸命にやっていると楽しく感じられる時もある。

 ・時間はたっぷりあるのであせらなくていい
・・・(小生)その通り、実践中。(お迎えがくればハイそれまでよ)
・・・(友人B)時間はそんなに有るという保証はない。いつ時間切れになるか分からない。

 ・ いわゆる理科系的(進歩と競争に追い回される)生活から脱出して、文科系の世界に生きがいを見つけるのが賢明
・・・(小生)その通り、実践中。
・・・(友人B)理科系と文科系という仕分けの理由がわからない。        工学部生は左脳ばかり使うので、右脳も使えということだろうが、
どちらでもよいのではないか。
般若心経を覚えたり筆写したりするのは左右どちらになるの。

・ 「自分もああなりたい」という存在を思い出そう
・・・(小生)思い出せない、探すべきか探さざるべきか?
・・・(友人B)そんな人がいてもシチュエーションが違うから目標にしても意味がない。結局は自分流でいくしかない。

 ・ 手本は天才でなく、平凡な人の平凡な教訓が役に立つ
・・・(小生)その通り、凡人同士助け合えばよい。
・・・(友人B)この期に及んで人の人生教訓などは頭に入らない。他人に教訓めいたことを言う必要もない。

 ・ 《自分のテーマを発見するには》
・自分の能力が生かされることは何か
・・・(小生)判らん、いまさら能力なんかどうでもよい!
・・・(友人B)今となってはそんなことは気にせずに自分が興味を持てることをすることがテーマではないか。もっとも開発途上国の支援に参加するような場合は別だが、残念ながら持ち合わせていない。

 ・ 若い頃にやり残したことは何か
・・・(小生)思い当たらない、忘れた。
・・・(友人B)遣り残したことはない。といってもすべてやりつくしたわけでもない。今度生まれ変わる時は・・・という仮定ならいろいろ言えるが。

 ・何をしている時が楽しいだろうか
・・・(小生)何をしても楽しいのだが?
・・・(友人B)思秋期だから楽しい時よりも憂鬱な時が多い。楽しい時というよりも憂鬱でない時という方が近いのでは。

 ・願望は紙に書いて貼っておこう
・・・(小生)実行しよう、直ぐ忘れるから。
・・・(友人B)紙に書いて貼らないと忘れるような願望ならたいしたことはない。本当の願望ならいつも頭の中に存在しているはずだ。紙に書いて貼るのは、来週の予定とかパソコンのパスワードとか・・・

・実現の手段は考えなくていい
・・・(小生)そういうものかなー?
・・・(友人B)ガムシャラに実行するしかないのでは。継続は力なりという。     ドンドン安易な方に流れてしまわないようにしたいと思う      (スポーツクラブの筋トレではいつもそう自戒している)。

その2に続く


ないないづくし

2007年05月15日 07時19分29秒 | Weblog

 本稿の題名を、なんとも悲観的な題名にしてしまった。
先日NHKで放映された番組の受け売りで、またまた遺伝子を取り上げることにした。

 レオナルド・ガレンテ博士が発見したSir2(サーツーと読む)遺伝子とは、別名“長寿遺伝子”とも呼ばれている。

 この遺伝子は、老化のプロセスを遅らせる事により、老化の調整をするとの事。

具体的には、次のようなことをするという。
1. 細胞修復たんぱく質の活性化
2. アポトーシス(細胞の死)の抑制
3. 生命維持エネルギー量の調節

酵母菌で発見され、引き続きて線虫・マウス・人間からも見つかったとの事。

 酵母菌は遺伝子数約五千であるが、人間では約3万個である。

 したがって、人間では、Sir2遺伝子以外にも長寿遺伝子があるようである。

人間では、Sir2遺伝子は、オーケストラの指揮者のような役割をしているそうである。

ところが、Sir2遺伝子は、平常はスイッチ“off”の状態なのだそうである。

酵母菌の場合、カロリーを60%にすると、寿命が1.3倍になった。

現在、カロリー30%カットのサルと通常のサルとでの実験が、継続されており、老化の抑制は認められているが、最終的な結論はもう少し掛かるようである。

カロリー制限をすると、ミトコンドリアが“NAD”という物質を多量に放出し、Sir2遺伝子に取り付き、遺伝子のスイッチを“ON”にすることが判った。

したがって、NADを薬として、摂取すれば同じように長寿になると考えられており、薬の開発も始まっている。

今年から「抗加齢医療=アンチ・エイジング医療」の学会が、日本でもスタートした。

大切なのは、ただ単に長生き(長寿)をするのではなく、健康の長さ(健康寿命)を如何に長く保つかである。

 このために、現在大切なのは、生活習慣(健康的な食事と適度な運動)であるという。

博士は、「努力のない長寿はない」と言う、これで「ないないづくし」と題した。

そのうちに、すばらしい薬も誕生することであろう、それまでは努力をしなくてはならないのである。


色分け

2007年05月14日 05時02分49秒 | Weblog

NHK TVで、「お金の色分け」について教えてもらった。

 定年を迎える世代に対する、財産管理要領を判り易く解説していた。

 色分けとは、次の三種類に分類することであった。

*緑色のお金;
    年金に上乗せし、生活に「潤い」をもたらすためのお金。

*黄色のお金;
    病気や不慮の災害、住宅の修築など、いざというときに備えるお金。

*赤色のお金;
   将来もっと豊かに暮らすために増やすお金。   
  
原本割れのおそれがあっても、より高い利率を期待して運用するお金。

 中年の女性フィナンシャル プランナーであったが、面白い考え方を紹介してくれた。

年金だけでは、潤いのある生活は出来ない、年金は、生きてゆくに必要最小限の金額に過ぎない。

この番組では、65歳から毎月10万円を年金に上乗せして、潤いのある生活をしようという場合について試算していた。

(75歳を過ぎると、潤いを必要とするほどの元気さはなくなる、と思っているようである)

65歳の誕生月から10年間、毎月10万円を年金に加算すると仮定すれば、必要な資金は、次のようになる。

 10万円x12ヶ月x10年=1200万円

これを、退職金やそれまでの蓄えから分離独立させ、「緑の資金」として、安全な運用をしつつ、生活費に加算して行けという風に理解した。

 生活の質的な向上を図るための、ひとつのよいアイデアであると感じた。

金銭感覚に欠け・お金に関して疎いのであるが、この機会に本気で考えねばと思った。