12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

声のお手本

2006年11月29日 06時02分28秒 | Weblog

 「知るを楽しむ 私のこだわり人物伝」というTV番組のお話。

人物は歌手「三波春夫」、語る人は小説家「森村誠一」氏。

朗々たる歌声の「三波節」は、人を快くする不思議な効果がある。

誰にでも通用し、郷愁を感じるのである。

彼の声を、科学的に分析すると、3000~4000HZの範囲の音が、とても強く発声されてる。

腹筋を使った発声法なのだそうである。

人間の耳で一番聴力が良いのが、この周波数範囲である。

すなわち、人間がもっとも聞き取りやすい声なのだそうである。

さらにもう一つ大切なことは、「良い声」の持ち主なのだそうである。

世の中には、「美しい声」の持ち主と、「良い声」の持ち主が居るのだそうである。

「美しい声」:「きれいに聞こえるだけの声」なのである。

「良い声」:「信用できる声、安心感・信頼感を持って聞ける声」なのだそうである。

 いろいろなクラブ・教室の先生方は、皆いずれも「良い声」の持ち主である。

「良い声」の持ち主が、先生の資格のようである。

どうも小生の声は、聞き取り難い声のようである。

腹筋を使った発声法に替えなくては、思い始めた。

さらに、「良い人」であろうとするのも、よいかなと思い始めた。


ゆがみ

2006年11月28日 01時29分47秒 | Weblog

ストレッチ体操で、
「廃用性萎縮」という言葉を教わった。

筋肉は、使わなければ衰える、という意味である。

今年は、ストレッチ体操と太極拳で体を動かすことを始め、既に半年を経過した。

半年前、自分では気がついていなかったが、

筋肉の柔軟性は、「廃用性萎縮」で衰え、かなり萎縮・硬化していた。

驚くほど硬い体であった。

体操を始めた、目的は、ひざ痛解消。

3ヵ月後くらいから、徐々に柔軟性が改善しはじめ、半年後の現在、見違えるほどになった。

(月2回各2時間の教室=この効果が絶大と思う、

と TVを見ながら、1日5分程度の柔軟体操をしただけ
・・・ちゃらんぽらんであるので、連日ではなく、飛び飛びであった)

これにつれて、完治とは行かないが、ひざ痛は改善、現在、日常生活であまり困ることは無くなった。

(不思議なことに、柔軟体操のとき、ひざの痛めた部分にのみ、強い痛みを感じるようになった。)

