12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

ロマンチック街道とスイスアルプス紀行 その2

2007年10月31日 06時32分24秒 | Weblog

        

本日分の新規公開は、「クライネシャイディッケ散策」です。
次のURLをクリックしてください。

http://stage6.divx.com/user/tmnJPH/video/1796787/T12-At-Kleine-Scheidegg(1
)

 

なお、10月分総集編としては、次のものがあります。
同行された方々に、楽しかった旅の思い出が蘇りますと幸いです。

Stage6での公開には、色々問題(縦長画面・音が画面とずれる・・・など)もあるのですが、画質が現時点で一番良さそうなので、今後はこれを中心に行います。

次回公開は、11月30日、これで「終了」の予定です。

 A:公開動画(含む静止画);

あれこれ見ていただくのは面倒なので、動画中に静止画を織り込んでおきました。
(Stage6;比較的良好な画面ですが、見るためにsoftのdownloadが必要です)

YouTube;高圧縮度のため、あまり画像はよくありませんので、新規の掲載は打ち切りました。

B:ブログ;

以下に既掲載ブログの題名と日付をお知らせします。
未読の方は、どうぞご覧ください。


10月29日 Stage6は是非ご覧頂きたい

「見方」
方法1:ブログのページの左上の「カレンダーの当該日付」をクリックして頂くと、そのページに飛べます。

 方法2:開いたページの左側に「最新の投稿」欄があります。
この欄に「10件づつの題名」が表示されていますので、その内より該当のものをクリックすると、そのページの飛べます。

「ブログ掲載日 と 題名 」

10月3日  ピンクのベッド
10月6日  ノイシュバンシュタイン城
10月8日  中世の鎧

10月10日  アイガー北壁
10月14日  スイスの登山鉄道 その1 
10月16日  スイスの登山鉄道 その2
10月19日  スイスの登山鉄道 その3

10月22日  若者
10月27日  ローテンブルグの時計台
10月28日  ローテンブルグの城壁

10月29日  Stage6
10月31日  ロマンチック街道とスイスアルプス紀行 その2
     本ページ「ロマンチック街道とスイスアルプス紀行 その2」

 追記;
ある程度test・チェックは実施しているのですが、小生側のパソコンではチェックに限界があります。

 万一ご覧になれない場合には、コメント欄に「見えない由」ご記入ください。修正や対策を検討します


Stage6

2007年10月29日 06時20分01秒 | Weblog

 Stage6で高画質のビデオを公開できる。
(画質は、YouTubeに比較すると格段に良くなる)

試験中であるが、なかなか円滑にできていない。 


 1. 上海のリニアモーターカー以前YouTubeでご覧いただいた)http://stage6.divx.com/user/tmnJPH/video/1758690/Maghlev-Shanghai-aa1

2. 豫園の夜景 (以前YouTubeでご覧いただいた) http://stage6.divx.com/user/tmnJPH/video/1758778/Night-View-of-Shanghai-Yuyuan-Garden1

3.ラウターブルンネンからクライネシャイディケまで(登山鉄道と絶景)http://stage6.divx.com/user/tmnJPH/video/1790636/T1-From-Lauterburnnen-toã%EF%BF%BD%EF%BF%BDKleine-Scheidegg

三つを試験的に、Uploadして見ました。
それぞれのURLをクリックすると見えるはずです。


    新規公開の3.を,優先的にご覧ください。

画質を良くすると、当然のことながらdata量が大きくなり、
3.は33MBくらいあります。
従って、downloadにかなり時間が掛かります。
辛抱してください。

(その内、embedを何とか実現して、簡単に見えるようにしたいと思っています。

おそらくこのためには、goo以外の別のブログに乗り替える必要があると思っています)

また、Stage6は表示が英語しかないので、御不便をかけますが、御容赦ください。

今後、もう少し勉強して、残りの絶景や各地のすばらしい景色をお目にかけたいと思っています。


 問題点;
1.縦横比を1:1.7のWideにしたいのですが、いまだ1:1.3の標準しかなりません。
(縦長の画面になっています)

