後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「私が好きな縄文土器、井戸尻考古館の芸術的な縄文土器」

2023年11月13日 | 日記・エッセイ・コラム
私は縄文土が大好きです。現在の日本人に無い独特な独創性があります。作った人の情熱が感じられます。ですから縄文土器の展示があると必ず見に行きます。
今日は長野県の縄文土器の展示がある井戸尻考古館の訪問記をお送り致します。
井戸尻考古館を訪問すると2つのことで驚くと思います。一つは多様のデザインンの縄文土器が実に多数展示してあるのです。精緻な芸術作品です。その土器群には圧倒されます。
二つ目は縄文時代の畑作農耕に使われた石器の刃の鍬や鎌などが多数復元展示してあるのです。収穫した粟や蕎麦などの穀類を脱穀したり粉にする石臼が無数に展示してあるのです。従来は縄文時代に「農業が無かったと考えられていました。しかし縄文時代に畑作農耕が普及していたことを証明しているのです。これは驚異です。
縄文時代に畑作が行われていた事実はそれ以前の無土器の旧石器時代にも畑作が行われていたことを暗示しているのです。
私は考古学が趣味で日本全国の旧石器時代や縄文時代のことをいろいろ調べてきました。
それによると12000年間も続いた縄文時代の土器や住居跡は北海道から九州、そして八丈島などの離島からも出土しています。
その様子は「驚異の三内丸山遺跡と縄文時代に繁栄した青森県」(2013年08月28日掲載記事)に詳しく書いてあります。
三内丸山遺跡には大型家屋があり、整然と並んだ小型住宅があり、食料貯蔵用の高床式倉庫群があり、祭祀用の神秘的な巨大柱があり、整然とした墓地もあります。それは小さいながら一つの独立した村落のようです。
しかし発見された土器群は井戸尻考古館の土器群のほうが優れて芸術的なのです。
甲府盆地の向こうにある釈迦堂縄文土器展示館も展示土器数が多いのですが土器の芸術性は井戸尻考古館の土器群のほうがすぐれているのです。
井戸尻考古館では数十枚の写真を撮ってきましたが、その中のほんの一部の写真しかここに示すことが出来ないのが残念です。
1番目の写真は井戸尻考古館です。
2番目の写真は神秘的な模様を刻み込んだ大きな筒型の容器です。
3番目の写真はどっしりとした形の良い土器で細かな模様が描かれています。
4番目の写真は均整の取れた大きな土偶人形です。
5番目の写真は縄文土器を趣味にしている人なら誰でも知っている有名な水 煙 渦 巻 文 深 鉢です。
古い話ですが昭和38年に、パリで開催された「日本古美術展」に出陳され、芸術性豊かなこの縄文土器を通じ、日本文化の素晴らしさに多くの人が感激したそうです。昭和47年には、郵便はがきの意匠に採用され、ひろく有名になりました。
6番目の写真は畑の雑草を撮る小さな鍬です。刃は薄い鋭利な石です。
7番目の写真は畑を深く耕す石の刃の付いた鍬です。左は現在の鉄器の鍬です。形が同じです。

さて井戸尻遺跡発掘に取り組み、八ケ岳山麓の考古学において、先駆的な業績をあげたのは藤森栄一でした。彼は戦後まもなく八ケ岳山麓から出土する考古遺物を検討し「縄文農耕論」を提唱したのです。出土品を客観的に考えるとどうしても農耕があったと考えなくては理解がつかないのです。
縄文時代は、狩猟や採集などを中心とした社会であったとする当時の学会の認識からは、到底納得しえない衝撃的な内容のものでした。
これが「縄文農耕論」です。これは現在広く証明され考古学の常識になっているのです。
そういう経緯もあって井戸尻考古館は重要な展示館なのです。
詳しくは、http://userweb.alles.or.jp/fujimi/idojiri/ido004.html をご覧下さい。

縄文時代にご興味がある方は是非一度、井戸尻考古館を訪ねてご覧ください。

今日は長野県の縄文土器の展示がある井戸尻考古館の訪問記をお送り致しました。大型の見事な縄文土器が多数展示してあります。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

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