12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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ユリウス・カエサル16

2009年01月11日 06時48分25秒 | Weblog

 ガリアでの戦役(カエサル42歳から49歳の間)が進むにつれて、不思議なことに彼の懐具合がよくなった。

当時西方ガリアとは比較にならないくらい裕福な東方のギリシャや中近東では、被征服民から金銀財宝を強奪したり、重税を課したり、戦闘で得た捕虜を奴隷として売ったりすれば大金を手にすることができた。 

いまだ西方は貧しく奴隷売買による以外に大金を手にする方法はなかった。しかし、カエサルが大量の奴隷を売買した記録は残されていない。

塩野七生女史は、旧東ドイツの「三文オペラ」の作者として有名なブレヒトが「カエサルのビジネス(Die Geschafte des Herrn Julius Caesar)」の中で展開している仮説を引用している。

 カエサルはライン以南のガリア全土をローマ化しようと考え「文明化」を進めた。これはローマにとって最善の安全保障策でもあった。

カエサルのいう民族の文明化とは、文学や芸術ではなく経済の振興であった。それがためにカエサルはガリアとの通商を積極的に奨励した。

カエサルは軍事的に制覇したガリアをローマの商人達に開放した、すなわち苦労して獲得したガリアの地の通商利権をローマの商人達に売却した。

恒常的な収入とするため、年間契約のような形で、毎年恒常的なピンハネを行ったと推測されている。

この結果、BC55年(カエサル45歳)には、金づるクラススが1年後には死んでしまうにもかかわらず、借りることしか知らなかったカエサルが人に貸すようになった。
(小生もカエサルの借金問題が解決して、ほっとした)

 ブレヒトは「カエサルのビジネス」の主人公に、カエサルと金の関係について次のように云わせている。

 「あの人が、カネの問題で訪れた連中相手にどう対処するかを眼にするたびに、わたしの胸は敬意でいっぱいになるのだった。それはあの人がカネというものに対してもっていた、絶対的な優越感によるものだったと思う。

あの人はカネに飢えていたのではない。他人のカネを自分のものにしてしまうつもりもなかった。ただ単に、他人のカネと自分のカネを区別しなかっただけなのだ。

あの人の振る舞いは、誰もがあの人を助けるために生まれてきたという前提から出発していた。わたしはしばしば、カネに対するあの人の超然とした態度が、債権者たちを不安にするよりも、彼らにさえ伝染する様を見て驚嘆したものだった。

そうゆうときのあの人はかの有名なカエサルの泰然自若そのものだった」

これで凡人の小生には、カエサルを目指すなどという無謀なことは考えるだけ無駄というものだと再度悟った。

補足;
ローマの官職は、ほとんどが名誉職で完全無給であった。それゆえ、ガリア戦役当時最高位の政治家・執政官を勤めたカエサルも無給の官職についていただけである。これで、いかにローマ人が名誉を重んじたかがお分かりいただけるであろう。

現代の我々が抱いているイタリア人に対する感覚とは、どうも距離があるようだ。