12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

オタマジャクシ

2008年02月26日 07時18分21秒 | Weblog

2月の最終日曜日午前4:05から「わが人生の歌語り」作家…五木 寛之氏、 きき手、須磨佳津江さん を、久しぶりに聞くことが出来た。

S43頃は、東大紛争、成田紛争などで大きく世の中が揺れ動いた時代であった。

その頃、五木氏は、スカンジナビア半島・バルカン半島・朝鮮半島・インドシナ半島・・・など、沢山の半島めぐりをしたが、その理由は世界の紛争の多くが半島で発生したためだという。

彼らしい目の付け所に感心しながら聞いていたが、更に、彼が「艶歌」と言う小説を書いたとの話を聞いた。後日、インターネットで調べるとS42頃の発行のようで確かにリストされていた。


「艶歌」というのは、彼の造語のような発言であった。
( 艶歌は、wikipediaによればでは、「春歌」と言う分類で扱われており、それほど上品な歌の扱いではなかった)

この時代、知識人と一般大衆の間に大きなギャップがあった時代で、彼の作品も純文学と大衆読み物の境界線上にあったという。
彼本来の反骨精神が、お高くとまっていた純文学者に反抗して、彼独特の作品を生んだのである。

 トークの間に“都はるみ”の「好きになった人」が流れた、「サヨーナラー サヨーナラー元気でいてねー ・・・」、この“サヨナラ・・・”が、いかにも明るいのだというのである。

♪音符は、その頭の部分が楕円形の黒丸で現されるのであるが、これをオタマジャクシと俗称されている。

このオタマジャクシの頭は当然のことながらある大きさを持っている、このことは、オタマジャクシの示す音階にある許容範囲があるという。

中心となる純粋に正しい音階より許容される上限までを♯とすれば、許容される加減までが♭である。 都はるみは、♯の許容範囲一杯に「サヨウナラ・・・」を歌っているから、明るく聞こえるのだという。

初耳である、こんな聞き方もあるのかとまた感心した。

追記:
「わが人生の歌語り」 続編の出版が近々あるとのこと。
また、図書館にリクエストしなくては・・・。

お知らせ;2月27日から3月9日まで、都合によりお休みします。


太極拳昇級試験

2008年02月25日 07時10分57秒 | Weblog

昨日「5級~1級技能検定試験および講習会」に出席した。

午前中は、1級受験者(約50名)・2級受験者(約50名)および3級~5級受験者(約100名)の3グループに分かれて事前講習を受け、午後から試験が行われた。

 

試験場の撮影は許されなかったので、練習風景・お弁当・我々の写真を紹介する。

この日は-2度と寒く、県北は大雪だったようで、勝央地区から来られた受験生の方はひどい雪に困ったと話しておられた。

異口同音に皆さん緊張したと話していた。
皆等しく気疲れしたことであろう。小生も大きな山を越えたようなほっとした気持ち、やれやれとの思いで帰宅した。

昇級試験の結果発表はだいぶ先となる様子。

 注記:
1級が最上級で、これ以上になると「段」になるようである。
これ以外に、師範の資格もあると聞いたが詳しくは知らない。


たまげた

2008年02月24日 05時24分24秒 | Weblog

 先日、同窓生が同窓会ブログで、カセット・レコードなどの音や音楽をパソコンに取り込む便利な方法があるので有名なY新聞を見よと教えてくれた。

図書館に出かけ初めてY新聞を読んだ。さすが全国版の大手一流紙である、他にも読みたい記事がわんさとあった。そろそろ地方紙から乗り換える必要があるかなと思わせられた。

 23日土曜日の地方紙S新聞の玉野圏版を見て、次の記事に目を惹かれた。

            

見出しは「主婦考案“たまげた”バーガー」、年齢・お名前からすると、先日ご自分のコンサートの案内を下さったFさんであろうと思った。色々手広くおやりになっているのに驚いたのである。

このバーガーは、ランチメニューで毎土曜日午前11時半から二十食限定、630円、“ポンテ リング”という喫茶店で食べられると言うのである。(何処にあるか知らない)