しかし、道のり半ばである、まだまだ上級者の半分程度の柔軟性である。

最近、太極拳の準備体操で、左右のねじりに対するアンバランスに気がついた。

左右対称に体が、ねじれないのである。

体に「ゆがみ」があるのである。

その根源は、筋肉の柔軟性のアンバランスに起因しているのである。

日常偏った使い方となっている関係上、いわゆる、

背骨のゆがみ・骨盤のゆがみ・・・など、全身色々な部位で、
左右に差異(ゆがみ)が生じているのである。

一例をあげると、横すわり・椅子に足を組んで腰掛けるなどが、左右の柔軟性のバランスを崩す。

正座がちゃんとできるようになった昨今、

日本式の姿勢正しい生活に心がけなくては、思うのである。


抹籍

2006年11月27日 06時56分59秒 | Weblog

題字{抹籍=まっせき}が正しいかどうか、自信が無い。

なぜなら、ラジオの音声で聞いて、意味から、類推しただけであるから。

毎月第4日曜日 午前4時、それは、
「わが人生の歌語り」と題する、ラジオ番組が始まるのである。

有名な小説家である「五木寛之」氏が出演、聞き役は小生の好きな「須磨 佳津江」アナである。

氏は、有名な作詞家でもある。

作詞の代表的なものは、「のぶひろし」のペンネームで、清酒「日本盛」のCMソング、「エネオス灯油」(新日本石油)のCMソング。

「立原岬」のペンネームで「旅の終りに」(冠二郎)等も作詞。

さらに、五木寛之の名では「青年は荒野をめざす」(ザ・フォーク・クルセダーズ)、「金沢望郷歌」(松原健之)等の作詞を手がけている。

1971年『よこはま・たそがれ』で歌手「五木ひろし」として再デビュー、
大物歌手として今日に到っている「五木ひろし」の芸名は、

当時人気作家であった五木寛之からとって、プロデューサーが名づけたものである。

また、髪の毛を洗わないことで有名である。


 「新人作家のころは、年に二回ほど」
「やがて年とともに、春夏秋冬の四回」、
2004年ごろには「二ヶ月に一度くらい」と、
自身で書いている。

脱線はこれくらいにして、本論。

今回の放送は、第20回目であった。

ちょうど、昭和30年代前半、
同氏が早大アルバイト学生時代の頃の思い出話であった。

蒸気機関車・都電・映画・パチンコ・ストリップ・煙草・・・などが、全盛期の時代。

その当時の懐かしい歌謡曲としては、
三橋美智也=哀愁列車、フランク永井=有楽町で会いましょう、石原裕次郎=錆びたナイフ・・・など。

貧しい学生時代、同氏は授業料を2年分ほど滞納して、どうしても払えないで困っていた。

度重なる学校の督促に、ついに退学を決意、それを申し出たのだが、

未納授業料を全額弁済しないと退学はできないと申し渡された。

退学は、「大学中退」という資格が得られるのだそうである。

結局、授業料の弁済ができないため、


「抹籍」扱いとなったとのこと。 この「抹籍」扱いの場合には、一切大学と縁が切れてしまい、

当分の期間、履歴書の表記は、
「高卒」としていたのだそうである。

後年、氏が有名になってから、その大学の総長とパーティーで会ったとき、

「未納分の授業料五十数万円を、納入すると、中退資格を差し上げます」と言われた。

それで未納分を納入、
それ以降「大学中退」と表記しているのだそうである。

波乱万丈を思わせる話であった。

氏は、ちょうど10歳年上である、いわゆる同世代でもある。

それ故、毎回、何ともいえぬ懐かしさを感じながら、楽しんでいる。


おわら風の盆

2006年11月26日 05時02分29秒 | Weblog

 阿波踊りは、「陽」の踊りである。

リズミックに賑やかに踊り狂っている感がある、人を元気にするのである。

先日、「おわら風の盆踊り」のDVDを見た。

石川さゆりの「風の盆恋歌」で一段と人に知られたようである。この踊りは、「陰」の踊りである。

ナイーブでデリケートな感じが何ともいえない。
哀愁があるきっちりとした上品な踊りである。

胡弓の切ない響きが、一層上品さを盛り上げている。

阿波踊りと風の盆踊りの両方を楽しむと、太極拳の極意である陰と陽のバランスが取れることになる。

ぜひ一度見に行きたいと思うのである。

以前、新潟地震で一度断念した経緯があるのだが、関東の孫のところに、一度マイカーで出かけようと考えている。

この道すがら、近畿のT君・K1君・K2君・S君などを訪問しながら、風の盆を見物・五箇山・飛騨高山・善光寺等と欲張ったことを考えた。

