12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

花見の相談

2007年02月28日 07時21分17秒 | Weblog

 料理教室での話し。

この日は、欠席者が多く、生徒4名に3品の調理。

小生は、あぶれて、野菜の千切りを手伝うのみ。

小生が作らない故に、作品は早く完成。

したがって、10時半には、食べはじめた。

まず会食の話題は、
最近、行くえ不明になった老人の話しからスタート。

いつの間にか、話は、老人介護から親子喧嘩の話になった。

九十歳近い母親が、同居の子供に
「お金を取った」「ご飯を食べさせない」など、色々と喧嘩を吹っかけるのだという。

本当の親子だから、誠にすさまじい喧嘩になるという。

この話の結論は、「長生きはすべきでない」、
ほどほどのところで「お迎えを待つのがよかろう」となった。

但しである、タダではもったいない、

飛行機で墜落し1億円くらいの保証金を残すべきであるという方向になりかかったが、

子供達に不用意な大金を残すとろくなことが無いということになり、この線は立ち消え。

次いで、今年は、桜が早いから、3月末に花見に行こうということになった。

例年、花見の日は、まず皆で手分けして、花見弁当を作り、それを持参し、近くの立派な公園に行くのである。

これは、直ちに決定。

男性料理教室で、よくもこんなに話題が、
次から次へと展開するもだと不思議に思われるのであろうが、それには秘密がある。

先生が、美人女性であるためである。

女性がいなくて、こんなに話が弾むはずがないのである。

何時如何なるなる場所であっても、女性は欠かせないのである。

タダこの美人先生に不満がある。

それは、美味しいものの作り方秘伝を伝授してくれないことである。

「自分で体得しなさい」としか言わないことである。


いい亭主

2007年02月27日 07時13分43秒 | Weblog

「杉浦日向子の江戸塾」 (PHP文庫)からの受け売り。

江戸版 いい亭主の条件とは、

1. 朝ごはんの支度をするのが亭主の鑑

2. おっかあを起こして、ご飯を食べさせ、亭主は働きに行く

3. その後、おっかあは、刺身で一杯

4. 亭主は、さらにマッサージ・育児など上手であるこ

あらゆることに、江戸は女性上位の世界であったらしい。

江戸の「おっかあ」は、
「山ノ神」「かかあ大明神」、
床の間に飾っておくような縁起物だったそうである。

夫婦喧嘩のときは、わけも聞かれずに、

「てめえ、なんでかみさんにふくれ面をさせるんだ!」
と亭主が周りから怒られる。

たとえおっかあの浮気といえど亭主がいけないことになる。

どんなときでも、あくまで責められるのは男。

江戸は、極めて女性が少なかったことと、

女性が経済的にも精神的にも自立していたようである。

男は、食べることさえ保障すれば、
あとはなにをしても構わないようであった。

反面、養育費・医療費・その他全ての生活費(着物・髪飾り・化粧・・・)は、全て女性負担。

専業主婦はほとんどいない、ほぼ全員が、

サービス業(行商・洗い張り・縫い物・子守・女中奉公・・・)を中心とする、

なんらかの職業を持っていたという。

DINKS(ダブル・インカム・ノー・キッヅ)と現代と非常によく似た世界のようであった。

やれやれ、こんな江戸に生まれなくてよかったと、
しみじみ思うのである。


「分からない」の続き

2007年02月26日 06時59分16秒 | Weblog

2月17日付けブログに、

寅さん映画の面白さの秘密が、
いかなる理由なのかが「分からない」と書いた。

これについて、次のようなコメントを頂いた。

コメント記入者は、「玉野彫り」さん。

彼は、木彫の大家であると共に、映画鑑賞の達人でもある。

従って、彼のコメントは、専門家はだしである。

“ 私も以前考えたことがあり、列挙してみます。

1、各画面に完全に一人の場面少ない。  孤独感を感じない。

1、風景、音、心情に情感、余韻がある。