この地方では、舌平目のことを「ゲタ」と呼ぶ。そのゲタのミンチをハンバーグにしたものが、挟んであるとのこと。

玉野(たまの)と「ゲタ」から「たまげた バーガー」と名付けたというのであるが、このネーミングにはこちらが「たまげた」のである。

こんなローカルの記事が読めるので、Y新聞への乗り換えはしばらく保留とした。

追記:
本日24日日曜日は、岡山市で太極拳の昇級・昇段試験が行われる。我が教室からも数十名の方が参加されるのである。

大(おお)先生は、上海で行われる本場の講習会に参加され不在で、金曜夜の教室はお休みなのだが、試験を受ける生徒達は自主練習と称して試験準備練習に励んだ。試験が目前のため、それなりの緊張感漂う教室となった。

ちゃらんぽらんに学んでいるつもりは無いのだが、未熟な上に、段々慣れてくると我流が混ざり始めているのである、あれこれ、若先生に技を直されながら一汗かいてきた。

小生は最下級の試験しか受験できないのだが、やはり初試験ともなるとかなり強い緊張感を感じるのである。

マイペース中心の毎日ばかりを過ごすより、たまには、この種の緊張感も良いのではないかと思っている。
何とかして、合格したいものである。


歌川国芳

2008年02月23日 07時53分57秒 | Weblog

 まずこの「寄せ絵」をご覧頂こう。

   

驚くなかれ、一人の人物の顔に見えたものが、見方を変えると複数の人物像に見えるではないか。

おそらく、実際に弟子達にやらせ確認したのであろうと言われている。
また、江戸庶民達は、この絵の真似をしたのではないかとも言われている。

日本人離れした、独創的な遊び心とでも言っておこう。
更に、お暇な向きは、こちらをご覧頂こう。

 http://www.kiseido.com/printss/p6-j.htm

彼は、3枚構成のワイドスクリーンを導入した初めての絵師である。

あいにくと、インターネット上では見つけることが出来なかったが、天保の改革を皮肉った作品もある。この種の絵は、「遊び心」や「風刺」を封じ込めた絵なのである。

生来、祭りを煽ることが大好きな性分だったようで、江戸っ子の反骨精神やユーモアを如実に絵に表している一面も持ち合わせているのである。

 亡くなる時、弟子たちに言った言葉が
「俺の名前を継いだら、化けて出る」である。

最後まで、茶目っ気に溢れていたようである。

 しかし、こんな絵の面白さが理解できた幕末の江戸庶民の「すごさ」に感心させられた。

参考:Wikipediaより、

歌川 国芳(うたがわ くによし、1798年1月1日(寛政9年11月15日) - 1861年4月14日(文久元年3月5日))は、江戸時代末期の浮世絵師。
江戸時代末期を代表する浮世絵師の1人である。

国芳は、同時代に活動した葛飾北斎や歌川広重らの人気絵師に比べ、日本における知名度や評価は必ずしも高いとは言えなかった。

「幕末の奇想の絵師」として注目され、再評価されるようになるのは20世紀後半になってからである。

 師・豊国没後の1827年(文政10年)頃に発表した『水滸伝』のシリーズが評判となり、30歳を過ぎてようやく人気絵師の仲間入りをした。

国芳には多くの門弟がおり、幕末から明治前期に活躍した異色の画家・河鍋暁斎や、「最後の浮世絵師」と呼ばれた月岡芳年も国芳に弟子入りしたことがあった。国芳は明治維新を目前にした1861年(文久元年)、数え年65歳で没している。


作品は役者絵、武者絵、美人画、名所風景から戯画、春画までさまざまなジャンルにわたっているが、中でも歴史、伝説、物語などに題材を採り、大判3枚続きの大画面に巨大な鯨や骸骨、化け物などが跳梁するダイナミックな作品に本領を発揮している。

