後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

平和の為の祈り(2)アウシュヴィッツの風景の今昔

2019年06月25日 | 日記・エッセイ・コラム
今日の祈りは罪無くして処刑された約6百万というユダヤ人の冥福を祈ることです。
そして2度とこのような残虐なことが起こらないように祈ります。
これは戦争が引き起こした歴史上最悪の犯罪でした。
ナチス・ドイツは国家を挙げて人種差別による絶滅政策(ホロコースト)を進めたのです。幾つも強制収容所を作りました。
ポーランド南部のクラコフという都市の近くのアウシュヴィッツの強制収容所で最大の犠牲者を出したのです。
アウシュヴィッツ第一強制収容所は、ドイツ占領地のポーランド南部アウシュヴィッツに作られ、第二強制収容所は隣接するビルケナウ村に作られたのです。

1番目の写真は「死の門」と呼ばれたアウシュヴィッツ第二強制収容所の鉄道引込線です。

2番目の写真はハンガリーから到着したユダヤ人(1944年)です。

3番目の写真は絶望のあまり自ら高圧電流が流れる鉄条網に触れて自殺する者もいたという第一強制収容所の写真です。

4番目の写真はガス室のあった複合施設(クレマトリウム)の破壊跡です。写真の遠景にあるように周囲は牧歌的な田園地帯です。以上、1番目から4番目の写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/アウシュヴィッツ%EF%BC%9Dビルケナウ強制収容所 です。

5番目の写真はアウシュヴィッツに近い大都会のクラコフ市ののどかな観光馬車です。
現在のクラカフ市は悪夢を忘れたような観光の中心地になっております。
写真の出典はhttps://tabizine.jp/2018/02/12/171907/#i-2 です。

このアウシュヴィッツ強制収容所がポーランドに作られた理由はこの国にユダヤ人が一番多く住んでいたからなのです。270万人以上と言われています。
ヒットラーがユダヤ人絶滅戦略の為には、まずポーランドのユダヤ人を殺すのが一番効率の良い方法です。
そしてソ連のドイツ占領地域やハンガリーやチェコスロヴァキアなどに多くのユダヤ人が住んでいたのです。
他の地方のユダヤ人は数も少なく、集める労力がかかり過ぎます。従って結果的に殺戮率も少なくて終りました。

ヒットラーによって殺されたユダヤ人の総数は正確に分かっていませんが、600万人と言われています。
その出身国を以下に示します。ポーランド、ソ連、ハンガリーがば抜けて多いことにご注目下さい。
その原因はユダヤ人の人口が東ヨーロッパからウクライナ、ベラルーシ、ロシアに多かったからです。西ヨーロッパ諸国ではキリスト教徒による歴史的な迫害が続いたので東のヨーロッパ地方へ逃げて、移住して行ったのです。
ヒットラーの殺戮が始まると、その地域のキリスト教徒もユダヤ人の逮捕と収容に協力したのです。
・・・・・・・・「ドイツ人に殺されたユダヤ人 の出身地」・・・・・・・・・・・
ドイツ: 165,000人 、オーストリア: 65,000 、フランスおよびベルギー: 32,000 、オランダ: 10,000以上 、ギリシャ: 60,000 、ユーゴスラヴィア: 60,000 、チェコスロヴァキア: 140,000以上、ハンガリー: 500,000 、ソ連: 2,200,000 、ポーランド: 2,700,000 人。(数字の出典:Wikipediaの「ホロコースト」の項目より)
さらに詳細は、私のブログ記事の「ヨーロッパ文化の闇(2)ユダヤ人排除と殺戮はヨーロッパの伝統文化」(2013年10月30日掲載記事)に出ています。
ユダヤ人の犠牲者の総数にはいろいろな説があります。
ニューヨーク・ユダヤ人問題研究所は、戦前戦後のユダヤ人人口から、580万人という推計を行っています。
また『ホロコースト百科事典』は各国の専門家の統計を合計し、559万5000人から586万人という数字をあげています。
想像を絶する大規模な惨劇だったのです。