がしかしである、8月20日から始まる風の盆前夜祭に合わせて移動を計画すると、
同窓生諸君の夏休みを妨害することに気がついた。

また、来年は、富士登山と中国の4800mの高地を訪問する計画もある。

こんなに欲張っては、サイフはもとより時間と体力も限界になりそうである。

国内旅行は、古希を過ぎるまでお預けにして、体力の必要な方面に集中することが、最善策と考えた。

鬼が笑いそうな、来年のことをあれこれと考えて、楽しんでいる。


電話コーチ

2006年11月25日 03時05分14秒 | Weblog

琵琶湖近郊在住の同窓生T君から、


“YAHOOフオト”にアップしている同窓会の写真を、プリントしたいがどうすればよいかと、メールを頂戴した。

メールで、交信時間を決めて、電話片手に、お互いにパソコンを睨みながら始めた。


優秀な生徒なので、電話コーチは、すぐに無事終了。

 
彼は、フイルム写真愛好家である。一眼レフを常時携帯し、パチパチ撮影しているようである。

 そして、きちんとアルバムに整理している。


自分は、アナログ人間だから、プリントしたものを、眺めたいという。

色々な楽しみ方があってよいのであろう。

フィルムカメラの撮影技術は、相当のレベルに到達しているのであろうが、


デジカメは、最近息子さんの「お上り」を頂戴したばかりであるとのこと。

(注)以前にも書いたが、「お上り」とは、「お下がり」の逆である。
目下のものから、お古を目上の者に進呈することを言う。

フイルムカメラの愛好家達が、パソコンで修正して作品を作ることに、いかなる反応を示すのか、楽しみである。

小生とて、デジカメ経験は、似たようなものである。

僅か数ヶ月先行しているに過ぎない、分からないことが多すぎる。

マニュアル・取扱説明書の類は、如何に分かり難く書くかを競っている感がある。


素人には何のことか分からないように書いてある。

初めの段階では、あまり根を詰めて読むべき代物ではない。

ちょっと読んで、オソルオソル使ってみるのが一番である。

それで、多少分かり始めたら、それからおもむろにマニュアル・取扱説明書の類を読めばよい。

誰かに教えられたことだが、と前置きして、

「パソコンは、壊れる心配が無いから、思いつくままに動かしてみて、体で覚えるのが良い」と彼は言った。

全くその通りである。「習うより、慣れよ」である。

何事も、体で覚えなくては、使い物にならないのである。


水と酸素

2006年11月24日 06時49分03秒 | Weblog

物の劣化・腐食は、多くの場合、水や酸素が原因で発生する。

今日、動植物の猛烈な繁殖は、海水中に発生した藻が生産した酸素によると聞いた。

 二酸化炭素を光合成で酸素に転換する植物の増加が、大気中の酸素の濃度を20%程度に高めた。

この結果、酸化を基にした高能率の代謝系を持つ動物の繁殖をもたらし、

ひいては、人類の今日の繁栄を築いたと言うのである。

ところが、酸素は、劇物である。

酸素100%の状態では、生物は生存不可能である。

丁度ころあいの20%濃度に保たれているから、皆それぞれに生存できているのである。

酸素が存在する限り、食品・金属製品・その他身の回りの物すべて、酸化から逃れられないのである。

酸素に加えて、水が併存すると尚一層厄介である。

水は、酸化腐食を促進し、水に溶解した腐食性物質などにより、様々な腐食を起こす。

生物にとって、必要欠くべからざる酸素と水は、特に、金属にとって猛毒である。

すべての物、あるいは物事にとって、表と裏が必ずある。

「諸刃の刃(もろはのやいば)」と言う喩えを用いる人がいる、

まさにその通りである。

なにごとにおいても、ほどほどが肝要なのである。


見よう見まね

2006年11月23日 05時15分16秒 | Weblog

 人のことばかり書いたので、罪滅ぼしに「同窓会続報」として、自分のことも書いた。

小生のサラリーマン時代は、まだまだ日本的であった。

何故かというと、優れた部下が沢山居て、難しい仕事は優秀な部下が全て切り盛りし、

ただ部下が作った書類に、判をひたすら押せばすむという時代であった。

そのうち、優秀な部下や同僚は一段と偉くなり、小生は窓際に鎮座させられてしまった。

偉くなった奴は、秘書や部下が、全て面倒なことをしてくれるが、小生などは、全て自前で処理しなくてはならなかった。