また、無類の猫好きとしても知られ、常に数匹の猫を飼い、懐に猫を抱いて作画していたと伝えられるほどで、猫を擬人化した作品も多い。猫に限らず、狸、雀、蛸などの身近な動物を擬人化して世相を風刺したり、動物に託して江戸の庶民の生活を描写した作品も多く、これらは現代日本の漫画・劇画のルーツとも考えられる。

「寄せ絵」(一見、1人の人物の顔に見えたものが、見方を変えると複数の人物像に見えるといったもの)や、自宅で絵を描く自身の顔の前を、絵の中の動物や人物が横切り、自身の顔を隠している「自画像」のような遊び心のある作品も国芳の得意としたものである。

華美をいましめる天保の改革(1841年~)以後、幕府の禁令により、役者や遊女の1枚刷り錦絵は出版できなくなった。しかし、国芳は持ち前の江戸っ子気質から魚の顔を役者の似顔にするなど、さまざまな便法で禁令を潜り抜け、役者の似顔を描き続けた。


シエラザード

2008年02月22日 03時35分03秒 | Weblog

Shehrazad(フランス語?)これをどう読むのか良く判らなかったが、英語表記ではSheherazadeだと解釈し一応シエラザードと読むことにした。

そんな訳で、本文では今後、彼女のことを「シエラザード」と呼ぶことにした。

昨年の10月中頃からStage6のサーバにアップロードできなくなっていたが、ようやく復旧した。(また、ぼちぼちビデオ公開を始めます)

久しぶりに彼女シエラザードの作品を拝見した。
新しく公開されたものは、下記のURLの新年のグリーティングであった。
毎度の事ながら、いい音楽とセンスの良い構成で見とれた。


http://www.stage6.com/user/sheshe67/video/2194857/Happy-new-year-2008

(もし見えない場合は、一番下の「追記」を参照ください)

小生からも新年の挨拶を送ったところ、次のようなメッセージが返ってきた。下記が彼女のブログのURLである。

 sheshe67
Thank you very much. !
you can also have a look on my blog

http://tomatejoyeuse.blogspot.com/

My videos are subtiles in French.
But I will soon create some in english Shehrazad

(こちらは、どなたでも見えるはずです)

若い女性の作品なのである、とてもきれいな画面である、あいにくとフランス語なので記述内容は殆どわからないのが残念である。
その内英語版ビデオも公開するとのこと、楽しみにしている。

 

追記:
もし画面が見えない場合には、
DivXをインストールする必要があります。
インストールされる方は 

 • Download DivX のfree(無料)の方をインストールしてください。

http://www.divx.com/divx/windows/

 上をクリックしてください。インストールできるはずです。 


超高齢者体験

2008年02月20日 08時15分16秒 | Weblog

「すこやかセンター」にて開催、主催「元気が一番!祭り実行委員会」(事務局:玉野市健康増進課)の市民の健康づくりイベントの続きである。

 ビンゴや講演も面白かったが、小生にとって一番印象的だったのが「高齢者を体験しよう!」というコーナー。

 公的な区分では、小生は既に立派な高齢者であるが、ここの世話役さんによると、体験対象となっている「高齢者」とは、小生より遥かに年を重ねた人だと言う。

  

        

介添えの女性によって、両手や両足首に軽い重り(せいぜい各200gr?)、両ひざや両ひじの関節部分にプロテクターのような器具(おそらく、転倒時の保護と更には動きを制限するための両機能を有するもの)を装着し、歩く体験である。

 

なんとも不自由なのには閉口した、年をとって体が弱ってくると、かくなるのかと愕然とした。手も足も重い病気のときのように、鉛のごとくなりうまく動かせなかったのである。

標準的なコースでは、上記に加えて、めがねの装着体験もあったが、視野がひどく狭くなり、且つ焦点が大きくボケた、それゆえ、こちらは転倒・衝突の危険性を感じたので辞退した。

この種の超高齢者とは、何歳ぐらいに相当するのかと訊いても明確な回答は得られなかった。(こんなになると街中などには出てくることは不可能であろうから、この種の方にお目にかかる機会も非常に少ないのだろう)

