後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

幸せな孤独と不幸な孤独ー老境を楽しく過ごす方法

2010年03月07日 | 日記・エッセイ・コラム

老境の人々を3種類に分類して見ましょう。孤独でない人。幸せな孤独を楽しむ人。不幸な孤独に苦しむ人。

同じ家に嫁や孫と一緒に住んでいる老境の人は孤独でない人です。

幸せな孤独を楽しんでいる人は山林の中の一軒家に独りで悠々と独り暮らしを楽しんでいる人です。私の山林の中の小屋の周辺に5人居ます。何時行っても上機嫌で楽しそうです。

不幸な孤独の例を上げると、須賀敦子さんのように自分が為すべきことを見つけられず一生迷って苦しむ人です。彼女の描いた「コルシオ書店の仲間達」に登場する人々は皆孤独感ただよう人々です。自分が孤独なのでそういう人々に心が惹かれます。

彼女はイタリア人と結婚し、間もなく夫が病死して日本へ帰って来ます。帰って来ても何をするのか迷います。そして60歳になってから突然魅力的な文章で本を書き出しました。文章が美しく、つい読んでしまいますが、読後に何故か淋しくなります。ああ、この人は不幸な孤独を生きて、死んで行ったと感じます。

彼女の老境の日々では、何時も若い男の弟子達を引き連れて遊んでいたそうです。高価な外車を乗り回していたそうです。彼女の作品から受ける孤独感とは反対な生活ぶりだったそうです。そんな噂を聞くとますます彼女の不幸な孤独感の深さがしみじみ分かります。才能に恵まれながらその才能をどの様に使って良いか一生迷う人がいます。人並み以上の才能があるために幸せな人間関係が作れないのかも知れません。

孤独といえば、カトリックの神父さん、シスター達は皆な一生独身です。しかし孤独ではありません。自分の周りに居る信者が家族です。神やイエス様の愛に包まれています。孤独とは無縁な人々です。須賀敦子さんはミッションスクールを卒業しカトリックの洗礼を受けていたようです。それでも孤独だったのは何故でしょう?

それはそれとして老境にある多くの人々はあまり宗教と縁がありません。しかし幸せな孤独を楽しんでいる人々が多いと思います。家族が居ても、夫婦で生活していても幸せな孤独の楽しさを見つけて、華やかな老境を過ごしています。このことはもう少し説明が必要ですので、続編で書きます。

さて貴方は幸せな孤独ですか?家族運が良い人ですか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人

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