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二人のミッチー~道真と道長~。

2019年05月03日 | シリアス
【菅公と御堂関白(でも実際は関白じゃなあい)】

私の文章を読めば知性に欠けた人であることはバレバレでありますが、大学では一応日本文学を専攻していた。

「日本文学学んだのに、漢字を間違えるなんて…」

「間違いで覚えているなんて…」

と実家の両親にはしょっちゅう嘆かれたものです。

世間的には“エリート”と言われるであろう大学教授たち(私の卒業した大学は某最高学府とそこそこ地理的に近いため、兼任している先生が多かった)の中にもしょっちゅう漢字を間違え、自が汚くてホワイトボードの文字が解読でききず、対話力が低い人が半分以上だったので、日本文学=美文字・教養がある・日本語が上手い…とは限らない。

高等教育とは。

さて、その日本文学の中で私は中古文学=平安時代文学。を主に学んだ。

その中で皆さんにも親しみがあるであろう二人のミッチーの話を今日は書きたいと思います。

【受験生のスーパーヒーロー・菅原道真】

一人目のミッチーは、今もなお学問の神さま・雷神さまとして多くの人々に愛されている…。

菅原道真

日本各地の天満宮にまつられているのは皆さんご存知のとおり。

天神さまといえばたいていこの御方のことです。

大変優秀で帝の信頼を勝ち取り、出世を重ねたものの藤原時平はじめ多くの政敵に憎まれはめられ、大宰府に左遷され絶命してしまった苦難の方。

後に雷神となって自分をはめた政敵に復讐した…という伝説。

もちろん証明する手立てはないわけですが、我慢体質の日本人にはとても胸がすくお話です。

やられっぱなしじゃいられない。

容赦なく復讐したらしい…となっても

「怖い」

「ヤバい」

ではなく

「おいたわしや」

が大多数の人々の気持ちだったみたいですから、立派な人だったのね。

興味ある人は手始めにウィキペディアでも。
  ↓
※菅原道真


※藤原時平


※清涼殿落雷事件

道真物語においては疑いなく悪役の時平ですが、優秀な政治家で英断した実績もかなりあり、どうしようもない悪人というだけではなかったよう。

この時平には忠平という弟がいて(日本史受験生は「不良も時には忠実」のゴロ合わせで覚えたよね、藤原一族)彼はどの文献などでも

「心が広くてお優しい素晴らしい方」

みたいに書かれていて、その書き方がゴマすりっぽすぎなかったので、

「ああ、きっと本当に優しい愛される人だったんだろうな」

と思った。

人相見(『源氏物語』にも出てくる占い師みたいなもん)が朱雀天皇(もちろん当時は天皇ではない)・時平・道真・忠平の顔をみて

「東宮さまはあまりにも美し過ぎます」

「時平さまは知恵が多すぎます」

「道真さまは才能が高すぎます」

(時平と道真、逆じゃね?と思った人は私だけじゃないはずだ)

「忠平さまが全てがバランスよく、長く仕えて御代を支えることでしょう」

…みたいなことをいったのだ、という逸話がありますが(ウィキにものってる)、上手いよね~「美しすぎる」。

便利な言葉だ。

そんなホメられっぱなしの忠平は藤原一族でありながら兄の時平よりもずっと道真を敬愛しています。

愛される忠平に敬愛されていた道真もきっと愛される人だったのだろう。

少なくともお兄ちゃんよりはな(笑)。

むか~しむかし、缶コーヒーのCMで

「だが、この国には愛されるという勝ち方がある」

というコピーがあった。

道真物語と今なお天神さまが愛されるのをみるとこのコピーは本当だなと感じ入ります。

生きてる間にどんなに辛く悲しい目にあって汚名を着せられても、まじめにひたむきにいれば…未来で、死後で、後世で愛されみとめられることもある。

人生は長くて、もしかしたら死んだ後にもなにか変化があるかもしれないのです。

日本各地の天満宮で梅や桜が咲き乱れ、参拝客が幸せそうに笑ってるのを見ると、道真の魂も慰められ幸せだと感じてくれているかも…そんな風に思いますね。

いまは天神さまか。

失礼。

※藤原忠平

【平安の悪役代表・藤原道長】

二人目のミッチーは傲慢なイメージの“望月の歌”で知られる…。

藤原道長

平安時代の悪役といったら道長じゃないですかね。

しっかり彼の生涯を調べてみると、けして出世が約束された立場ではなかったのに努力して成り上がっていたりといいところもまぁあるっちゃある。

けれど各種文学・創作で有名なように娘・彰子(紫式部が仕えていたのはこのひと。藤壺が『源氏物語』で美味しい役なのは彰子こそが藤壺さまだったからです)を使って仲良しだった一条天皇と皇后定子(この方には清少納言が仕えた)をひきさき、不幸に追い込み、自らは栄華を極めた。