その頃、コンピュータが広範囲に導入され、いやでも応でも使わざるを得なくなった。

しかし、基礎的知識のないまま、「見よう見まね」で触っていただけであった。

そのまま今日に到っているのだから、
「指が覚えた」コンピュータに過ぎない、おっかなびっくり時代の一隅を占めているのが、現状である。

この種の端境期現象は、もう暫く続くようである。

今の団塊の世代が、全て卒業する頃には、本格派によるコンピュータ時代が、到来するようである。

定年後は、180度方向転換をし、文科系趣味一筋を進むつもりであったが、

必要に迫られて、ついつい、写真とビデオのパソコン編集に手を出してしまった。

ついついが、とんでもないことになり、のめり込みつつある。

全て、同窓会幹事任せ、ただ参加するのみでは気が引けた。

それで、思い出作りにと同窓会ビデオを作ると言ってしまった。

葉境期パソコン世代の同窓生に、DVDを送りつけても迷惑がられるのが落ちのような気がするのだが、
それでも好きな道、人の迷惑顧みず、作成に勤しんでいる。

DVDを受け取ったら、屑籠に投入れようと見ようとお好きなように。


太極拳県大会 06

2006年11月22日 04時23分19秒 | Weblog

 11月19日、「岡山県武術太極拳連盟交流大会」で撮影した写真。

写真をクリックすると、大きい絵が見えます。

 

一番手前の黄色の衣装の人達が、我々のグループです。

この種目で、1位と大変良い成績をおさめました。

 

7種目(拳法・剣舞・棒術・体操・・・)に、県下全域の愛好家達のグループ総勢850人が参加。

太極拳独特の中国風のゆったりした衣装が、ピンク・黄色・ブルー・・・大変華やかでした。

子供から高齢者といえる年齢層まで、それぞれ楽しんでいる。

平常では見ることのできない、正式の衣装を纏った皆さんは、誰が誰か分からないほどに、様変わりし、緊張の中にも楽しそうに、満足げに演じていました。

男性の知人から、「この緊張感が堪らないんですよ」と、早く出場するように促されたのでありました。

今日は、練習日です。
出場を夢見て今日も頑張ってきます。


神や仏

2006年11月21日 06時37分41秒 | Weblog

 以前から書こうと思いながら、纏まらず、
今日まで書けなかったことがある。

お名前はもとより、宗教家だか評論家だかも忘れたのだが、

昨今の様々な社会現象を嘆いて、大変貴重な意見を述べておられた。

日本は、法治国家である。
皆が、等しく法律を守ればよいのであるが、意外にこれが難しい。

本来、法律は、人間が考え出したものである。 

法律自身に、不完全さを内包している。

そこに、法律を、潜り抜けることばかり考えている人がいる。

特に、社会的な地位のある一部の人は、様々な誘惑が避けて通れず、

汚職・ワイロ・談合など多くの問題を生じ、不名誉な退陣に追い込まれている。

これらの現象を、見つめてみると、


どうも「見つからなければ何をしてもよい」


という風に考えているとしか思えない。

「ごまかす」・「隠す」・「すり抜ける」等それなりに優秀な頭脳を持っている人たちが、


うまく立ち回って、見かけの利益を得るという風潮が広まってしまった。

「法律を基準とする善悪判断 
= 分からなければ、何をしてもかまわない 」

これに対し、

「神や仏に恥じない行為」

を心がけることが必要と説いておられた。

「神仏を基準とする善悪判断 = 絶対的善悪判断 」


まさにその通りである。

年金国家公務員となった現在、このような生き方の模範を示すことこそ、


キリギリスとなり遊びに呆けてはいるが、心がけているのである。


掃除

2006年11月20日 05時25分04秒 | Weblog

以前、家事の項で、掃除大嫌いと書いたが、
今回も掃除について書く。

しばらく掃除をサボると、パソコンの動きが悪くなる。

パソコンの動きが遅くなると、ディスク・クリーンアップで掃除をする。

この掃除だけは、まじめに励行している。

それでも、最近ものすごくスピードが遅くなった。

そこで、M大先生に「C cleaner」なるソフトで、早速大掃除をしていただいた。

レジストリ(よくワカラン言葉)まで含めて大掃除をしてくれたようである。
(ようであると書いたのは、どんな掃除をしたのか、判らないからである)