さてこのような惨劇を起こしたドイツ人はどのような反省をしているのでしょうか?
戦後40年経過してドイツの大統領ヴァイツゼッカーが初めて公的に謝罪したのです。
彼はドイツの第6代連邦大統領(在任:1984年 - 1994年)でした。
敗戦40周年記念日に西ドイツ連邦議会で謝罪の演説をしました。それは「40年の荒野」と題し、ドイツ人の反省と謝罪として世界中で有名になりました。その演説は世界各国で出版せれています。勿論、日本でも岩波書店から『ヴァイツゼッカー大統領演説集』として出版されています。
これは西洋人の良心的な告白であり悲しみに満ちた独白です。
いろいろな意味で感動的な演説なので以下にその抜粋をご紹介いたします。


 『荒れ野の40年』 (1985)    ヴァイツゼッカー
 5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされます。
 われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべております。
 ことにドイツの強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人を思い浮かべます。
 戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。
 ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。
 虐殺されたジィンティ・ロマ(ジプシー)、殺された同性愛の人びと、殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人びとを思い浮かべます。
 銃殺された人質を思い浮かべます。
 ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者に思いをはせます。
 ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス――これらのレジスタンスの犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。
 積極的にレジスタンスに加わることはなかったものの、良心をまげるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます。
 はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいております。
 死者への悲嘆、
 傷つき、障害を負った悲嘆、
 非人間的な強制的不妊手術による悲嘆、
 空襲の夜の悲嘆、
 故郷を追われ、暴行・掠奪され、強制労働につかされ、不正と拷問、飢えと貧窮に悩まされた悲嘆、 捕われ殺されはしないかという不安による悲嘆、迷いつつも信じ、働く目標であったものを全て失ったことの悲嘆――こうした悲嘆の山並みです。
 今日われわれはこうした人間の悲嘆を心に刻み、悲悼の念とともに思い浮かべているのであります。

・・・中略・・・
 
 ソ連共産党のゴルバチョフ書記長は、ソ連指導部には大戦終結40年目にあたって反ドイツ感情をかきたてるつもりはないと言明いたしました。ソ連は諸民族の間の友情を支持する、というのであります。
東西間の理解、そしてまた全ヨーロッパにおける人権尊重に対するソ連の貢献について問いかけている時であればこそ、モスクワからのこうした兆しを見のがしてはなりますまい。われわれはソ連邦諸民族との友情を望んでおるのであります。
人間の一生、民族の運命にあって、40年という歳月は大きな役割を果たしております。
当時責任ある立場にいた父たちの世代が完全に交替するまでに40年が必要だったのです。
われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。若い人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、(その後の)歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。
われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は率直さであります。心に刻みつづけるということがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人びとが理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人びとの助力をしたいと考えるのであります。
人間は何をしかねないのか――これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません。
 道徳に究極の完成はありえません――いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝されつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力がそなわっております。
 ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。
 若い人たちにお願いしたい。
 他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
 ロシア人やアメリカ人、
 ユダヤ人やトルコ人、
 オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、
 黒人や白人
これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
 若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。
 民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。
 自由を尊重しよう。
 平和のために尽力しよう。
 公正をよりどころにしよう。
 正義については内面の規範に従おう。
今日、1985年の五月八日にさいし、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。 (終わり)

なお全文は私の以下のブログ記事に出ております。
「ドイツ人の真摯な反省として有名な演説、「荒野の40年」」、その(1)(2015年03月17日 掲載記事)とその(2)(2015年03月18日 掲載記事)


以上のようにナチス・ドイツが国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策(ホロコースト)に犠牲者は約600万人と言われています。
これはヨーロッパの歴史において最大の闇です。最大の汚点です。それを実行したドイツ人だけでなく全ヨーロッパ人の心が傷ついたのです。輝かしいヨーロッパ文化の巨大な汚点になって将来も暗い影を落とす運命にあるのです。
戦争がこの惨劇を引き起こしたのです。戦争は悪の権化です。

今日は皆様と共に真の平和が来るように祈りたいと思います。
そしてホロコーストの犠牲者になった約600万人の霊よ安らかなれとお祈りいたします。嗚呼。




コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。