12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

たらしこみ

2006年10月31日 05時49分45秒 | Weblog

 水墨山水画の楽しみ方をTVで見た。
その要点を、幾つか書きおく。

山水とは、
深い山・流れる川などの自然の景色をいう。

中国の唐の時代(11世紀頃)水墨山水画が生まれた。

15世紀に、禅の教えと共に、日本に伝わり、有名な雪舟が、礎を築いた。

山;  世間のしがらみから離れた、心静かな世界

雲と霧; 「気」すなわちエネルギー

庵;  作者の思い描く終(つい)の棲家

老人;  作者自身

橋・道・酒;  庵を訪れる人のいることを示す

「気」に満ちた理想郷で、ひっそりと暮らし、遠方からの友人をもてなす、
こんな場面は、なんとも風情がある。

水墨画を、楽しむ[三つのコツ]を教えられた。

その一;下から上に見るべし!

下から、近景・中景・遠景と描かれている。

それ故、下から上に見ていくと、物語を時間に沿って観ていける。

その二;にじみやぼかしに、潤いを感じよう!

中国では、線を用いて、形を表すが、
日本では、輪郭を描かずに、墨の濃淡で形を表現することが多い。

たっぷり水分の残っている薄い墨の上に、濃い墨をたらす=
これが、日本独特の「たらしこみ」の技法である。

偶然の「にじみ」が、表情を生み出す。

「朝霧を集めて、墨磨る」という言葉がある。

日本の水は、軟水で、繊細な墨色の表現に最適である。

鮮やかな色彩画家と思われている横山大観画伯は、

晩年、墨一色の世界を極めようとした。

墨に、無限の色彩を感じられたようである。

その三;光の表・裏を見よ! (飾り方についての、指南)

光こそが、大切なのである。「表」とは、光がさしてくる方向を意味する、
「裏」はその逆である。

絵の中の光の方向を知って、光をその方向から当たるように飾ると、
絵が自然に見える。

表・裏は、落款の位置でも分かる。

落款は、「裏」に押される。

床の間の自然光が射してくる方向に、
絵の「表」を配置すると、「余白」が「光」として、楽しめるのである。


にしんそば後日談

2006年10月30日 09時17分43秒 | Weblog

 「にしんそば」のブログを見た同窓生から、メールが来た。

以下に、その文面をご披露する。

・・・・・ 数ある「そば」料理の中で、「にしんそば」だけが許せない。  

初めて食ったのがいつだったのかは忘れ果ててしまったけれど、

その時以来、メニューから目を逸らせ続けて今日まで来た。  

多分今は、私の味覚も年を経たし、そばも変わったはずだから、もういちど試してみてもいいのかもしれないが、

そこまでやらなくっても他に美味いものはある。

・・・・・ 以下省略

“にしん”と言えば、「なかにし れい」の「石狩挽歌」を思い出す、

「北原 ミレイ」が「ミレイ節」という独特の歌い方で歌い、大ヒットした。

この歌は、超のつく名曲である。 

 しかし、「三波 春夫」が歌えるかというと、とても雰囲気的に合いそうにない。

この歌は、歌い手を選ぶ、誰にでも歌える歌ではないのである。

超のつく名曲は、歌い手を選ぶのである。

卵焼き、おでん、焼き飯、茶碗蒸し・・・ これらは、ほどほどに美味しい万人向き料理である。

誰にでも愛される料理である。
それ故、食べ手を選んだりはしないのである。

しかし、納豆、くさや、フナ寿司・・・癖の強い料理は、超美味しい。

しかし、食べ手を料理が、選ぶのである。

万人向きではないが、分かる人は、堪えられない美味しさを味わうことができる。

にしんも、食べ手を選ぶ料理である。

それ故、超のつく美味しい料理なのである。

小生は、にしんに選ばれた「選民」であり、
友人は、選ばれなかった「哀れな民」に過ぎないのである。


現知若想・新知古復

2006年10月26日 04時46分54秒 | Weblog

同窓会続報を書くことにした。
(面倒なので、その1・・・などは一切省略する)