しかし、こんなにはなんとしても成りたくないという、強い気持ちにさせられたのであった。

 体の自由が利かないのも困るのだが、特に小生の場合には目が弱点である。

目が見え難くなることは、いかに肉体的に健やかでも、家族や介護の人に完全にお世話になる必要があり、言い換えるならば、寝たきりと大差無いことになる。

まず第一に、目の酷使を避け、定期的な検診を続けなければ・・・と強く感じた。

第二には、柔軟性と貯「筋」にせいぜい努力して、「ぴんぴんころり」を目指さねばと思わされた。

これだけ沢山の貴重な心がけを植えつけてくれたのだから、このイベントに参加した意義があったと感じている。


新年度近し

2008年02月19日 07時56分05秒 | Weblog

 先日、源氏物語講座が、今年度の終了式を迎えた。再開は5月より、3月の公募で申し込みが必要との事。

趣味講座の新年度案内が3月初旬から中旬にかけて公にされるので、良く見て奮って参加してもらいたいと市の職員から話があった。
(小生の場合、市が関与する講座は、太極拳の金曜夜間の部・ストレッチ体操・源氏物語である)

ご存知の方も多いと思うが、次の資料に、市が主催する講座の情報が掲載される。

1. 市の広報誌(3月号で通年分、個別の月号では年度途中から始まるものの募集案内)

2. 各市民センター窓口においてある、講座単位のチラシ

市が関与するもの以外に「自主講座」と称するグループ活動が沢山あるが(公式講座の数倍の数だと予想している)、その情報を入手することが困難なのである。

俳句・太極拳の水曜昼間の講座・男性料理教室・水墨画などは全て自主講座である。

当然かもしれないが、自主の名前の通り、これらの講座の活動には市は積極的に関与しようとしないのである。

それで小生も困っているのである、いかようにしてこれらの情報(どんな講座があり・何時開催されるのか・誰に連絡を取れば入会できるのか等)を手に入れればよいのか、いまだに判らないのである。

 新年度からは、非常勤講師の職も定年となり、いくばくか時間的な余裕が出来る。

段々年を重ねていくと新しいことが始めにくくなるので、手遅れにならぬうちに、時間が許す限り幅を広げておこうと思うのだが、こんなわけで、新しい講座を知ることにも難渋しているのである。

あとがき;
平日の夜間、市民センターは閉館される関係で、夜間講座は一部の例外を除いて無いと聞いている。

これが理由で、現役組の皆さんは、土日の休日分の講座しか参加できないという現実がある。

現役の皆さんの趣味を広げる支援や将来の指導者育成の面で何とかならぬかと思っている。


ビンゴゲーム

2008年02月18日 07時30分44秒 | Weblog

   

 新聞広告チラシを娘から渡された、小生をかなりの老人と認識しているらしく、是非行くようにとしつこく言うのであった。


チラシの一部に有名な山陽放送(この地方の民間放送)の元アナウンサー(井上…氏)の講演があるというのが、一番の魅力だった。

「すこやかセンター」というのが開催場所、主催「元気が一番!祭り実行委員会」(事務局:玉野市健康増進課)、年寄り向けの施設で年寄り向けに開催されるイベントのようで気が進まなかったが、しぶしぶと出向いた。


沢山の展示・即時販売コーナーなどあり会場は盛況、大人から子供まで沢山の人で溢れていた、講演会場も超満員、講師の人気のほどが思い知らされた。

   

続いて、同じ会場でビンゴゲーム、廊下でしばらく待って入室、当然座れなかった。 くじというのは、何が当たるのか判らなくても、それなりにワクワクした。

   

元の職場の女性と出合ったので、その席の近くにしゃがみおしゃべりと一喜一憂しながらビンゴの進行を見守る。(残念ながら、全く当たらず)

この施設に勤務している太極拳教室の後輩生徒(美人)さんから聞いたことだが、今年は初めての試みとして「講演会」を開催したのが、集客手段として非常に有効に機能したと言っていた。