 2. 画質は、高から低まで数種類ありますが、
中位の画質で試験しています。

(画質をあげると、当然downloadに時間がかかるので、試験の段階は画質を落としています)

3.今後は、embedを可能にする。

その他色々出てきそうです。

 

 追記;明日火曜日は、都合により、臨時休刊とします。


ローテンブルグの城壁

2007年10月28日 06時22分40秒 | Weblog

   階段を登る  

  

城壁に囲まれるローテンブルク旧市街を取り巻いて「城壁」あるいは「市壁」がある。

この街の拡大と共に、外側に広げて城壁が構築され、二重の城壁だったのだが、現在は外側が主として、保存されている。   

        (人の顔のような城壁)

広場を囲んで市庁舎、市議会員宴会堂、舞踊館や住民の住居など全てがこの城壁に守られていた時代があった。

  

城壁に登ると、上部には街を一周できる監視・戦闘用窓や通路がある。

  
       
(聖ヤコブ教会の二本の塔が遠望できる) 

早朝に、その上を四分の一周ほどしてみた。
高いところから見る街の景色は、趣を異にした。

   
この通路部分には、城壁の修復にあたり修復費用を寄付した企業名や個人名及び何メートル分の寄付かが刻まれていた。

日本の企業名のものもあると聞いたが、あいにくと見つけられなかった。

 
    (円形の城壁の街ネルトリンゲンの地図・
            ローテンブルグとフュッセンの中間地点にある)

ロマンテイック街道沿いには、同じような城壁に囲まれた中世からの古い町が、幾つもそのまま保存されている。

日本には城はあっても、城壁は存在しない。

それが何故だか調べてみた、ご興味があれば、次の「おまけ」をご一読いただきたい。

 

おまけ;    中世の商人と城下町の誕生

封建領主が支配し原始的な農村社会であったドイツの各地に、11/12世紀頃商業が発生し、商人という新しい町民が登場した。
農業が盛んになるに従い、農業技術も進歩し、それらを造る金属の手工業者が増えた。

また、原始的な農村社会では自給自足が原則であったが、収穫量が増えるに従い余剰産物を他の地域へ供給できるようになった。
農業人口が過剰になるに従い、それら新しい農具や収穫物を流通させる商業に従事する人たちが飛躍的に増え活動も遠隔地間に及び活発になった。

丁度、十字軍の進行と時を同じくして、そのような商人達は、交通の便と同時に外敵からの防衛に信頼できる権力のお膝元に次第に集まってきた。

封建領主達も都市を建設し商人を誘致することの経済的利益を十分承知していた。封建領主の家人達は、軍隊の指揮官、徴税役人、荘園管理人などを受け持って城下町の建設に活躍した。

これは日本の戦国時代の城下町も同じであった。しかし、日本の城主の場合は、一部の例外を除き、城だけは堅固な城壁や堀をめぐらして守るが、町は無防備であった。

ヨーロッパの場合はどの町も、町ごと堅固な城壁で囲んで守ってくれた。
城壁というより市壁というべきであろう。その代り、市民は築城のための労役に服する義務を負う、ギブ・アンド・テイクであった。

然し、これはどちらが市民にとってよかったか一概に言えない。
日本の場合は、戦に負けた時、城主一族郎党は討ち死にするが、市民は家は焼かれても家財道具を持って逃げることが出来た。


ヨーロッパの場合は、戦に負ければ市壁内の市民全員が虐殺される運命にあったという。

これが、城壁・市壁の必要な理由であった。


ローテンブルグの時計台

2007年10月27日 05時48分59秒 | Weblog

        

城壁に囲まれるローテンブルク旧市街の中心。広場を囲んで市庁舎、市議会員宴会堂、舞踊館等がある。

1631年、宗教戦争でプロテスタント側についたローテンブルクはカトリック軍に包囲され、町は焼き払われようとした。 しかし、当時のヌッシュ市長はカトリック軍の将軍の挑戦を受けて立ち、3.25リットルのワインを一気飲みして、町を救った。