1、恋愛は純愛で、横道にそれない。  安心感がある。

1、亀裂が生じても、そこに人情、愛があり、深刻感が爽やかである。

1、幼き頃から見慣れた風景、聴きなれた音。

1、ゆったりとした、各シーンのカット。

1、全体に動より静が多い。

1、他郷に居ても、心には常に古里がある。

1、ユーモアに人情深さがある。

1、ストーリー運びが上手い。

1、まだありそうですが、この辺で。   ” とあった。

どれももっともなように思えるのであったが、
どうもこれだけでもないようである。

恥や外聞をかなぐり捨てて、思いのまま正直に生きているさま、

人間の本性を、あからさまに表現しているように思えてならないのである。

依然として、毎日寅さんを見続けているのである。

止められないのである。


電子辞書

2007年02月25日 06時21分55秒 | Weblog

娘が電子辞書を購入したので、試用してみた。

百数十種類の百科事典や辞書などの情報が、収納されている。

仮に、1冊千円としても、十数万円の本の値段に相当する機能があることになる。

もし、本の目方で換算すると、数十kgあるいはそれ以上の重量の情報が、手のひらに載る小さな道具に凝縮されているのである。

驚くべきことである。
うまく使用すると大変便利な道具である。

情報量に加えて、最も有難かったことは、文字がすこぶる見易いことである。

通常の辞書の字は、虫眼鏡が必要なほど、小さいものが殆どである。

これはなんとしても困っていることである。

小生は、新しいものを購入したときには、古いものを捨てることにしている。

それでも、いつの間にか、ガラクタとして、沢山山積みとなっているのだが・・・。

そこで、沢山の辞書類が、捨てられるか思案してみた。

どうしても、捨てがたいのである。

それ故、電子辞書を購入するのを、あきらめてしまった。

そのうち、文字がどうしても見えなくなったときに、電子辞書を購入することにした。

 あとがき;
上記原稿は、かなり以前のものである。

1月から、新しい俳句の先生になった。
小生よりかなりお若い方である。

先日の句会で、電子辞書をお勧めしますと話された。

それゆえ、そろそろ電子辞書も併用(辞書類を捨てないで)することに、

方針変更をしようかなと迷い始めたところである。


見る目

2007年02月24日 08時28分49秒 | Weblog

 “JAPANOLOGY”と言う番組からの受け売りの続編。

カリフォルニアのプライスコレクションは、
世界的に有名な江戸絵画のコレクションであることと、
「独自の光の方法論」を、以前ご紹介した。

本文では、ジョー・プライス(以下、“JP”と略す)氏の審美眼(見る目)と言うものについて、書いてみる。

JP氏は、気に入れば、それが彼にとって、名品なのである。

二十代から一貫して、自分が美しい・気に入った作品のみを収集している。

彼のメッセージを、引用する。

“私がコレクションを始めたのは、ただ江戸時代の絵画から受ける視覚的なアピールが素晴らしかったからです。 
・・・ (略) 

・・・ 言い換えれば、人に言われて買うのではなく、自分が欲しいと思ったものを収集してきました。

このとき、日本語の読み書きができないことは私にとってメリットとなりました。

なぜなら落款や印章ではなく、画家の腕だけを頼りに屏風や掛軸を選ぶことができたからです。

今でも、絵を見つけたときに作者の名前を尋ねることはめったにありません。

作品は質が素晴らしければ、それは偉大な画家が描いたものと言えるからです。 “

誰の作品であるかは、全く問題にしないのである。

若い頃から、名品を見分ける目を備えていたのであろう、贋作は殆ど無いという。恐るべき、審美眼の持ち主である。

こういう、鑑賞法こそ本物であろう。

 

おまけ;
JP氏談より、印象に残ったこと

 1. 最近、日本画(特に、院展などで)の多くに、油絵のように、顔料を幾層にも厚く塗り重ねている作品がある。
それなりの質感・量感があって、面白いのであるが、JP氏は、こんなことを言っていた。  