小生にとっては、講演も興味があったが、ビンゴの方がより興味を覚えた。あまり食わず嫌いにならず、色々なものに参加してみるのも面白そうである。


ガリバー

2008年02月17日 08時09分54秒 | Weblog

童話や幼年向けの小説、小人達の国の話「ガリバー旅行記」を、よくご存知であろう。
作者は、“ジョナサン・スウィフト”という英国の作家である。

原本は、以下の4編で構成され、18c初頭に発行された。

  第一部:小人国渡航記、
  第二部:大人国渡航記、

  第三部;空飛ぶ島渡航記、
  第四部;馬の国渡航記

「あなたの知らない ガリバー旅行記」 阿刀田 高 著、新潮社発行を偶然見つけて読んでみた。

なんと「ガリバー」とは、「愚か者」という意味なのだそうである。
原本は、風刺とブラックユーモア溢れる作品で、18c頃のイギリス社会に対する、辛辣な風刺が書かれているというのである。

小人国の宮廷内の勢力争いは、そのまま英宮廷内の争いのパロディ、又とるに足らないことで対立しているイギリス国内の宗教対立を揶揄、・・・。

この本を読み進んでいると、宮廷内の争いや宗教対立など、その当時のイギリスの社会実態を知らないと共感を持つことが結構難しい。
また対象が不潔なものとかあまり公開するには適切でないものもあり、列記するのは難しいものも多いのである。

風刺・パロディは嫌いな方ではないが、阿刀田氏が紹介する内容では、原本を読もうという気にはなれなかった。

人情と誠実さに救われるような気持ちになれる藤沢周平氏の小説の方が、小生には良く合っており楽しめるのである。


好きになった人

2008年02月16日 06時47分28秒 | Weblog

NHKの朝の番組で「都はるみ」が軽快なステップに乗せてフィナーレに歌った歌である。

<!-- 都はるみ 好きになった人 -->

先日、「都はるみ 45周年記念コンサート」と「舟木一夫コンサート」の案内を貰い、どちらのチケットを手配しようかと迷っていたところ、タイミングよくこの番組があったのが、この放送を見た理由である。

 S39年16歳でデビュー、今年は60歳45周年である。

あの小柄な体から搾り出すような「うなり」は母仕込という。
「うなり」を認めた作曲家市川昭介氏との運命的な出会で大歌手に成長。

単に、「うまい・上手」とか「きれいな声」とかでは人に感動を与えることは出来ないのである。
彼女の場合には、「うなり」を添えることによって、彼女の持ち味を発揮したのである。

作詞家星野哲郎氏宅での彼女の「うなり」は、星野氏はもとより家人も驚愕させ、番犬を吼えさせ、同時におしっこを漏らさせたという秘話まで紹介された。

 「あんこ椿は恋の花」の作詞家星野哲郎氏は、彼女の「うなり」に驚愕し、瞬時にこの曲を作詞し、市川正作氏に電話した。そのときの「あんこ椿の・・・」の詩は、市川氏によって、新聞折り込み広告の裏面にメモされた、その証拠品が明らかにされた。

 作詞:阿久悠、作曲:小林亜星 「北の宿から」の「あなた替わりはないですか・・・」の歌詞「あなた」の言葉の置き方に迷った彼女に、市川氏が(他の作曲家の曲に)長時間電話で「言葉の置き方」を指導したのは、大変有名な話である。

良い言葉の置き方ができると、余韻が残るというのである。

コンサートでは、「涙の連絡船」「大阪時雨」「夫婦坂」「北の宿から」「好きになった人」・・・など、沢山の曲が生で聞けることであろう。

これで、都はるみのチケットを購入することに決定。

あとがき:

彼女の健康法は、青竹踏みや足つぼ健康法のようであった。

      