                         この逸話を再現するのが宴会堂の仕掛時計。毎日11、12、13、14、15、20、21、22時の時報と共に、市長と将軍の人形が現れ、市町がワインの一気飲みをする。この逸話にちなんだお祭り「デア・マイスター・トュルンクDer Meistertrunk」が、年に数回行われる。

次回は、この街の城壁について、お知らせしましょう。


サンバとボサノバ

2007年10月26日 07時34分25秒 | Weblog

      

サンバがブラジルの国の無形文化財に、ボサノバがリオ・デ・ジャネイロの市の無形文化財に指定されたと聞いたので調べてみた。

 A. サンバ;

マツケンサンバI・Ⅱ・Ⅲが、最近ヒットしたことに記憶が新しい、しかし、これが本来のサンバなのかどうかは、小生にはよく判らない。

ブラジルのサンバのURLを一つ記しておく。ご興味があれば、聞いて見のもよいと思う。
あいにくとポルトガル語です、絵を頼りにラジオ局を探して、聞きいてください。

 http://noticias.uol.com.br/carnaval/2007/rj/

右側の上から三番目に”RADIO UOL"と言う欄があります,この欄の中のスピーカのマークをクリックすると選んだラジオ局の放送が聞けます。

小生に強烈な印象を与えたのは、1960年頃に公開された、ブラジル・フランス合作映画「Orfeu Negro(黒いオルフェ)」だった。

B. ボサノバ;

Bossa Nova、ボサノヴァは、ブラジル音楽のジャンルのひとつである。
1950年代後半に、リオ・デ・ジャネイロのコパカバーナやイパネマといった海岸地区に住む、中産階級の学生やミュージシャンたちによって生み出された。

 Bossa Novaとはポルトガル語で「新しい感覚」、「新しい傾向」といった意味がある。
ブラジルでは特に、アントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・ヂ・モライスが作曲し、ジョアン・ジルベルトが歌った「Chega de Saudade(想いあふれて)」のレコードによって知られるようになり、人気を博した。

 ボサノバといえば、なんと言ってもイパネマの娘である。
ルトガル語題 "Garota de Ipanema", 英語題 "The Girl from Ipanema"は、ブラジルのアントニオ・カルロス・ジョビン(トム・ジョビン)が1962年に作曲したボサノバの歌曲である。

 http://maidenvoyager.net/

このサイトを開くと、「イパネマの娘」があります、メディアプレーヤーで再生します。


粉本

2007年10月24日 04時20分19秒 | Weblog

 「粉本」とは、沢山のお手本となる花鳥をまとめた「お手本集」である。
 
狩野派が四百年の繁栄を保てたのは、粉本教育で多数の画家を育て、更にこれらの弟子達を統括して、工房(アトリエ)を設けたことにあったと言う専門家が居られる。

 
粉本のモチーフを部品として習得しておくと、ある程度の技量をマスターすれば誰でもが同じトーンで描くことができるというのである。

アトリエの統括者である永徳が、全体を統括し、弟子達が粉本で修得した技術を駆使して細部を描き込むと、大作が独りの画家の手によって描かれたように仕上がるのである。

中でも「洛中洛外図屏風」は、皆さんがよくご承知であろう。
都の風俗を二千五百余人の人物や沢山の建物で描きこまれている。

永徳23歳の作品といわれている。 戦乱の英雄、信長・秀吉・・・に好まれた画家である。

京都で丁度展覧会がある。以下のサイトを開くと展示品を見ることができる。

その1:
特別展覧会 狩野永徳

会期 2007年10月16日(火)~11月18日(日)
会場 京都国立博物館[東山七条] KYOTO NATIONAL MUSEUM

開館時間 午前9時30分~午後6時(金曜日は午後8時まで)
休館日 月曜日

 http://eitoku.exh.jp/highlight.html

その2:
特別展覧会 狩野永徳 京都国立博物館[東山七条]

http://www.kyoto-okoshiyasu.com/campaign/eitoku/index.html

 

