12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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ユリウス・カエサル19

2009年01月26日 07時35分33秒 | Weblog

 BC58年から51年までの八年間に戦役の主人公たるカエサルはガリア戦記を書いた。

史家たちの間で二千年間カエサルの業績については意見を異にすることもあったが、カエサルの文章力については賛嘆で全員が一致したという。

---キケロ(BC51年記)---
これら
の巻きはすべて裸体であり純粋であり、人間が身につけている衣服にも似たレトリックを完全に脱ぎ捨てたところに生まれる魅力にあふれている。

カエサルは、歴史書を書こうとする者に史料を提供するつもりで書いたのかもしれないが、その恩恵に浴せるのは諸所のことをくっつけて飾り立てした歴史書を書く馬鹿者だけで、思慮深く賢明な人々には、書く意欲を失わせてしまうことになった。

---小林秀雄(AD1942年記)---
・・・少しばかり読み進むと一切を忘れ一気呵成に読み終えた。

・・・・ 勿論、別して読後感という様な小うるさいものも浮かばず、満ち足りた気持ちになった。近頃珍しく理想的な文学鑑賞をしたわけである。・・・・

カエサルの文体は、簡潔・明瞭・洗練されたエレガンスの三語で総括できるという、それは、文は人となりという視点で捕らえれば

「カエサルが真に貴族的な精神の持ち主であり」また「裸体であり純粋であった」さらに「読者の思惑なぞは一切黙殺して自足しているようであった」と塩野七生女史は言う。

 「ガリア戦記」は、戦や政治のさなか驚くべき速さで書かれた元老院への現地報告書に過ぎないというのであるが、これらの多くの賛辞を聞いては、是非とも読みたいと思わされた。

 しかし、カエサルは元老院宛の報告書として簡潔に書いているため、二千年前のローマ人にとって衆知・公知のことなど書かれているはずもないだろう。そうなれば、塩野七生女史の「ローマ人の物語」を十分理解した後、ガリア戦記を読まねばならぬことも明白である。

あとがき;
文は人となりという視点で見た場合、オバマ新大統領が27歳のスピーチライターに書かせた文章とはいかなるものだろうか。

カエサルのように貴族出身ではない彼ではあるが、理想主義的な発言から貴族的な精神の持ち主であるように思えるのである。

また「裸体であり純粋であった」点についてはそのような気もするが、政治家の発言として有権者を最も意識せざるをえない関係上、「読者の思惑」はどうしても大きく影響しているはずである。

美辞麗句があるわけでなく簡潔・明瞭についてはその通り守られているが、「洗練されたエレガンス」については、小生の語学力では判断不可能であった。

日本の政治家でこのレベルの文章を書ける人が、早く表に出てくることを願うのである。

 

お断り;明日火曜日は、所要ため休刊します。

 


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