ご承知であろうが、「温故知新」は、

「過去の事実を研究し、そこから新しい知識や見解をひらくこと」、という意味。

「手品師」は手品師のまま、不動産屋の社長におさまり、
高級車を乗り回し、巨額の小遣いと得意の手品で、
美人ホステスに取り巻かれ、鼻の下を長くしている。

「笛吹き」は笛吹きのまま、某大手企業のエライさんになり、
定年後は、地域演奏楽団を立ち上げようと狂い始めている。

「教授」は本物の教授に成り、懲りもせず情けない学生を教え続けて、
できの悪い学生の愚痴をこぼし続けている、ご苦労さんなことである。

「登山家」は登山家のまま、登山に自転車にと、
世界中・日本中を踏破・走破し、相変わらず浮世離れした生活を、
元山岳部の奥さんとともに過ごしている。

「マージャン狂いのやんちゃ坊主」は、いまだ、やんちゃ健在・マージャンに狂い続けて・・・
孫の居る歳になってしまったが、老け込む様子もなく、
新たに「釣り狂い」を始めたようである。

若い頃の性癖は、この歳になっても、一向に変わる気配はない。

「現知若想」・「新知古復」=

「現在を見ると、若かった頃を思い出す」
という意味の、熟語を「捏造」してみた。

ただ、「パチンコ狂い」が、どこにも見当たらないのには、いささか驚かされた。

知力・体力が、やはり幾分か衰えたのであろう。

とにかく、秘書や優秀な部下に恵まれて出世し過ぎたのであろう、
パソコン音痴が、多すぎる。

不便でかなわない。

本日臨時発行。
またまた用事で、金曜日から数日休刊します。


高級車

2006年10月25日 04時56分44秒 | Weblog

シーマ、クラウン、可変気筒エンジン付高級車(ベンツではない・・・どうしても名前が出てこない)他など、
高級車展示会の如く勢ぞろい。

観光行事(比叡山延暦寺及び銀閣寺コース)用に、京都・滋賀在住同窓生が、便宜を図って自家用車を提供したのであった。

羽振りの良さを見せ付けられた。

ものすごい加速・滑らかで静・親切なカーナビ・ゆったりと沈み込むようなシートどれも初体験であった。

なるほど、金持ちとは、かように快適な生活を送っているのかと、ただただ感心した。

小生には、到底縁もゆかりもない世界であった。

同窓会参加者23名、総員僅か43名の小さな学科の、元紅顔の美少年達が、多数集ったのである。
(昭和39年に、機械工学科を卒業した面々、物故者4名、行方不明者1名、存命者38名)

いつもの如く、再会1時間くらいは、どうしても硬い雰囲気が抜け切らない、なんとなく探り合うような感じがするが、

自然とあの頃のような、気のおけない腕白坊主の集団に戻るのであった。

我が会は、2年毎に開催、非常に活発な活動をしている。

出席率はいたって良好、平均半数以上が、参加している。

今回は、「近畿」当番、持ち回りで、関東・中京・近畿・徳島と開催地・当番を替えている。

まずは、幹事達に、「ご苦労さん、お世話になりました、ありがとう」を言わねばならない。

近々続報を書く予定、そちらで詳細な報告をする。

詳細は、2~3回に分けて、掲載するつもりであるが、
書いてみないとどんなになるのか未定。

書き手任せ、成り行き任せである。

おそらく、手品名人・フルート名人・釣り狂い・マージャン狂い・・・・、後どんなおかしな面々が出てくることか、
書こうとしている本人が楽しみにしている。

ただ、「博打狂い」や「女狂い」で人生を棒に振った「豪傑」は、今のところ見当たらないのが、少し物足らなくもある。

「医者」は、既にメンバーとして存在、「弁護士」と「坊主」がまだいないのが、
今後幾分不便をきたす可能性が残っている。

誰か「「弁護士」や「坊主」になるものはおらぬのか!