「巻物(掛け軸)にする関係で、日本の絵は、薄く一層の顔料のみで描いている」と言う。
こんな見方もあるのかと、鋭い観察に恐れ入ったのであった。

2. 展覧会では、多くの場合、保護の目的で、ガラスを通して見なくてはならない。

JP氏は、「日本画は、大変繊細であるので、ガラスなしで展示し見てもらいたい」と言う。

もっともである、多くの場合、自分の姿が映りこんで、実に見難いものである。

彼は、次のように、観賞の方法をアドバイスしている。

作品をベストの状態で観るには、ポイントが4つある。

「近くで、遠くで」
「1枚ずつ」
「ガラスなしで」
「自然光の変化の中で」 の4点。


EとW

2007年02月23日 07時21分32秒 | Weblog

あるTV番組で、カップ麺の上蓋にE(関東風)・W(関西風)と、
味毎に記号が付してあると言っていた。

カップ麺を調べてみた。

確かに、「W」の文字があるではないか。

三十歳前後に、4年半東京勤務になったことがある。

 この時期、関東風日本そば(うどんも)を、よく食したものであった。

だし汁は、かつお出汁に濃い口醤油を入れ、
何か不明であるが多少の甘みがあった。

甘辛い独特の味に思えたが、結構美味しく食べたのであった。

 日本そばでもうどんでも、この出汁を用いていたように記憶している。

そういえば、関東風おでんと関西風おでんも、似たような関係にある。

大雑把には、フォッサマグナ(糸魚川-静岡構造線)により、

関東風・関西風に分割されていると考えても良いと言われている。

幼い頃から馴染んだ味は、終生の味覚を左右するのであろう。

どちらでも、美味しく頂くのであるが、
究極的には、関西風に軍パイを挙げてしまう。

関東風・関西風に限らず、方言の如く、
各地にそれぞれの味が存在するようである。

 しかし、マスコミの浸透で、方言は次第に薄れていることも事実である。

味も、そのうちに平準化されるのであろうが、
全国の味が統一されるのは、何時の日であろうか。

 かなり先のような気がする。

さらに、何時の日にか、世界全体の味が、平準化される日もあろうと思う。

そうなる頃には、世界統一や世界平和が訪れていそうであるが、

とても小生の寿命では、見ることは出来そうにない。


親代わり

2007年02月21日 07時46分30秒 | Weblog

長女は、遠方に住んでいる。

前は、TV電話を利用していたが、双子の孫が大きくなり、でたらめにパソコンを触るため、円滑な通信ができなくなった。

それで最近は、毎夕刻、孫の状態を知るために、チョット電話をするのみとなった。

 いたって希薄なコミュニケーションに留まっている。

暮れのある日、家内の大学時代からの親友達が、お参りに来てくださった。

よくも40年以上の長いお付き合いを、続けてくださるものと、感謝している。

その内のお一人は、長女の母親代わりのようでもある。

孫達に心のこもったプレゼントや長女との間の時折の文通など、小生にできない分野をカバーして頂いている。

 家内や娘は、幸せ者だと思っている。

 反面、小生にはそのようなことが期待できる友人はいない。

それが残念である。


いつも思うこと

2007年02月19日 08時00分33秒 | Weblog

2月初旬、同窓生N君の訃報を聞いた。

存命者:天上の世界の人の比は、
38人:5人となった。

我々の仲間は、ゴルフで過ごすものもあろう、
趣味教室などで過ごしているものもあろう、

あるいは旅行をしているものもあろう、
さらにはあくせくと働いているものもあるようである。

しかし、毎日が以前とそれほど変わっているようには聞いていない、

従来からの延長線上を生き続けているように思われるのである。

「クラスで最後から5番目になりたい」と、メールしてきた友人がいた。

この気持ちは、実によく分かるのである。

我々の死亡率は、100%、
確実にいつかお迎えが来るのである。

ほぼ全員が、シルバーの仲間入りをしているのである。

それゆえ、残された時間は、若い人ほど多くないことも事実である。

そこで同窓会のブログに、次のようなことを書いた。

“ 昔から、夫婦は二世を契ると言われています。
身をもってこの格言を、体験しました。

替えがたいものは、「配偶者・連れ合い」です。

残された毎日を、
「連れ合い」優先・大切に、お過ごしいただきたいと思っています。

手遅れになると、どうしようもありません、後悔のみとなります。“

他人には、このようなことを書いたのであるが、

自分自身でいつも思っていることは、

「とにかく、したいと思ったことはすぐ実行すべし」
と言い聞かせているのである。

 