ブログを、新規に書き込もうとして、気がついた。

記憶させていたパスワードが、消えたようである。

この事実から、類推すると、他のパスワードも消えているはずである。

さらに、その他の設定も、消えた利可能性がある。

パソコンノートの出番が来た、「パスワード閻魔帳」が活躍する。

とにかく、パソコンは、お守りに手が掛かる。

くたびれるのである。


増加月五百件

2006年11月19日 07時14分10秒 | Weblog

 一週間に約三千五百件の増加(一日当たり約500件の増加)、このgooブログの新規参入件数である。

既に、67.5万以上のブログが立ち上がっている。

以前引用した、「ウエブ進化論」梅田望夫著 によれば、USAで2000万人、日本で500万人のウエブ利用者が居ると言う。

この数値は、2005年のものであるから、もっと増加しているのであろう。

片手落ちである、オット待てである。

新規参入者のみカウントして、“放棄”・“休止”したものを勘定している様子はない。 

実稼動数はまったく不明なのである。

甥に様子を聞いてみた、数年前に始めたが、すぐ話題に行き詰って止めてしまったと言う。

どれほどの実数でこのような脱落サイトや放置(休止)サイトがあるのか不明であるが、感じとして相当な数であろうと想像している。

ブログを書き続けるには、恥も外聞も捨て、見栄を放棄し、思いつくまま心底を吐露することが必要になる。 

これに徹することが出来れば問題ないのだが、言うは易く行うに難しである。

こんなことが出来るのは、世捨て人か、悟りを開いた大上人でしかない。

到底凡人には出来そうにない、出来るはずが無い。

どうせ一凡人が、書くことである、多寡が知れている。

ひょっとすると、見栄は難しくても、恥と外聞は捨てられるかも。

出たとこ勝負で、無責任に参りましょう。 


ありがとう ごめんなさい

2006年11月18日 06時43分37秒 | Weblog

毎週木曜日の夜、ラジオで「わが人生に乾杯」を楽しんでいる。

今回は、藤村志保さんという女優さんの出番であった。

小生のこの方に対するイメージは、非常に「清純な・賢い」女性というイメージである。

市川雷蔵・勝新太郎さんなどの映画全盛期の往年の有名俳優との、
懐かしい話が、淡々とありのまま賢く、飾らずに話をなさった。

藤村志保という芸名は、「島崎藤村」の「破戒」という映画に、彼女が初出演したとき、
当時の大映「永田雅一」社長が、命名されたとのことであった。

まず「ふじむら=藤村」は、島崎藤村の「とうそん=藤村」を頂いたのだそうである。

「志保」の方は、映画の役名だったのだそうである。

確かに、映画「破戒」第2作目の主な関係者は、次の通りである。

 1962年 - 『破戒』(監督:市川崑/瀬川丑松:市川雷蔵、・・・中略・・・お志保:藤村志保、・・・ら出演  以下省略)

踊りを9歳頃から習い、19歳にして名取・師匠になり、現在は、女優業に加えて「子守唄協会理事」である。

「子守唄」とは、「母守唄」でもあるのだそうである。

いわれてみれば、なるほどと思うのである。

驚いたことに、日本には、
約3000曲もの、子守唄があるのだそうである。
これには本当に驚いた。

司会の山本監督が、志保さんに、わが人生とは何ですかと質問。

彼女の答えは、「ありがとう ごめんなさい」であった。

なんと素朴で素直な飾らない人柄かと、またまた惚れ直してしまった。


四苦八苦

2006年11月17日 06時33分35秒 | Weblog

 以前書いた、多趣味の続編である。

四苦八苦とは、仏教では、
四苦を「生老病死」と教えている。

「八苦」とは、生老病死の四苦に

「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」
「求不得苦(ぐふとくく)」「五陰盛苦(ごおんじょうく)」