勝利の女神

2006年10月24日 06時34分26秒 | Weblog

毎木曜夜8時から1時間半放送の「わが人生に乾杯」からの伝聞。

出演者;「米長邦雄」氏(63)(元)将棋名人・(現)将棋連盟会長、
司会;山本 晋也 他

かつて、人生相談の名回答者と謳われただけのことはある、
ウンチクのある名言の連続であった。

強く感銘を受けた幾つかを、箇条書きにしてみた。

1. 七十代の青春;
七十代では、ときめく恋をするのが夢。

女性にモテル男でいたい。(自分を磨きたい)

2. 好奇心;
六十を過ぎると、男は、何をしていいか分からない不幸な人が多い。

少年の頃の好奇心を持ち続けたい。

3. 男と女;
男は、七十を過ぎると、あらゆる面で若い頃と比べ下回っていることに気づく。
(収入・地位・名誉・体力・・・)

女は、七十で個展を開く目標が持てる。

女性は、ワカラン、カミサンでも「日々新た」である。

4. 六十;
六十までの人生は、人に勝つ人生。

六十過ぎの人生は、人に勝たせる人生。

5. 勝利の女神;
正しいかどうかではなく、

「笑いがあるかどうか」、「謙虚さがあるかどうか」で勝利の女神が微笑む。(明るさが大切)

6. 本物;
パソコン将棋は、三流(プロとアマの境界レベルの人)を促成栽培する。
(CGが実写に及ばない、まがい物と同じ・・・山本氏談)

デジタルは、無駄がない(効率的過ぎる)、
間(ま)がない「間抜け」しか育てない。

アナログには、無駄と間がある。

本物は、アナログで教育すべし。

長いトーク番組を、寝ぼけた頭で、聞き書きした。

多少の誤りは、お許し願いたい。

短く箇条書きにしたので、分かりにくい点も多々あろうと思うが、

読者に一言なりとも共感・感銘をいただければ、幸いである。


携帯電話

2006年10月21日 06時09分22秒 | Weblog

多くの人達が、肌身離さず持っているものは、携帯電話である。

電話はもとより、メール・写真・・・など、
非常に便利な機能が満載されており、便利この上ない機器である。

中国旅行で、同行の人が、日本の奥さんへ携帯電話でメールを送っていた。

世界中どこからでも、通話とメールが可能とのこと。

とんでもない時代がきた。

このとんでもない機能が、人命救助に役立つとは思いもかけなかった。

先日、親戚を尋ねた、そこでの伝聞である。

お隣の一人暮らしの奥さんは、娘さんよりGPS付の携帯電話を持たされている。

娘は、一定間隔で、携帯電話の位置を計測し、行動が認められれば、元気であると判断するという、遠隔監視を行っている。

ある日、数時間全く移動を生じなくなった、娘はご近所の人に電話をし、様子を見てもらった。

そのご婦人は、病気で失神状態にあり、直ちに救急車で搬送、一命を取り留めたとの事であった。

あるクラブで、この話をしたら、
携帯のGPSには、そんな精度はない筈と言う。

そこで、某携帯電話の店で、聞いてみた。

GPSの精度は、一番条件が良いときでも、せいぜい50m弱の移動を検知できる程度との事。

家の中の移動は、検知不可能であろうとのこと。

この話には、多少誇張などがあったのかもしれない。

ただ、携帯の高齢者や児童の遠隔監視機能が、今後一層充実していくようであった。

色々な使い道を、考えつくものである。

*都合により、明日の日曜日と月曜日は、休刊です。


股関節の柔軟性

2006年10月20日 05時04分46秒 | Weblog

ひざ痛改善の為、ストレッチ教室のN先生は、
20年程前から、この体操を始められ、現在は、指導者である。

下記に先生発行の機関紙より抜粋を、掲載する。

《 

股関節は、上半身と下半身を結ぶ人体最大の関節。

加齢とともに、転びやすくなり、ひざ痛や腰痛、さらには肩こりになることが多い。

この現象は、股関節の柔軟性低下も一つの要因。

股関節の衰えは、年齢よりも、生活習慣で決まり、
姿勢の良し悪し、運動の程度、生活様式などによって、大きく左右される。

股関節の衰えは、二つに分類される。

1. 股関節のズレ;原因は、悪い姿勢

いすに腰掛け足を組む、机にひじをついて本を読む、畳に横にすわる、横向きに寝転ぶ、
片方の肩ばかりに重いものを掛ける、などの股関節を歪めるような姿勢。

2. 股関節筋肉の硬直化・柔軟性喪失;
廃用性萎縮(使わなければ衰える)