おまけ:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

狩野 永徳(かのう えいとく)、天文12年1月13日(1543年2月16日) - 天正18年9月4日(1590年10月12日))は、安土桃山時代の絵師。京都生まれ。

狩野永徳は狩野松栄の子で、狩野元信の孫にあたる。
狩野派の棟梁として、織田信長、豊臣秀吉という天下人に仕え、安土城、聚楽第、大坂城な どの障壁画を制作した。

永徳が力を振るったそれらの代表的な事績は建物とともに滅びてしまったものが多く、真筆とされる現存作品は10件に満たない。

唐獅 子図や檜図のような雄大なスケールの豪快な作品がよく知られるが、本来は「細画」をよくしたとされる。
上杉本洛中洛外図は、彼が細密描写に秀でていたこと を示している。


さざんかの宿

2007年10月23日 06時50分18秒 | Weblog

庭の山茶花が、沢山のつぼみをつけている。
今年もまた花が楽しめそうである。

「さざんかの宿」 この歌は、数年前、初めてご近所の私設カラオケ道場で勉強した歌である。

先日、久しぶりにラジオで大川栄策のこの歌を聞いた。
2番目の歌詞をあらためて聞いてみて、ドキッとした。

 “ ぬいた指輪の 罪のあと かんでください 思いきり

  燃えたって燃えたって ああ他人の妻 ・・・・・ ” 以下略

当時は歌を覚えることに夢中のため、歌詞の内容まで気が回らなかった。
現在、改めて歌詞を読み解くと、激しい不倫の歌であることに気が付いた。

よくもまあ、こんな詩が書けるものとあきれながら、どんな人がこの詩を書いたのかと調べた。

この曲は、歌手:大川栄策、作詞:吉岡治、作曲:市川昭介とある。

そこで、作詞家:吉岡治氏のHPを見ると、有名歌手の歌が、160曲出てきた。
そのうちから、小生が聞いたことのあるものを幾つか列記してみる。
  
  曲名           歌手       作曲家

1.天城越え        石川さゆり    弦哲也

2.大阪しぐれ       都はるみ     市川昭介

3.命くれない       瀬川瑛子     北原じゅん

4.おんなの一生     川中美幸     弦哲也~汗の花~

5.夜桜迷い子      伍代夏子      弦哲也

遅ればせながら、こんな名曲を作詞したお方かと再認識した。

不思議なことに、演歌・艶歌には、不倫系の歌が多い、実現不可能なことを歌で仮想実現しようとするものであろうか?

不倫の歌だろうがどうだろうが、好きな歌は好きなのである。

 

 


若者

2007年10月22日 07時04分03秒 | Weblog


たまたまこの日は、マウテンバイクの競技大会が開催されていた。
クライネ・シャイデッケがゴール地点であった。

すばらしい景色を背景にした若者の姿は、とても絵になる光景であった。

             

 

2000m超えのこの地まで麓から、息を切らせながら自転車で登ってきてゴールしていた。

道路は全く舗装されていない自然の道であり、乗り入れ規制が厳しいのであろう、一台の自家用車も姿が見えなかった。

 


思わず拍手と日本語の声援を送っていた。

この光景を見ながら、日本の若者達も、それぞれ色々な形で若さを競っているのだろう、と思いをはせた。

高齢者の仲間入りをした小生のとっては、若さが代表するパワーとスピードに羨ましさを禁じえなかった。


鉄輪式リニアモーターカー

2007年10月21日 07時13分38秒 | Weblog

 

写真は、時々利用している「地下鉄大江戸線」である。

以前、上海のリニアモータカーについて掲載したが、このときの映像を、「Stage6」という「YouTube」に類似するサイトで公開しようと実験中である。
(映像は格段にきれいなのであるが、なかなか操作が難しくて手に余っている)

ふと思い出したのが、浮上しないタイプのリニアモータカーのことである。
それで調べたのが、次の記事である。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

“鉄輪式リニアモータカー(鉄輪式リニア)とは、通常のレールと車輪によって走行する列車で、推進動力としてリニアモーターが採用されているものをいい、浮上式に対し「接地式」ともいう。

