12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

自転車

2009年01月17日 09時39分38秒 | Weblog

 今年の初めから、自転車で外出することを再開した。歩くより頭が揺れない関係だろうか二重に見えることが少なく現在での一番適した外出手段である。

久方ぶりに自転車道路を走ってみた。自転車と歩行者しか通らない関係で、もっとも安全な道路である。ひょっとするとこの町に自慢すべき財産かもしれないと思い書くことにした。

まずどんな自転車・歩行者道路かをご紹介する格好の記事があったのでそれを引用する。昨年の山陽新聞の記事である。


「玉野市宇野の市民病院から玉野税務署沿いに延びる自転車・歩行者道のイチョウ並木が見ごろを迎えた。色づいた葉が日の光を浴びてキラキラと輝き、道行く人を楽しませている。 

(中略) 風に揺られ、ひらひらと舞い落ちる葉はまるでチョウのよう。通りを行く人たちは、空の青と黄色の葉のコントラストに時折足を止めて見入り、晩秋の風情を満喫していた。(後略)」

この道路は、玉野市電の廃線跡(約5キロ)である。


(補足)
1953年(昭和28年)4月5日に宇野~玉(後の三井造船所前)間開通。
1955年(昭和30年)10月1日に玉橋(後の玉駅)まで延長。
1960年(昭和35年)8月3日に玉遊園地前まで延長。
これで営業キロは最長の4.7キロ。

1964年(昭和39年)に電車から気動車に動力変更、電車は琴電に売却。

気動車になっても「電鉄」のままで、市民もずっと「市電」と呼んでいた。

ついに1972年(昭和47年)3月31日に廃止された。
廃止後、軌道跡は自転車道として整備をされた。今でもほとんどの線路跡が残っており、当時の面影を見ることができる。

1964年(昭和39年)に玉野市営電鉄は赤字対策により気動車化されたために電車は余剰となり、

1965年(昭和40年)に琴電に売却された。琴電入りした電車は、当初は琴平線で運転され、


そしてしばらく活躍した後2006年(平成18年)8月25日に最後の営業運転をおこない、9月初旬に引退した。 これを市内の有志が、引き取り保存している。