洋式生活で、ソファーにゆったり腰掛ける、洋式便器などで、
立ったりしゃがんだりの機会を奪われ、知らぬ間に股関節を動かさなくなっている。

3. 股関節の柔軟性が高まると;
運導能力が向上し、転倒などの事故も減少する。

4. 股関節のズレ防止と柔軟性復活への対策;

A.悪い姿勢を改める

B.よく歩く、適切な運動    

 》

ひざ痛で悩んでいる小生は、とにかく歩くことに加え、
ストレッチ運動教室と太極拳教室の2箇所に参加し、改善に努めている。

約半年を、経過して、柔軟性は目に見えて改善されてきた、
また、幾つも対策を並行的に実施しているので、
ストレッチのみが要因とは断定できないが、
ひざ痛も大幅に改善した。

時々刻々と、柔軟な体に変わっていく自分を見ることが、楽しくなっている。

これが、ストレッチ体操継続の原動力である。

ご参考までに、いかなる体操か、動くイラスト入りインターネットのサイトをご紹介する。


江戸川 乱歩

2006年10月19日 05時20分01秒 | Weblog

次の日曜日と月曜日、所用で休刊します。

定休日ですが、またまた臨時掲載します。

 

TVで、「江戸川 乱歩」の小説を紹介していた。

「押絵と旅する男」という題。

「押絵」のイメージは、羽子板を飾っているものが一般的である。

押絵を「写真」に置き換えて、この小説の荒筋を、
簡単に再現してみる。

ある男が、「憧れの美人」の写真を
「大切に・大切に」していた。

怪奇な力で、男は美人に寄り添うように、

「生きたまま」写真の世界に入ってしまった。

男の弟が見ていると、時が過ぎるにつれて、

「男は老人」になってしまった。

しかし、憧れの美人は、
以前の「若いまま」であった。

この現象は、小説だけでなく、
身近に散見される。

若くしてご主人を亡くした方、あるいはその逆。

秋である、
時の流れの無常を感じさせる、一作であった。


空白

2006年10月18日 04時44分45秒 | Weblog

I先生と、同じ宿に泊まったときの、話。

 娘さんがカナダで白人の外科医と結婚しているのだそうである。
当然、混血のお孫さんがいる。

娘夫婦の生き方が、実に上手だ、

「まさに、人生を楽しむべくして楽しんでいる」と言う。

この話は、四十年前、いや三十年前でもいいが、聞きたかった。

定年後、さて何をしようかと考えたとき、愕然とした。

現役時代の四十年は、今後いかに過ごすかの、何の足しにもならなかった。

当たり前のことであるが、仕事でしていたことは、家や地域では、なんの役にも立ちそうになかった。

振り返れば、四十年の“空白”、そのものである。

そこで、その空白を取り戻すには、どうすればよいか考え、

「したくて出来なかったことをする」ことであろうと考えた。

 ところが、したくて出来なかったことそのものが、
はっきりしないのである。

結局のところ、何を具体的にしたいのか、分からないのである。

そこで、手当たり次第に、ちょっかいをだしている。

しかし、一朝一夕で楽しめるはずが無い、
