りんごといえば、
ニュートンが万有引力を発見した故事を思い出す。
自然の本来の法則を、理論付け公式化した人を、
発見者と呼び尊ばれる。
しかし、引力そのものは、
ニュートン以前と以降とで何の変化も無い、
ただあるようにあるだけなのである。
現在、機械設計の公式を教えている。
これらは経験則と呼ばれる方法で作られているが、やはり、自然の法則を数式化したものなのである。
公式を使用すると、誰でも早く容易に同じような結果を得ることができる。
大変便利であり、また一定以上の品質を確保できることになる。
自然の法則が根底にある場合には、それなりに公式化ができることが多い。
(まだまだ判らないことが沢山あるが)
あらゆる事は、まず自然という実際が存在し、
たまたま理論化・公式化などができたもののみ、人の目に触れることになる。
“原子”から“素粒子”に物質の最小単位を呼び変えても、そんな理論や公式にお構いなく、
自然は、粛々として存在しているのである。
現在、自然の法則以外に人間が独自に考え出した理論や法則があるように感じている。
判りやすい例を挙げるならば、“法律”である。
自然の法則と異なる点は、
無視すること・違反すること・変更すること、いずれも可能である点である。
ここに様々な問題が生じているのである。
人間の頭や心で創造した“芸術”は、
自然法則のように公式化ができるのであろうか、
こんなことを考えさせられる質問を頂いた。
「俳句を上手に創れる公式は?」と。
小生もぜひともその種の公式が欲しいのである。
音楽家・画家・小説家・随筆家・・・あらゆる人が欲しがることであろう。
そうなれば、いずれコンピュータが、
あらゆる芸術を、創造することも可能になるかもしれない。
正確無比、一点の非の打ち所ない完全無欠の“公式的な”“芸術”が完成する。
人間は、本来、曖昧模糊・不完全・欠陥・矛盾に富んだ生き物である。
それでこそ、
漠とした人としての味を楽しむことができるのである。
完全無欠などはどうでもよい、
心のままに曖昧模糊・不完全・欠陥・矛盾に富んだ思いを楽しみたいのである。
理論や公式よりも、
一つのりんごを食べる方が良いのである。