この写真は、小生の持っている足つぼ健康板であるが、彼女も似たようなものを使用している。この板を、お尻の下や、大腿部の下、背中などに当てていると言うのである。

新しい使用方法を教わったのである。

現在の目標は、声の維持と「いろんなものに興味を持つ」「空が単純にきれいと思える人になる」事なのだそうである。

いつまで歌を楽しませてもらえるように、元気で居て欲しいものである。


バレンタインチョコレート

2008年02月15日 07時26分28秒 | Weblog

デパートやスーパーマーケットに行くとぎょっとするほど多量のチョコレートが販売されている。チョコレート屋さんの陰謀である。

 現在ではチョコレートの年間消費量の4分の1がこの日に消費されると言われるほどの国民的行事となっている。

 当初は女性が男性にチョコレートを贈ると同時に愛の告白をする日とされていたが、現在では既に交際中の恋人や、結婚している夫妻の間でも行われるようになり、

上司や同僚、ただの友人などの恋愛感情を伴わない相手にもチョコレートを贈る「義理チョコ」という習慣や女性が女性へチョコレートを贈る「友チョコ」という習慣も生まれているらしい。

最後の「義理チョコ」が来て以来、早いもので十年近くたってしまった。一抹の寂しさがある。

下記参考資料によると、バレンタインのプレゼントは、チョコレートに限定されないのである。

それゆえ、自分に自分からバレンタインの義理“鯛焼き”を送ったのである。久しぶりの焼きたて鯛焼きは、ホカホカと暖かく美味であった。

参考:
バレンタインデー あるいはセントバレンタインデー(St. Valentine's Day)は、2月14日に祝われ、世界各地で男女の愛の誓いの日とされる。

 もともと、269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌス(テルニのバレンタイン)に由来する記念日であるとされている。

なお、2月14日のウァレンティヌスの記念は第2バチカン公会議後の典礼改革で、史実の上で実在が明らかでない聖人たちが典礼暦から整理された際に取り除かれ、現在では祝われていない。

祝い方:
恋人たちの愛の誓いの日とされ、世界各地で様々な祝い方がある。

1.欧米
男性も女性も、花やケーキ、カードなど様々な贈り物を、恋人に贈ることがある日。カードには、"From Your Valentine" と書いたり、"Be My Valentine." と書いたりもする。

欧米では、日本に見られるような、ホワイトデー(バレンタインデーと対になるような日)の習慣は存在しない。

贈り物の種類はさまざまであるが、チョコレートも贈る習慣は、19世紀後半のイギリスではじまった。キャドバリー社が2 代目社長リチャード・キャドバリーが1868年に美しい絵のついた贈答用のチョコレートボックスを発売した。

キャドバリーはこれに前後して、ハート型のバレンタインキャンディボックスも発売した。これらのチョコレートボックス等がバレンタインデーの恋人への贈り物に多く使われるようになり、後に他の地域にこの風習が伝わっていった。

2.日本
女性が、チョコレートを贈る習慣は日本で始まったものである。
(ただし、英語版ウィキペディアに「バラ、チョコレート、宝石などの贈り物」という表記があるように、欧米でもチョコレートを贈ることが無いわけではない)。

女性から男性へ贈るのみで反対に男性から贈ることは珍しい、という点と、贈る物が多くはチョコレートに限定されている、という点は、日本のバレンタインデーの大きな特徴・特異性である。

最近ではそれを避けて、クッキーやケーキなどを贈る人もいる。

3.チョコレート屋さんの陰謀の歴史
日本でのバレンタインデーとチョコレートとの歴史は、神戸モロゾフ洋菓子店が1936年2月12日に、国内英字雑誌に「バレンタインチョコレート」の広告を出し、1958年2月に伊勢丹新宿本店でメリーチョコレートカムパニーが「バレンタインセール」というキャンペーンを行った。