の四苦を加えた八つの苦。

意味は、
「愛する人と別れる苦しみ(愛別離苦)」

「怨み憎む人と出会う苦しみ(怨憎会苦)」

「求めるものが得られない苦しみ(求不得苦)」

「存在を構成する物質的・精神的五つの要素に執着する苦しみ(五陰盛苦)」で、

人間として味わう精神的な苦しみのことをいう。

多くの人が、趣味の世界の苦しみを感じながら楽しんでいるのである。

本編では、「宿題の苦しみ」について言及する。

この苦しみは、「求めるものが得られない苦しみ(求不得苦)」に該当する。

期限が迫れど、宿題ができないのである。

先日、俳句の先生が、解決策を伝授くださった。

「期限の半分(初めの2週間)までに、五句詠むこと」、

「そして、残りの期間(2週間)でさらに五句詠み、加えて、推敲を並行して行うこと」、

このようにすれば、俳句は実に楽しいものであると教えられた。

これが出来ないから、苦しんでいるのである。

宿題の無い、趣味では、いかなる苦しみと出会うのであろうか。

次の、機会には、その他の苦しみについても書こうと思っている。 


ダ・ビンチコード

2006年11月15日 06時30分08秒 | Weblog

図書館の予約順位13番目、半年待ちで
「ダ・ビンチコード」上下2冊を入手、1週間ほどかけてようやく読み終わった。

内容がすっと頭に入らない、すらすら読み進めない、キリスト教の文化を知らないことが、あらゆる点で、理解を妨げた。

また、暗号解読が何度も出てきた、よくもこんなに暗号を考え付くものと、ほとほと感心した。

小説の内容についての理解度は、大変低かったが、一つ大きな関心を持つものが残った。

次に、この宣伝HPからの一文を引用する。

“・・・ 最も劇的な証拠のいくつかはレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画に見ることができ、そこには不可解な象徴、奇妙な事実、そして暗号が満ちあふれています。

美術史家たちも、ダ・ヴィンチの絵には表に現れた図柄の下に隠れた意味がひそんでいるという点で見解が一致しています。

多くの学者が、ダ・ヴィンチは恐るべき秘密の手がかりを作品にわざと残したのだと考えています。

そして、ダ・ヴィンチ自身も所属していたある謎めいた宗教結社が、その秘密を今日に至るまで守りつづけている、と。”

小生が、大きな関心を持ったものが、ダ・ビンチの絵画である。

「最後の晩餐」と「モナリザ」は、鳴門市にある
大塚国際美術館で見ることが可能である。
(「岩窟の聖母」が、展示してあったかどうかは、記憶に無い)

但し、これらは全て、陶板に精密に転写された実物大のコピーである。

これらの絵を、「ダビンチの恐るべき秘密とは何か」という視点で見るのも面白そうである。

また、行きたいところが、一つ増えた。


多趣味

2006年11月14日 06時00分27秒 | Weblog

 俳句教室では、デジカメ講座が話題となり、ビデオクラブでは、多趣味が話題となった。

人それぞれに楽しみたいと思うことが、どうしても複数生じてしまう。

解決策は、二通り。

その1:一点集中型 =
 一つの事をかなりのレベルに到達するまで習得し、そして次のテーマに進む

その2;多趣味型 = 
複数のことを、並行して学び・楽しんでいく

趣味の世界とは言え、ある一定のレベルに到達するためには、十年・二十年の歳月が必要な場合が多い。

三十・四十代なら、十年・二十年と時間をかけることが可能である。

それ故、一点集中型の方が、到達レベルを高くでき、より深く楽しめるように思うが、

還暦を過ぎた世代にとって、現実は厳しい。

なぜなら、残り時間の制約が避けて通れない。

おのずと、多趣味型を選択することが多くなり、あれもこれもと、中途半端にはなるが、
それなりに幅広く楽しんでいるのが現実である。

誰にとっても、時間は同じように過ぎていく、
あとは如何に過ごすかを、人それぞれが、それなりに決めていくしかない。

ただ楽しみの裏には、常に苦しみが隠れている。

次の機会には、趣味四苦八苦の現状を覗いてみよう。