 目的は、次のようなものである。
1. 車両断面を小型化できる。
このためトンネル断面を小さくでき、建設費を削減可能(ミニ地下鉄)。

2. 駆動力を車輪とレールの摩擦に頼らないため、急勾配での走行性能が高い。
大都市では地下鉄路線の過密化により直線的路線空間の確保が困難になっており、急勾配・急カーブを多く持つ線形にせざるを得ないが、そのような場合に有効である。

 鉄輪式リニアは、
1990年に日本初の鉄輪式リニアとして開業した大阪市営地下鉄鶴見緑地線(現:長堀鶴見緑地線)に登場した70系(この年のローレル賞受賞)の他に、

1991年開業の都営地下鉄大江戸線、
2001年開業の神戸市営地下鉄海岸線、
2005年開業の福岡市地下鉄七隈線、

2006年開業の大阪市営地下鉄今里筋線があり、
現在建設中の横浜市営地下鉄グリーンライン、仙台市営地下鉄東西線にも採用されている。

日本以外の例では、
1986年に開業したカナダ・バンクーバー市のスカイトレインや、
2005年に開業した中国・広州市の広州地下鉄4号線が鉄輪式リニアを採用している。

“ 身近なところに、リニアモーターカーがあるではないか。
知らないことが多いのである。


Firefox

2007年10月20日 06時49分56秒 | Weblog
S爺さんに昨年教わったブラウザである。 1年強使用して満足したので、読者の皆さんにお知らせすることにした。
土曜塾関係の読者は、皆さんご存知だと思います。

 IE6か7(インターネット・エクスプローラ)をご使用の読者が多いと思いますが、Firefoxは、大変軽く動きます快適です。一度お試しください。

Mozilla Firefox(モジラ ファイアフォックス)とは、オープンソース・クロスプラットフォームのウェブブラウザである。開発元はMozilla Foundationである。ウェブブラウザやメールクライアントが統合されたMozillaにおける、速度面での不満や複雑化するコードの解消を目的として、2002年中頃から開発が進められている。

 こんな小難しいことはどうでもよいと思います。

http://www.mozilla-japan.org/products/firefox/
上記サイトでダウンロードできます。(無料です)

必要最小限の環境は、以下の如くです、よほど古い機械をご使用の方以外は、殆んどの方で十分満足できると思います。

オペレーティングシステム (OS)
• Windows 98 • Windows 98 SE • Windows ME • Windows NT 4.0 • Windows 2000 • Windows XP (推奨) • Windows Vista

最小ハードウェア構成
• Pentium 233 MHz プロセッサ (Pentium 500 MHz 以上を推奨) • 64 MB の RAM (128 MB 以上を推奨) • 52 MB のハードディスク空き容量

 小生は、IEとFirefoxとを混用しています。
頻度高く見るサイトは、Firefoxで、たまにしか見ないサイトをIEでとしています。 この理由は、

 ** IEの場合には「お気に入り」と呼ばれ、
 ** FIREFOXの場合には「ブックマーク」と呼ばれる

「入れ物」が、沢山になり過ぎて困るという理由からです。
非常に安定していますので、お勧めです。 

スイスの登山鉄道その3

2007年10月19日 06時31分58秒 | Weblog

      

              

ご承知のように、スイスは国民皆兵である。
成人男子は、2~3週間/年 軍事訓練に参加する義務がある。
どこかで、兵隊を見るかと思ったが、一度も出くわさなかった。

軍用滑走路や軍事訓練所などの施設、更には、対戦車バリケードなどにも気を配ってみたが、小生たちの観光コースには無かったのであろう、一度も目にすることは無かった。

あくまでも観光に徹したコース設定であった。


   

第1回目は、中央のクライネシャイディックから「右下側の路線」について、

また第2回目は、中央のクライネシャイディックから上に「上がる点線の路線」についてであった。
 
今回は、登山鉄道の部、最終編として、次をご紹介する。

中央のクライネシャイディックから左側に赤い線をたどる線路を走ります。

 