所用につき、明日休みます。


無言層

2007年02月18日 08時32分50秒 | Weblog

また、「ウエブ進化論」梅田望夫著からの受け売りである。

 2005年、USAでは2000万人を越えた、日本では500万人を越えたという。

ブログ人口である。

一見ものすごい数のようであるが、冷静に見てみよう。

USAの総人口3億人、日本1.3億人とすると、
ブログ人口比率は、USAでは約7%程度、
日本では約4%程度に過ぎない。

著者は、二層社会(エリートと大衆)から
三層社会(エリート・総表現社会参加者・その他の無言層)になるという。

さらに、エリートは1万人に1人
(この町では、たった7人しかエリートはいない勘定である)、

総表現社会参加者は、5人に1人から20人に1人という、

単純計算すると、「その他の無言層は5人に4人から20人に19人」となる。

どんなに逆立ちしても、圧倒的に「その他の無言層」が多いのである。

しかし、インターネットやブログが、
総表現社会参加者層を生んだことは、事実として認めざるをえない。

ブログは、

「食べられない」、
「睡眠の代わりにもならない」、
「知らなくても生きていける」・・・、その通りである、

生活必需品にはなっていないのである。

ほとんどの人たちが、何不自由も無く、
それなりに毎日を過ごしているのである。

60年後の今でさえ、
あの忌まわしい戦争や「言論統制社会」を思い出す。

「その他の無言層」を押さえつけ無視すると、
どんなことが起きたか歴史が証明している。

総表現社会参加者層の一翼を担う、
ブログ参加者が、「その他の無言層」を代弁することが大切なのではなかろうか。

こんなことも、“わずかに”頭の片隅に置きながら、

毎日せっせと、書いているのである。


分からない

2007年02月17日 07時42分01秒 | Weblog

 先日、M大先生から、寅さんのDVDを沢山お借りした。

 しばしば、見ているのであるが、飽かないのである、ひたすら面白く見ているのである。

時のたつのを、忘れてしまっているのである。

若い頃は、こんなものはと馬鹿にして見向きもしなかった作品なのだが、最近、特に60歳を過ぎてから、異常に面白く感じるようになった。

といっても、なにが面白いのかと問われると、答えられないのである。

一月ほど考えてみたが、どうにも分からないというのが、本音である。

 どうにも分からない。
小生の頭では、分析不能なのである。

 寅さんを見ていると、時として、自分を見ているような気がするのである。

まさに寅さんは、自分なのである。

そして、柴又の団子屋さんでの家族団らんの風景が、たまらなく懐かしいのである。

こんな風景は、今はどこに行ったのだろうか、もうどこにも見当たらないような気がするのである。

 もうしばらく、寅さんを見続けていることにする。


パスワード

2007年02月16日 08時18分33秒 | Weblog

 いつの間にか多くのパスワードを、持ってしまった。

 そして当然のことながら、
必要なときにパスワードが、
分からないで困ることが起きるようになった。

 初期の頃のものは、数桁の数字、

それからだんだん複雑化して、
現在は、英数字交じりの桁数の多いものに変わってきた。

 それらを、一定の期間ごとに、変えるのが良いという。

必要なときに備えて、出かける前に、

パスワードの特訓をしなくてはならなくなった。

便利なのか、不便なのか?

明らかに、不便である。

こんなことがいつまで続くのだろう・・・


単語

2007年02月14日 07時09分01秒 | Weblog

以前、“分かち書き”に関する一文を書いていて、はっと気がついたことがある。

 ここまできたら、商品名を書かざるをえない。

“Word”と“一太郎”は、どちらも同じワープロソフトだと思っていたが、ひょっとすると、小生の勝手な思い込みであったかもしれない。

それというのも、「 Word = 単語 」 なのである。

「 Sentence = 文 または 文章 」ではないのである。

どうも、「Wordの方は、単に仮名単語を漢字に変換する」ことを、意図して開発されたものかもしれない、という気がしてきた。

 「一太郎は、文節変換 = 文章を纏めて変換する」ことを意図して開発されたもののように思える。

(・・・Wordは、・・・変換精度に不満のあるMS-IMEと共に批判され続けている。・・・出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

本質的に、開発の基本方針が異なるものを比較して、優劣を論じていたことに間違いがあるのかもしれない。

ワープロとして、高性能なのは、一太郎である。

文節変換機能は、単語変換に数段勝るが、価格がそれなりに異なるのである。

 これからは、両者を比較して、“Word”の悪口を言うのを止めることにする。

“Word”を“未熟者“叱るときには、”Word“本来の機能上で問題が生じたときに限定することにした。

 

