38歳から39歳にかけてカエサルは、スペイン属州の総督を無事に勤めローマに帰国した。
代々の総督は税の増収分の何割かをピンはねし一財産を作ったのだが、借金で首の回らないカエサルは税制改革を行い、税のガラス張り化を行った。
この結果、増収どころか減収になり、ピンはねなどは不可能になってしまった。しかし、減税になった住民達は、総督に対して感謝の献金をしたようだった。
「野心とは何かをやり遂げたいと思う意思であり、虚栄とは人々から良く思われたいという願望である」と塩野七生女史に言わせているが、カエサルはその双方とも人に抜きん出ていた。
抜きん出た人による独裁を嫌う元老院は、知名度・戦績など並ぶものなき早熟の天才ポンペイウスにも、また民衆派として元老院体制に反旗をひるがえすカエサルにも、元老院を無視されるという危険性を抱き、彼らの執政官就任は簡単に認めようとせず、いろいろな意地悪を裏面から工作した。
これに対し、カエサルは一計を案じた、それは史上有名な「三頭政治」である。
ポンペイウスは、元の部下(兵士)に動員をかけカエサルに投票するように計らい、カエサルはポンペイウスが立案したオリエント再編案を承認されるよう協力するという秘密協定であった。
しかし二者連合では、知名度・実績ともポンペイウスには足元にも及ばないカエサルはさらに一計を案じた。 それは、カエサルの最大の債権者たるクラッススも加え三者連合という案であった。
クラッススは、カエサルを助けなければ債権取立てに望み薄となる、またポンペイウスと敵対関係にあるクラッススとしては、ポンペイウスに負けてなるものかという競争心もあり、三者連合にはどうしても参加せざるを得なかった。
加えて、ポンペイウスにとっては、自らが苦労して制覇した東方の統一をうまく運ぶためにもローマ経済の筆頭者であるクラッススの協力は不可欠だった。
こんなわけで、BC60年「三頭政治」は元老院の気づかぬところで成立し、カエサルは見事執政官にトップ当選した。
これによって、元老院主導によるローマの共和政は、ルビコン川をカエサルが渡ったBC49年ではなく、三頭政治の出現によって、このとき崩壊したのだった。