楽しめるようになるには、それなりの修練が必要である。

二兎を追っては、修練が実を結ばないよと、先生方はおっしゃる。

間違いなく、その通りであろう。

 しかし、絞込みすら出来ないのである。

答えは、見えたようなものである。

残りの人生も、
空白で終わるのも、またよしとしよう。


超美人博士

2006年10月17日 05時49分41秒 | Weblog

サンドイッチを見ると思い出すものがある。

 リサ ランドール博士、
ものすごい天才美人博士である、若いのである。

ハーバード大学の理論物理学者。

我々のこの宇宙は四次元(X・Y・Zの三次元と時間軸)であると教えられた。

この四次元宇宙に隣り合ってサンドイッチ状に五次元の宇宙が存在するということを提唱し、

全世界の注目を浴びている・・・

世界各国のブログ・インターネットに取り上げられている、
超有名人の一人である。

時の人である。

五次元など、何のことかさっぱり分からん。

どう考えても判るような気がしない。

明日の飯の種にもなりそうにない。

故に、小生にとっては、どうでもよいことである。

現代の大天才である。

天才はどこか、常人と異なっていると思っていたが、間違いであった。

頭脳明晰な超美人であること以外は、全くの常人である。

超美人イコール天才ではない。

超美人は、常人の一部が突然変異したもののようである。


留守電

2006年10月16日 05時15分52秒 | Weblog

「とら」さんから、記事「電話」に関するコメント頂いた。

 彼は、市内では、知らぬ人の方が少ない、著名人である。

故に、電話での問題は、平民の小生より遥かに多く経験されているはずである。

この道でも、大先輩である。

電話番号を変更し、さらに「電話帳不掲載」などの対策を、採っておられるようである。

早速、ご指導を検討すべく、番号変更通知を出すべき相手先のリストを作り始めた。

年金・保険・親子・親戚・知人・友人・所属クラブ・・・、あまりに膨大なのである。

電話番号は、自分の姓名を変更するくらい大変そうである。

困ってしまった。

いまだ、留守電対応のままとなっている。

ご迷惑をかけます。


投入堂

2006年10月15日 06時41分59秒 | Weblog

写真をクリックすると、大きくなります。

 

 「日本一危ない国宝鑑賞  三徳山」
と大書した大判ポスターがかけてあった。

傍に、「投入堂へは、登山です」と注意書き。

「登山靴、スニーカ以外の履物の方は、入山禁止」
(わらぞうりを500円で売っていた)

当然、ズボン着用者のみ、入山許可。

登山者名簿に住所・氏名・年齢・出発時刻を記入、
下山時「下山時刻」を必ず記帳するように言われた。

この記入をし忘れると、
「捜索隊を出す」事になると脅かされた。

入山料の志納金200円を納め、「輪袈裟」を貸与された。

道のり700m、片道1時間、往復1時間半と表示されていた。

思いのほか厳しい、
「木の根っこすがりつき」登山であった。
(軍手は、必需品)