兄弟であれ、夫であれ、妻であれ、子供であれ、大人であれ、

 “他人”と比較して叱られるときほど、嫌なものはないのである。


「台」と「代」

2007年02月13日 09時22分31秒 | Weblog

先日来からの疑問である。

 「三時代」と書くと、
「三つの時代」とも、
「三時と言う時刻の範囲」ともとれるのである。

 それで、ブログには、「三時台」と書いた。

 時刻の場合には、「台」を用い、
年齢などの、紛らわしくない場合には、「代」を使うなど、
一つの文章中に、二通りの用法が、混在している。

どちらも正しいように思えるのであるが、双方とも正しいという確証を見つけるに到っていない。

分厚い辞書を、小生は持っていない。

図書館などで、調べようと思うのだが、何時も忘れて帰ってしまうのである。

 

しばらく休みましたが、本日より再開です。

現在、パソコンは二重人格現象に陥っており、ほとんどハングアップ直前でよたよた迷走中です。

先日リカバリーを行ったのですが、データを戻したとき、小生が操作を誤っていたようです

・・・ほとんどのパソコンの不調は、使う人の誤った操作が原因で不調になるそうですが、今回の場合も例外ではないようです。

 

近々、再度リカバリーを行いたいと思っています。

 

 


にがて

2007年02月07日 06時44分42秒 | Weblog

 食の冒険家・鋼鉄の胃袋・味覚人飛行物体・・・など、
沢山のニックネームを持つ「小泉武夫」先生というお方がTVに出演された。

発酵学の権威である。

鰹節・納豆・甘酒・漬物・チーズ・酒・・・、
日常生活で切っても切れない関係がある
発酵食品である。

 これらの中には、大好物もあり、そうでないものもある。

なんと、酵素入り洗剤の酵素が、発酵によって作られていることを知った。

この番組で、「くさいは、うまい」と称して、代表選手が挙げられた。

1. 韓国の有名な発酵食品=ホンオ・フェ(エイの切り身を乳酸菌で発酵させたもの)

2. 日本の代表選手=くさや

3. スエーデンの代表選手=シュールストレミング(缶詰の中で乳酸発酵させたニシン)

韓国産ホンオ・フェは、全く未経験で論評のしようがないが、

スエーデンの代表選手=シュールストレミングは、だいぶ以前、仕事のレセプションパーティで一度だけ遭遇したことがある。

あまりのひどい臭いに、逃げ回りながら、ちょっとだけ口に入れたが、美味しいとは思えなかった。

それ以来避けて通っている。

くさやは、好物である。 我が家には、納豆好きが居る。

 これがあると、全ての食事を平らげた後、熱々のご飯に納豆をかけ、もう一杯食べるのである。

小生にとっては、残念ながら、納豆は苦手の口である。

美味しさがよく分からないのである。

残念な損をしたような気がしている。

 

(注記)
2月8日(木)より2月12日(月)まで、所要のため、お休みです。


複数のコンピュータ

2007年02月06日 07時11分36秒 | Weblog

最近、中央演算子(CPU)を二つ以上備えたパソコンが販売され始めた。

こちらの場合には、処理速度が2倍とかそれ以上になるようである。

高速処理が可能になった。
ハイビジョン映像の編集も、これなら可能と聞く。

今年は、この種のパソコンに乗り換える年になりそうである。

女性は、複数のコンピュータを持っているとよく言われている。

それ故、複数の思考や作業を、並行的に処理できるのである。

この能力には、大いなる敬意を表するものである。

反面、それに伴う欠点もある。

その一つは、女性の長電話が有名である。

長女の電話は長い、延々と話題が展開する、留まるところを知らないかのようである。

「女性 x 女性」となると、「延々 x 延々」となる。

鍋が火事になろうが、風呂が洪水になろうが、お構い無しである。

結果は明白、電話代は天井知らず。

そこで、親父は考えた。

IP電話こそ「救世主」。

「雑音」と「時折の通話切れ」などの問題があるが、通話料は僅かとなった。

親父のもくろみは、完全に成功した。

長電話、お構い無しである。