迷惑電話対策

2008年02月13日 08時01分24秒 | Weblog

 ある方に電話をしたが、留守番電話にて通じなかった。
何度目かに、留守録音の吹込みを始めたら、相手の方が電話口に出てきた。

なんと、小生と同じ迷惑電話対策を採用中で「24時間留守番電話設定」にしているという。

電話セールス対策には、皆さんお困りなのである。

しかし、小生が電話口で戸惑ったように、拙宅に電話をお掛けくださる方には、若干のご迷惑をかけているようである。

当分の間、拙宅の老朽電話は正常に機能しそうなので、番号表示可能な機械に更新することもなさそうである。

もうしばらくは、電話を掛けてくださる皆さんにご不自由をお掛けすることになりそうである。

追記:
セールス電話が毎日午前・昼間・夜間数度かかってきているが、留守番電話だと判ると相手が直ぐ切るのである。

「24時間留守番電話」法で完全に撃退できています。(効果大)
古い電話機をご使用の方にはお勧めです。


スーパーチューズデイ

2008年02月12日 05時56分24秒 | Weblog

 大統領予備選挙の呼称一種であるが、これ以外に、「メガチューズデイ」「ツナミチューズデイ」などと呼ばれているという。

メガとは、ものすごく沢山といった意味であり、スーパーよりさらに大きい影響力があるとの意味だという。

また、ツナミ(津波)と呼ぶのは、大きな米大陸は、東海岸から西海岸に向けて、津波のように選挙の時間が進行することから来ているという。

ところが、一番判り難いことは、日曜日ではなくて、何故「火曜日」に選挙をするのかということである。 これは、建国以来の伝統なのだそうである。

建国当時、日曜日は、宗教上安息日とされていた(今でもそうだろうが)、このため選挙などを行うことはもってのほかだった。

 そして、広大な国土であるゆえ月曜日に徒歩や馬や馬車などで選挙場に出かけても、火曜日にしか到着できない人が多かったようである。

それ故、火曜日が選挙日になって、それ以来ずっと継続されているというのである。

これで、ようやくチューズデイ(火曜日)の謎が解けたのである。

追記:
予備選挙方式(現在TVなどで報道されている選挙方式)と

党員集会方式(州によっては選挙ではなくて、地区毎の党員が一箇所に集まり、自分の支持する候補者の行列に並ぶという方法)と呼ばれる古風な投票方法があるとの事。

まだまだ、米国の選挙については知らないことが多いのである。


認知症

2008年02月11日 07時29分57秒 | Weblog

男性料理教室での最近の主なる話題は、認知症である。皆さん親の介護に大変なのである。

先日、ラジオ深夜便で放送があった。寝ぼけ眼で書き取ったので、多少間違いがあるかもしれないが、要点は押さえたと思っている。

 A.認知症は、65~69歳では、1.5%くらいの発症率だが、加齢と共に急速に増加する。

 B.三大認知症  http://www.zaitakuiryo-yuumizaidan.com/kaisetsu10.htm

1.アルツハイマー型痴呆(ATD)  認知症の50%、 女性に多い

2.レビー小体型痴呆(DLB) (幻が見える、妄想的になる)60歳以降、男性に多い

3.脳血管性痴呆(VD) 脳梗塞の後に起こる(言語障害、怒りっぽくなる、感情障害)男性に多い

C.認知症は、物忘れから始まる。物忘れには、良性と悪性があり、悪性が認知症になる。

良性の物忘れは、体験の一部をわすれる、忘れたことに自分で気が付く。

悪性の物忘れは、体験の全てを忘れ、忘れたという自覚が無い。

D.大切な事:
1. 家族が小さな変化を見逃さない。
2. 地域のネットワークで発見する。
3. 早期の発見、早期の治療(病気の進行を緩めることが出来る)。
4. 疑わしきは、専門医=物忘れ外来へ

早く発見し、早く投薬することが、認知症の進行を遅らせる大切な対処方法である。

参考1:アルツハイマーを疑う10の症状 http://www2f.biglobe.ne.jp/~boke/boke2.htm

1.仕事に影響するもの忘れがある
約束事や締切日や同僚の名前を時に忘れるのは正常です。

しかし家庭や職場で頻繁にもの忘れがあったり混乱があると何か悪いことが生じているかもしれません。

2.馴れた仕事ができにくくなる
忙しい時に人は細かいことにかまっておれないものです。ストーブの上に長い時間物を置いたり、料理に出す物を一部忘れたりするかもしれません。

