この題を原稿の段階では「針の音」としていたのだが、思いなおして「純・不純」と変更した。
それは音楽として完全無欠か否かを論ずるのは録音した音楽家達に失礼だと思ったからで、厳密には「純粋な音楽」か「多少混ざり物のある音楽」かということが主たる論旨だからである。
音楽を聞く方法は色々あるが、代表選手はCDであろう。しばしばお世話になる、たしかに音は良い、音質には不満はないが、どうも何故か疲れを感じて途中でやめる事が多い。
完全無欠というよりは純粋過ぎてどうも疲れるのである、その上聞いていてアジ(味)を感じないのである。
レコードは既に過去の物になってしまったが、我々世代は今でも懐かしく聞くことがある。真っ黒のSPレコード(数分)であり、ドーナツ盤(数十分)であり、LP盤(1時間)まであり、音を出すには昔の電蓄と呼ばれる機械が必要となる。
小生の電蓄はそれほどよい音質のものではないし、レコード特有のシャリシャリと針の音がする。それでもCDより何故だかリラックスできるのである。
針の音があるということは、完全無欠ではないということであるが、どうも小生には完全無欠よりちょっと不完全な部分がある方が向いているようである。
レコードの最大の問題点は、盤と針の磨耗であり、また盤や針を入手できるところが殆ど無いことである。これが理由で、レコードを聞くのはどうしても特別な時に限られてしまう。
この替わりにしているのがカセットテープで、この場合には、音源の大半がラジオである。 殆どの場合に、曲と曲との間に何らかの解説やお話が挿入されている、これも音楽から見れば不完全要素にあたるのであろうが、本来不完全な自分にはこの方が向いているようである。
もしテープでも連続して曲が流れるとCDと同様に聞き疲れるのだが、間奏にトークなどが入ると一休みでき、ゆったりと聞くことができるのである。
小生は当分の間、レコードは極上の時を楽しむため、平常はカセット主力で過ごす予定である。そして、不純な「多少混ざり物のある音楽」を楽しもうと思っている。