6.第三乗換え地点=クライネ・シャイディク発(WBA:ヴァンゲルアルプ鉄道)

   

                   

   

 

   

     

7.最終下車地点=グルント着(WBA:ヴァンゲルアルプ鉄道)

   

スイスの登山鉄道はいずれも特徴を持ちダイナミックな景色を楽しむことができた。

小生の旅の最大の目的を十分な満足感で締めくくることができた。
山の好きな人には、最適の旅ではないかと思った。
帰ることが惜しまれた場所であった。

 おまけ;1. スイス鉄道ビジュアルガイド http://www.arukikata.co.jp/webmag/2004/0406/sp/040600sp_02.html

 2.続行列車 

         
 小生たちの列車の直ぐ後に後続列車が続いていた、不思議に思っていたので調べてみた。

動力車の性能が低いため2・3両編成での運行に限定される。
夏のように客が集中すると、「続行列車」と称して、
同じダイアの列車を車両のある限り発車させるという。
  
 現実的な対処方法であることに感心した。

3.住民の足
旅行中は、観光客や登山客専用のように見えたが、よく調べてみると住民の足や 高地のレストランなどへの物資の補給などに大活躍しているのである。

例えば、食料の高地への搬送、変わったところでは、牛糞などを肥料とするための高地の放牧地への輸送や高地で発生した廃棄物の荷降ろし等に貨車を使っている。
  これらの作業は、観光客の目に触れないように、早朝や夜間の作業のようである。


コメント

2007年10月17日 06時55分49秒 | Weblog

ようやく秋らしくなって来ました。
朝晩少し寒いと感じるようになっています、風邪にお気をつけください。

 北緯50度前後のスイス・南ドイツの夏の気候は、丁度今くらいではないかと思います。
すぐに厳しく陰気な冬が来るのでしょう。

 先日の記事「夏休み」について、博識のToraさんより下記のコメントを頂いていた。

 「 今更と言う感じもするが、少し説明しておこう。それはヨーロッパ独特の気象条件にある。

従って、ゴルフやサッカーなどヨーロッパで生まれたスポーツは雨でも中止は無い。少ない夏に紫外線を吸収しなくては映画に出てくるセムシ男など・・生まれる要素ありという。経営者と組合の話し合いによる最も冴えたる合意内容である。
人類末永く永続する為には自然に勝るものなしである。

従って、昼の休憩時間は長く3時間位あるよ。お昼も家で食べる人は多いよ。昼寝して、また仕事だよ。町中で甲羅干しは紫外線の吸収ですよ。
アメリカの野球は雨ふれば中止だよ。生まれも良くわかるよ。 」

今回の「初めてのスイス・南ドイツ」のような実質僅か3日間に過ぎない旅行で、しかも観光地主体のごく限られた旅ですら、気候・風土を垣間見られたことは大きな収穫となった。

 出発前何度も観光ガイドを読むのだが、通過するだけで一向に頭に残らなかった。
帰国後は頭に入るスピードと内容の理解度が格段に向上したのに驚かされた。

またToraさんに叱られそうだが、「百聞は一見にしかず」といわざるを得ない。


スイスの登山鉄道その2

2007年10月16日 07時17分52秒 | Weblog

   

「193-4634」は、スイスを代表する数字である。(差=4441m)

193m: 国内最低地点の海抜高度
       =南部の保養地ロカルノのマジョーレ湖の水面高度、
4634m: モンテローザ最高峰ヂュノール・シュピッツェの高度

この数値が端的に表現するように、著しく高度差のある国である。
これが美しさの源泉ともいえる。

       

 さらに、登山鉄道の特徴的なものを列記する。

1. 最初の登山鉄道 = リギ鉄道(VRB)
2. 最高所の駅   = ユングフラウ・ヨッホ駅(JB)・・・これに乗った。   

3. 高度差     = ブリエンツ鉄道 (BRB)
4. 世界一急傾斜= ピラトウス登山鉄道 (PB)
         = 勾配480パーミル=48cm/1m(約25度)