アルツハイマー病の人は食事の準備はできるかもしれないが、それを食卓に出したり用意したことまで忘れます。

 3.言葉の問題がある
誰も適切な言葉が出てこないことはあります。

でもアルツハイマー病の人は、簡単な言葉も忘れ、ふさわしくない言葉でそれを補おうとします。このため文章が理解しにくくなります。

4.時間や場所がわかりにくくなる
一時的に曜日や買う物が分からなくなることは正常です。

しかしアルツハイマー病の人は、自宅のある通りで道に迷ったり、何処にいるのか、どのようにしてそこに来たのか、どのように家に帰るのかわかなくなります。

 5.判断が低下する
寒い夜にセーターを着るかコートを着るかで間違うことはよくあることです。

アルツハイマー病の人は、もっとあきらかに間違って服を着るようになります。買い物に出かけるときにバスタオルを着たり、暑い日にブラウスを何枚も着たりします。

6.抽象的な思考が苦手になる
小切手帳を確かめることは大切なことです。(英文の翻訳のようで、日本では小切手を使うことが少ない-数の計算が困難となると思えばよさそう)

アルツハイマー病の人は、数字を確かめたり基本的なかけ計算ができなくなります。

 7.置き場所を間違える
財布や鍵の置き場所を間違えることは誰にも時々あります。

アルツハイマー病の人は、こうした物をふさわしくない場所に置くようになります。アイロンを冷蔵庫に、腕時計を砂糖瓶に。またそれを見つける方法も思い出せません。

8.気分や行動が変化する
誰もいろいろな感情を抱きます。これは人としてのあたりまえなことです。

アルツハイマー病の人は、はっきりした理由もないのにもっと頻繁に気分が変化するようになります。

9.性格が変わる
人格は年齢と共にいくらか変化します。

しかしアルツハイマー病の人は、突然あるいは一定の時の後にかなり変化します。もともとずぼらな人が、怒ったり、疑い深くなったり、恐れたりします。

10.自発性がなくなる
家事、仕事、社会的な制約のなかで疲れることは普通です。しかし多くの人は、興味を持ちつづけたり、再び持つようになります。

アルツハイマー病の人は、そうしたことに興味を失ったり、関わらなくなります。

参考2:物忘れ外来=下記インターネットより  http://www2f.biglobe.ne.jp/~boke/boke2.htm

岡山県  岡山市  岡山大学医学部付属病院     086-223-7151
             川崎病院                       086-25-2111  
               中津クリニック                 086-248-3773
              慈圭病院                       086-262-1191  
               けやき通りメンタルクリニック       086-225-2111

           倉敷市  倉敷平成病院                  086-427-1111  

             津山市  希望ケ丘ホスピタル              0868-22-3158


他力その2

2008年02月10日 08時00分20秒 | Weblog

 五木寛之氏の「他力」を読んでの抜粋の続きである。

  <生老病死>
四つの「思うに任せぬこと」を背負っていることである。

 「死」から「生」を考えよ(「人間は死のキャリアー」と氏がよく言う)、
「病」は人間の同伴者だと認め、「老い」を自然のリズムとして受け入れる。

と考え、頭を楽に切り替えるだけでよい、究極のマイナス思考から、確かなプラス思考への転換が出来るというのである。

人生の峠にたたずんで考える、下山の道、美しき下山、実り多き下山にすべしという。 ゆっくりと完熟した豊かな下降を、どう人間的に充実していけるかが、今のテーマだという。

  <諦める>
物事を消極的に後ろ向きに受け止めるのではなく、言葉本来の意味「明らかに究める」勇気を持って、現実を直視するということ。

見たくない現実を、認めたくない事実を、リアルな目で直視せよという。
まず生きていること、存在することが大事である。苦しみの多いこの世の中に生きているだけでも凄いことであるという。

遺伝学の権威、村上先生も、同様のことをおっしゃるのである。無限ともいえる遺伝子の組み合わせから、人間が生まれたことは、「有り難い(ありえない)」ことなのだそうである。

人生の究極を極めようとしている人たちは、生きてきた道が異なっても自然と同じような考え方に向かっていくのであろう。

最近、小生も同じような考え方になってきたような、気がするのである。