後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ヨーロッパを荒廃させた30年戦争の凄惨さ」

2024年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム
ある民族の歴史はそこに住んでみないと本当には判らないものです。
1969年から1970年にかけて一年余、ドイツのローテンブルグとシュツットガルトに家族と共に住んだことがありました。
そこで私は「30年戦争」のことを初めて聞きました。私が知らなかった大戦争です。
 
1番目の写真はローテンブルグの風景です。
写真の出典は、(http://blog.goo.ne.jp/charomo/e/2c42d6c042d6fe6f8429fcc07bd93bac)です。
この美しい中世の町が、「30年戦争」(1618~48)の時、攻め込んで占領した敵に破壊されそうになりました。
この「30年戦争」はドイツだけでなく全ヨーロッパを荒廃させた大戦争でした。
しかし日本の学校ではこの30年戦争の事は殆ど教えません。日本の学校教育の欠落知識です。
 
今日はこの「30年戦争」のことをご紹介したいと思います。
「30年戦争」のことはドイツ人からさんざん聞かされました。ドイツ人の歴史にとって「30年戦争」は日本人の「関ヶ原の戦い」のように大変重要な戦争だったのです。そのことが、住んでみて、はじめて身に沁みて理解出来ました。
例えば「アルト・ハイデルベルグ」という恋物語で有名なハイデルベルグ城に行くと、ガイドがこの城は「30年戦争」であちこちが破壊されました。その傷跡はこれですと城壁の壊れた部分を指さすのです。下はそのハイデルベルグ城です。
2番目の写真は三十年戦争の爪痕が残っている ハイデルベルク城です。写真の出典は、(http://gensun.org/?img=tabidachi%2Eana%2Eco%2Ejp%2Fstorage%2Fphoto%2F978%2F179901_2%2Ejpg)です。
働いていた研究所のドイツ人達と一緒にビールを飲みます。酔ってくると彼らは、決まって何かを大声で議論を始めるのです。何を議論しているか聞いてみると、「30年戦争」のことだと言います。「30年戦争」の何を議論しているのかと聞くと、「敵味方が複雑に入り組んでいてドイツ人にしか分からない問題を議論している」と答えます。そして、「実はドイツ人にもよく分からないのです」と自笑しています。日本の「応仁の乱」を思い出しました。
帰国後、折りにふれて「30年戦争」のことを少しずつ調べました。
簡単に言ってしまえばその戦争は宗教改革の後の1618年から30年続いた戦争です。当時のドイツ人の総人口1800万人が700万人に減少し、国土を荒廃させた大戦争だったのです。
それでは誰が誰と戦ったのでしょうか?それが判然としないのです。
勇気を出して簡略化して書けば以下のようになります。
前の記事でもかいたウイーンのハプスブルグ家の支配下にあったカトリック側の神聖ローマ帝国(当時のドイツの国名)とそれに反発するドイツ国内のプロテスタン領主達の反乱と言えます。
しかしこれはこの戦争のほんの一面に過ぎません。実態は宗教戦争を装った領主たちの領土拡大と権益拡大を主目的にしたおどろおどろしい戦争でした。それにスウェーデン、ノルウエイ、フランス、デンマーク、スペインなどの国々も参加し、領土拡大を狙った国際戦争でもあったのです。
この戦争は、道義もルールも皆無な傭兵が主体で行われました。
この傭兵たちがドイツの農民を殺し、略奪をしつくしたのです。ドイツ全土が傭兵たちによって荒廃させられたのです。
そして戦争には残虐も付きものです。各地で木の枝に吊るした死体があったそうです。
人間の領土欲、権力欲、殺戮欲などの低次元な欲望が恥も外聞もなく発揮された戦争でした。ですから私はこれを、「ヨーロッパ文化の闇」の一つと言うのです。
末尾に少しだけ参考資料を付けました。
 
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

====参考資料=========================

The_hanging_by_jacques_callot1
3番目の写真は三十年戦争時の虐殺を描いたジャック・カロによる版画『戦争の惨禍』(1632年)です。
 
十年戦争は名前の通り30年間絶え間なく続いたのではなく、数ヶ月から2年程度の小康状態を挟んで断続的に続いた。当時はほとんどの軍が長期間統制しにくい傭兵によって賄われており、国王直属の常設軍隊は稀であったからである。しかし、戦争が長引くとインターバルの期間は次第に短くなり、三十年戦争の最終段階では13年間にもわたる戦闘が繰り広げられた。

この戦争は4つの段階に分類することができ、後になるほど凄惨さを増していった。この4段階にわたる戦争はそれぞれハプスブルク帝国に対抗する勢力ないしは国家の名前をとって下記のように呼ばれている。

 
  • 第1段階:ボヘミア・プファルツ戦争(1618年 - 1623年)
  • 第2段階:デンマーク・ニーダーザクセン戦争(1625年 - 1629年)
  • 第3段階:スウェーデン戦争(1630年 - 1635年)
  • 第4段階:フランス・スウェーデン戦争(1635年 - 1648年)
三十年戦争は新教派(プロテスタント)とカトリックとの間で展開された宗教戦争と捉えられることが多いが、それはこの戦争の単なる一側面に過ぎない。
この戦争が単なる宗派対立による宗教戦争ではないことは、戦争勃発当初から明らかであった。
衝突した勢力:
新教徒勢力
スウェーデンの旗 スウェーデン (1630?)
フランス王国の旗 フランス王国(1635?)
デンマークの旗 デンマーク=ノルウェー (1625?1629)
ボヘミアの旗 ボヘミア王国 (1618-1620)
ネーデルラント連邦共和国の旗 ネーデルラント連邦共和国
ザクセン選帝侯領の旗 ザクセン選帝侯領
Flag of The Electoral Palatinate (1604).svg プファルツ選帝侯領 (-1623)
Brandenburg Wappen.svg ブランデンブルク=プロイセン
Coat of Arms of Brunswick-Lüneburg.svg ブラウンシュヴァイク=リューネブルク選帝侯領
イングランド王国の旗 イングランド王国 (1625-30)
Flag of Transylvania before 1918.svg トランシルヴァニア公国
反ハプスブルク家諸勢力
 
ローマ・カトリック勢力 (ハプスブルグ家側)
( Catholic League (Germany).svg カトリック連盟 ハプスブルク君主国の旗 オーストリア大公国 ボヘミアの旗 ボヘミア王国 (1620-) )
スペインの旗 スペイン帝国
Flag of the Habsburg Monarchy.svg 王領ハンガリー
Flag of the Kingdom of Croatia (Habsburg).svg クロアチア王国
デンマークの旗 デンマーク=ノルウェー (1643?1645)
     
 

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。