その他あくどいことは散々やっていたはずですが、やはり辛いのはここよね。

『枕草子』を読むと定子がどんなに美しく知性があり、また明るく晴れやかな性格だったのかということがわかります。

会話楽しかっただろうな~。

どれだけ清少納言が定子を大好きだったのかも…。

対して『紫式部日記』を読むと、彰子が心やさしいかわいい女性であり健気で、紫式部が彼女を守りたかったかがわかる。

あと、道長のせいで彰子が一条天皇にけして優しくはしてもらえなかったということも…。

定子ちゃんラブだからね~彰子のせいじゃないけど一条天皇が彰子を愛せない理由もわかる。

(『紫式部日記』最近は読んでいないんですけどまた読みたいかも。

 細かいところまで考えすぎて時にネガティブ、時に傲慢なのが面白い。

 いじめられ体験など共感できるところもあった)

というわけで色んな人を不幸にして出世しまくり、この世をば我が世と人生楽しんでいた道長。

…なんだけど、実は彼の晩年はそれはそれは苦しく辛いものだったそうなのです。

たくさんの子どもたちが自分より早く亡くなってしまうし、自分は原因不明の病に苦しんだとか。

普通じゃなくて激痛でのたうちまわって気絶して、また激痛で目が覚めてしまうような地獄の苦しみを伴うものであった…という説もある。

今の医学で症状を考えるとおそらく〇〇だったのでは~とか言われてるけどね。

実は“望月の歌”をよんだ時はすでに目がほとんど見えず、病がはじまっていたとか。

道長の地獄の苦しみを間近で見て恐ろしくなった息子(頼通)が自分はなんとか極楽浄土にいきたいと願って作らせたのが有名な平等院だといわれています。

息子は無事に浄土へ召されたそうだけど道長は…どうだったのでしょうね。

後世の我々は

「安らかに眠りたまえ、永久に」

としか祈れないわ。

【良く生きるということは?】

同じ才能あふれる公達ながら、その生涯と後世の人々の印象が全然違う二人のミッチー。

私はこの二人の物語を学んで

「やっぱり、あまりにあくどいことをしたら自分が苦しむんだ」

と心底恐ろしくなった。

悪い事してなくても悲しい運命に翻弄されてしまうこともある。

道真のように。

でも、どんなに上手く立ち回って栄華を極めてもやったことの落とし前は必ず自分が受け入れなければならない…。

カルマです。

悪いカルマも良いカルマもどこかで自分がひきとらなきゃならない。

道長のように一時でも大成功して

「この世は俺のもの」

になれば、晩年の苦しみに耐えられるかと言われたら私はぜっっっっったいに嫌だね。

人を陥れるのにも知性と実力(策略か)がいるので私に道長レベルのことはできないけど、それでも怖いよ…。

人生は夢だらけで希望だらけ。

人生は思い通り。

こういう甘言というか、明るい言葉があてはまるのも嘘じゃない。

同じくらい、悲しいこと・辛いこと・ままならないことも遭遇しがちなのが生きるってこと。

その中でついついあくどいやり方に誘惑されちゃったり人を人とも思わず自我で行動してしまいそうになるのが人間てもの。

実際には行動しなくてもね。

実行しちゃいそうになった時は二人のミッチーの運命を思い出して

「なんとか良い行動を選べないか」

と工夫したい。

全部じゃなくてもトータルで善行もつみたい。

カルマって本当にあるんだぜってお話です。

今まさに最盛期の道長のような人にはめられてこっちは窮地・あっちは栄華…という辛い状況に入る人も

「人生は長い」

「やったことはやったことで必ず引き受けるときがくる」

と自分をなぐさめてほしいと思います。

いじめとかね。

本当に辛いよね。

逃げてもいいからどうか生きていてくださいね。

人生長いから…。






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