4.のピラトウス登山鉄道の半分くらいの勾配であるが、乗ってみるとかなりきついと感じたのが、
特に人気の高い鉄道ユングフラウ鉄道(JB)である。 
        

登山鉄道というばかりでなく、ヨーロッパ最高所の鉄道駅にアクセスできる点、
展望台からの眺めがすばらしいという点で、毎年世界中の観光客を誘っている。

今回は、次をご紹介する。

2. 第二乗換え地点=クライネ・シャイチディク発(JB:ユングフラウ鉄道)

                    
   
       

 

3. 第一展望台一時停車=アイガーヴァント着・発(JB)
   
      

 

 • アイガーヴァント駅(Eigerwand)
駅名は「アイガーの壁」を意味する。三大北壁のひとつで、いままでに多くの登山家の命を奪った「アイガー北壁」として知られる。

トンネル内のホームに列車が数分間停車するので、その間に歩いてすぐの展望台から、ガラス窓越しに切り立った崖を眺めることができる。
なお、基本的に当駅で数分間の停車を取るのはユングフラウ方面への登り列車のみである。

4. 第二展望台一時停車=アイスメーア着・発(JB)  

                      

  • アイスメーア駅(Eismeer) 駅名は「氷の海」を意味する。
アイガーヴァント駅と同様の構造の駅で、同じく数分間停車するので、展望台から氷河を眺めることができる。アイガーヴァント駅同様、観光のための停車は登り列車のみである。
    

5. 最終目的地=ユングフラウ頂上着(JB:ユングフラウ鉄道) 

                     
       

 

 

 • ユングフラウヨッホ駅(Jungfraujoch)

          
海抜は3454メートル。ユングフラウ山の鞍部に設置された駅で、トンネル内部にある。駅の外でスキーや犬ぞりも楽しめる。

    

一般人が到達できる最高地点は、エレベーターで昇る「スフィンクス展望台」だが、雪山経験者なら(十分な装備をした上でだが)4158メートルの山頂まで登山することも可能。
近くを世界遺産にも認定されたアレッチ氷河が流れている。駅名は「ユングフラウの肩」の意味。


さすが、ユングフラウ頂上3500mでは、息切れも感じたが、幸いなことに高山病にかからず、真夏の雪の感触を楽しめた。

 

おまけ;1.
1898年までにアイガー山麓(アイガーグレッチャー駅)まで完成、部分的ながら営業が開始された。その後、堅い岩盤に苦しみながらも建設は進み、1912年8月にユングフラウヨッホ駅が開かれた。

建設期間中は、ユングフラウの山頂まで鉄道やロープウェイを建設する構想もあったが、資金の限界・観光客が高山病を発症するリスクなどを考えて、途中のユングフラウヨッホを終着駅とすることになった。

2.その他の駅
• アイガーグレッチャー駅(Eigergletscher) (ここには停車しなかった)
この駅を出発すると、アイガーの山中を抜けるトンネルに入ることになる。

途中下車をする人はそれほど多くはないが、駅前からは駅名の由来である「アイガー氷河」を目前にでき、またアイガーグレッチャー駅からクライネ・シャイデックまでの道のりは、下り坂だけの比較的手軽なハイキング・コースとして知られる。

駅舎には最盛期のみ簡易なホテルが開設される。グレッチャーとは氷河という意味。


悪いストレス

2007年10月15日 06時16分00秒 | Weblog

またまた、村上先生の続編。
良いストレスは、良い遺伝子のスイッチをONにし、悪いストレスは、悪い遺伝子のスイッチをONにすると、まずおっしゃったが、 悪い遺伝でも、良い遺伝子のスイッチをONにすることがあるとおっしゃるのである。

