後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「単純に自然を愛せば幸せになる」

2024年01月06日 | 日記・エッセイ・コラム
自然の風景は美しい。それを単純に愛せば幸せになれると私は信じています。
ですから海や山や湖の風景を求めてあちこちに行きます。四季折々の山林の風景を愛しています。足もとを流れる小川の水に魅了されます。一面に苔むした庭にも大自然を感じます。
冬の木枯らしに舞う落ち葉も何かを語っています。そして一面の原野が雪に覆われている光景にも息を飲みます。遠方に碧く輝いている雪山にも何故か感動します。
自然を愛するためには理屈がいりません。
そんな自然の風景を求めて山梨県の甲斐駒岳の麓の山林の中の小屋に通っています。
遠方に輝いている富士山と甲斐駒岳と八ヶ岳と南アルプス主峰連峰の風景を飽かず眺めておます。
富士山が美しく見える場所が2ケ所あります。中央高速道路の大月インターの先の初狩サービスエリアと山梨県西部の韮崎市の広域農道からです。
下にそこからの富士山の写真を示します。

1番目の写真は山梨県西部の韮崎市の広域農道から撮った富士山の写真です。

2番目の写真は山林の中の小屋へ登る道から撮った甲斐駒岳です。

3番目の写真は小屋の近所の横手の村落から見た八ヶ岳です。

4番目の写真は南アルプスの農鳥岳、間の岳、北岳などの主峰連峰の風景写真です。

これらの風景写真は山林の中の小屋に行くたびに必ず撮る風景です。しかし行くたびに光景が違います。まるで山々が生きていて、毎日機嫌が良かったり悪かったりするようです。
それはさておき山林の中の小屋に着くと私は薪ストーブを焚いて遊びます。自宅から持参した庭木の枝を丁寧に一本ずつ燃やすのです。その行為が自然界と遊んでいるように感じるのです。
家内は外で落ち葉の焚火をしています。小川の中の落ち葉を掻きあげて川底の砂が綺麗に見えるようにしています。別にしなくてもよい余計な仕事をしているのです。家内も自然を単純に愛している様子です。
昼食は持参した昼食を薪ストーブで温めて食べます。
そんなことを2、3時間して帰ってくるだけです。
考えてみると自然を単純に愛すと幸せになると確信するようになったのは70歳を過ぎてからでしょうか?
老人になる前は体力もあり山々に登ったり、川釣りをしたり、山菜採り茸採りなどをして楽しんむものです。しかし高齢になると山に登れなくなり、川釣りも出来なくなります。ただ自然の風景を眺めるだけになります。
静かに眺めていると自然界の息づかいが聞こえてくるように感じられるのです。
それは地球の悠久な息づかいなのです。
自然と人間が一体になると感じる瞬間が時々あります。何の恐れも苦しさも無い幸せな瞬間です。これが単純に自然を愛せば幸せになるということなのでしょうか。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

1 コメント

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自然を愛すること (ネスカフェ)
2016-01-17 09:18:00
自然を愛せば幸せになれる、、興味深く読ませてもらいました。
20代の頃、小さな鉢植えを枯らすので有名な私は悩みました。私は花から愛されてないのか、と。どこかの本から見たのでしょう、自分から愛さないと誰も(何も)愛してくれないと。
水をあげれば育つ、そんな単純ではないことを知りませんでした。
またお邪魔させてもらいます!
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