くさり坂を登ると「文殊堂」、
少し上に「地蔵堂」があり、
清水の舞台のように、大山方面が遠望できた。

吹き抜ける、さわやかな秋風が、気持ちよかった。

さらに登ると、岩山のくぼみの中に「観音堂」があり、
間もなく目的の「投入堂」に着いた。

参拝者は、平日ゆえ、六十代と二十代が大半。

全員、修験道の「行」を達成した満足げな顔つきであったのが印象的。

22日(日)護摩法要と
29日(日)投入堂落成法要
で賑わうとの事であった。


教科書

2006年10月14日 04時57分05秒 | Weblog

何年も同じことを言ってはいるが、
生徒たちに聞き入れてもらえないことがある。

教科書の使い方である。

幸いに、日本では、
教科書は個人の所有物である。

国からの借り物ではないのである。

自由に使ってよいのである。

1.「重要な部分に、着色や下線を引け!」

2.「大切な説明は、書き込め!」
(ノートは、いつの間にか失われることが多い)、

教科書に書き込んでおくと、無くなる心配が無い。

余白が不足なら、別の紙に書いて、
貼り付けておけばよい) と、

口をすっぱくしていうのだが、
聞き入れてくれない。

これらのことは、自分が,
後年後悔したことに元づく“アドバイス”なのだが、


困ったことである。

それである人に、愚痴を言った。

「自分が出来なかったことを、
他人にせよとは、おこがましい」

と言われて、ぎゃふんとなった。

“先生”は、“模範的生徒”でないと
務まらないのである。

いまさら、取り返しがつかない。


ふうてん

2006年10月12日 04時54分11秒 | Weblog

本日は、定休日なのであるが、
金曜日急用のため、休刊となる見込み。

臨時発行をします。

「不良」を商売にしている作家がいる。

「嵐山 光三郎」である。

鬼気迫る探求心で、不良をしている。

 しかし、男作家の悲しさ、「女不良の勧め」ではない。

 時間は、十分に在るが、「男不良」となるには、
さらに、体力・知力・金力など相当の資質・資源が必要である。

それ故、資格なしと、あきらめた。

映画の受け売りで、「ふうてん・・・」を自称している。

風のまにまに、転がっていく、所定めぬ生き方かと、勘違いし「風転」かと思った。

書き易いので、この方が好きなのだが。

そこで、三省堂「大辞林 第二版」より、引用する。

「瘋癲」(ふうてん)と書くのだそうである。
(とても、すらすら書ける漢字ではない) 

(1)精神状態が、異常であること。また、そういう人。瘋狂。 

(2)定まった仕事を持たないで、ぶらぶらしている人。

昨日は俳句、今日は太極拳、明日はストレッチ、あさってはビデオ・・・、留まるところを知らないのである。

小生、(2)には、確実に該当する。
まさに、定まっていない。

遊びの大海原を、ただ、くらげの如く漂流しているのである。

 「ふう・・・」改め「ふうてんのくらげ」とでも、自称すべきか・・・。

(1) については、身近に多数の心当たりがある。
ビデオ狂い、写真狂い、ダンス狂い、カラオケ狂い・・・、こちらもきりがない。

言い換えるならば、『ふうてん』のオンパレードである。

ただ、物足りないのは、不良性に欠ける「まじめふうてん」しか見当たらないことである。

小生は、家庭崩壊・離婚騒動の起きる心配はない、誠に幸福な生活をしている。

他人のことなど、知ったことではない。

たとえ家庭崩壊・離婚騒動などが起きようとも、も少し不良性を持てないものであろうか。

地獄の世間を生き抜く頼りとなる「不良ふうてん」が、
続々と誕生するように、けしかけてるが、いまだこれに同調する、おっちょこちょいは、現れない。

引き続き、率先して、不良マガイの見本を提示せんものと気張ってる。

まだまだ「不良もどき風転」を継続しなくてはならないのである。

くたびれるのである。


太極拳

2006年10月11日 05時08分39秒 | Weblog

写真をクリックすると、多少大きく見えます。

 

太極拳は、
中国の皇帝も身につけていたという

「歴史と伝統ある武術」である。

陰と陽という全く正反対の性質をもつものが、
無限に変化して万物は生成され、維持されるという

「太極思想」に基づいていると教わった。

これについては、まだ良く理解できていない。

生体エネルギー「気」と「技」で戦う、
「武術」である。

体格的に不利な方、
高齢の方などに最適な護身術と説明されている。

心とからだを芯から癒し、
気血の流れをよくし、
五臓六腑の機能を高め、
体内バランスを理想的なに保ち、

肩こり・腰痛・ストレス解消・集中力アップなどに力を発揮するというのが、
うたい文句である。

かなりきつい鍛錬である。

若いときから、始めるべきであったと後悔している。

「簡化太極拳(二十四式太極拳)」を、
習い始めたところである。

どうにかやめずに通っているのが、正直なところである。

10月9日 体育の日 
市の太極拳協会の研修会に参加した。

中国国家一級審判委員・中国武術6段の
「 王 革 」先生 による、ご指導であった。

一流の先生だけあって、
若くて大変な美人なのだか、
ぴりりと張り詰めた厳しさを感じた。

「太極剣(三十二式太極剣、総合太極剣)」と言う、

剣の武術の練習風景を、
写真にて、ご紹介する。

こちらも修得したいものである。