このひとつの例として、横田さんご夫妻の例を挙げられた。
娘さんの失踪は、横田さん御夫妻にとって、ものすごく悪いストレスであったことは想像に難くない。

 しかし、今日拉致問題解決についての、積極的なご活動には頭の下がる思いがする。

先生は、考え方を変えることによって、極端に悪いストレスを、良いストレスに替えたことで、良い遺伝子のスイッチがONになり、今日のご活躍があるというのである。

小生も、日常的に悪いストレスに晒されているが、これを良いストレスに転換できるような考え方の転換がうまく出来ないのである。

悶々とするだけで、すっぱりと切り替えが出来ないのは、凡人の悲しさである。

ワカッチャヤいるけど、どうにもならないのである。
悩ましいのである・・・これも悪いストレスとなっているのである。


スイスの登山鉄道その1

2007年10月14日 07時07分06秒 | Weblog

東西400km、南北300km、スイスの国土は九州くらいである。
この狭い国土に5100kmもの鉄道網が整備されている、鉄道大国でもある。
その4割強は私鉄で、70社もの私鉄が頑張っている国である。

日本の陸蒸気が走り出す前年、スイスではリギ山に列車が登り始めて、19世紀末までには大半の登山鉄道は完成した。

スイスの鉄道旅では車窓の景色と列車そのものも楽しむことができた。
スイスで最もポピュラーなエリア「ベルナーオーバーラント」での
、登山鉄道のパノラマ周遊をご紹介する。

  

次の順序で乗った。

1. 第一乗車地点=ラウターブルンネン発(WBA:ヴァンゲルアルプ鉄道)

  

  

  

  

  

  

2. 第二乗換え地点=クライネ・シャイチディク着・発(JB:ユングフラウ鉄道)

  

今回はここまでをご紹介する次回以降下記を2回に分割して、ご紹介する予定。

3. 第一展望台一時停車=アイガーグレッチャー着・発(JB)

4. 第二展望台一時停車=アイガーヴァント着・発(JB)

5. 第三展望台一時停車=アイスメーア着・発(JB)

6. 最終目的地=ユングフラウ頂上着・発(JB:ユングフラウ鉄道)

  ここまでを第2回目の予定。

7. 第三乗換え地点=クライネ・シャイチディク着・発(WBA:ヴァンゲルアルプ鉄道)

8. 最終下車地点=グルント着(WBA:ヴァンゲルアルプ鉄道)

 以上の二つが、第3回目・最終回の予定。

 

おまけ;
1. スイス鉄道ビジュアルガイド http://www.arukikata.co.jp/webmag/2004/0406/sp/040600sp_02.html

2. ユングフラウ鉄道(Jungfraubahn)はスイスの登山鉄道。19世紀末から20世紀初頭にかけて建設された。終着駅のユングフラウヨッホは、ヨーロッパで最も高い場所に位置する駅(海抜3454メートル)。

なお、案内上はインターラーケンからユングフラウヨッホに至る3つの鉄道(ベルナーオーバーランド鉄道(BOB)、ヴェンゲンアルプ鉄道(WAB)、ユングフラウ鉄道(JB))の総称として、ユングフラウ鉄道(Jungfraubahnen)の呼称を用いることも多い。

乗車券などは3つの鉄道共通で、インターラーケン~ユングフラウ間の共通乗車券が発券される。

3.駅 • クライネ・シャイデック駅(Kleine Scheideg)
ユングフラウ鉄道の始発駅で、ヴェンゲルンアルプ鉄道との乗換駅。
インターラーケン東駅(インターラーケン・オスト駅)からは、ベルナーオーバーランド鉄道、ヴェンゲルンアルプ鉄道を乗り継いで到達する。

駅名はドイツ語で「小さい峠」の意味。
ヴェンゲンアルプ鉄道は、ラウターブルネン~クライネ・シャイデック~グリンデルヴァルト間を結ぶラック式鉄道であるが、客車の方向固定(座席が勾配の上側と下側で異なる)と、常に勾配の下り側を電動車とする運転方式のため、サミットであるクライネ・シャイデック駅を越えて運転する列車はない。

そのため、当駅は実質3路線が乗り入れる駅である。 常に乗換えの観光客で賑わっているが、駅前には古い山岳ホテルがありここに宿泊すれば、最終列車が下りた後に静かな周辺散策ができる。