12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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ユリウス・カエサル18

2009年01月18日 10時39分13秒 | Weblog

 BC60年は晩生のカエサルは40歳にして起ったのであった。この年三頭政治を密かに結成、翌年から国家改造の第一歩を歩み始めた。

BC59年1月1日、執政官に初就任したカエサルは、着任後数ヶ月は牙を隠し、従来通りの伝統を踏襲した政治を行い元老院を欺いたが、すぐに「アクタ・セナートゥス」すなわち(日報)あるいは(元老院議事録)なるものを、フォロ・ロマーノの壁面に毎日貼り出した。

これはCNN TVが元老院会議場に持ち込まれ実況中継をしたと同じ効果をもたらした。すなわち、もう元老院は仲良しクラブでは立ちゆかなくなったのであった。

 ローマでは伝統的に執政官は、2人制かつ江戸の代官のように月番制であった。当番月は自ら、そうでない月は自派の護民官をつかって法案を提出した。

まずカエサルは「ユリウス国家公務員法」とでもいうべき百数十項目にわたる法を成立させた。この法律は、その後六百年にわたりローマが存続する限り効力を有した。

この法律の骨子は「公職にあるものは贈り物を受けてはならない」というのであるが、元老院派が独占してきた、高級公務員の資金源を断つことが狙いであった。

カエサルの政治は統治される側の民衆への配慮も行き届いており、税制をガラス張りにし賄賂の横行を防止し公平さの確立を図った。 その上、執政官就任後3ヶ月目に宿願の「農地法」を提案した。

これには既得権益を有する元老院議員は簡単に賛成できるものではない。 そこでカエサルは強行突破を断行するため、内密の三頭政治を白日のもとのさらすことにした。

ローマでの最終的な法案の決定権を有する国民投票とでもいう市民集会を開かせたのであった。 反対派が議事妨害を試みるも民衆の怒号で恐れをなし演壇を降りるしかなかった。

カエサルはクラッススに発言を求め、経済界の代表者が賛意を示すと民衆は盛大な拍手で応えた。 次いでポンペイウスに発言を求め賛意を得ると共に、ポンペイウスが実施に当たって、責任を持ってこの法の実施を監視するように求めた。

当然民衆は大賛成である大歓声を響かせた。もう一人の元老院派の執政官が拒否権を発動しようとしたが、民衆は演壇めがけて押し寄せ拒否権を発動するすきを与えなかった。

 それやこれやで、カエサルは着々とポンペイウスとクラッススに対する私益を与える法案も成立させたが、単に個人に対する利益誘導だけでなく、すべて国益に資する法でもあったのはさすがにカエサルだった。

そして、四十にして起ったカエサルはローマ政界を遠隔操作できる手足をローマに残し、8年にわたるガリア征服に赴いたのであった。

「ユリウスとカエサルが執政官であった年」といわれるカエサルの一人舞台であったBC59年はおわり、BC58年からBC51年までの八年間は、カエサルが総指揮を取った「ガリア戦記」の時期になる。

 後世からも名文と評されるカエサル自筆の「ガリア戦記」は、また高い客観性を持って書かれていることでも知られている。