上総の佐原の商人、伊能忠敬が隠居後、幕府の許可と支援を得て、自費で北海道から始めて、全国を測量したのです。歩いた距離は約五千万歩と言われています。
測量は1800年から17年かかりました。作成した大図、中図、小図を精密に復元し、2010年の5月3日に東京都小金井市総合体育館に展示しました。靴下を履いた足で踏みながら地図を見れるのです。
展示会には驚きました。感動しました。凄い探検旅行です。55歳で引退した後の、伊能忠敬の情熱に圧倒されました。いろいろな理由で衝撃をうけました。
(1)自分が実際に測量した所だけを精密に描いています。想像したことは絶対に描いていません。実験実証主義の権化のような人です。私は職業として実験科学を30年以上して来ましたので彼の実験科学者としての天才的才能が少し分かります。まずその事に感動してしまいました。
(2)文明開花以前の日本の風景が歴然と見えてくるのです。都市も自働車も新幹線も無かった時代です。全国によく手入れされた田園風景が広がり農村や漁村が散在していたのです。このことは当たり前で皆が良く知っていることです。しかし伊能忠敬が歩いて測量して、地名を克明に書き込んでいるのです。それを見ると、自分がその測量隊に参加しているような錯覚を覚えるのです。そして地名から当時の農村や漁村の風景が彷彿としてくるのです。
(3)1800年の頃の地名は現在へ繋がっています。漢字が少し変わっている所もありますが全て理解できます。現在重要な都市や町があった所が単なる雑木林だったり淋しい海岸だったりしているのを見てその変化に驚きます。例えば現在自分の住んでいる小金井市は武蔵野の林だったらしく何も描いてありません。府中、日野などの宿場は明記してあります。自分の山小屋のある北杜市の武川やその牧原や小高い山になっている中山などは地名も明瞭に描いてあります。
江戸時代の東海道、中山道、甲州街道の宿場の付近は詳細に描いてあります。
(4)蝦夷地の地図が驚きです。松前の近辺だけに漢字の地名がありますが、他は全てアイヌ語をカタカナ表示で書いてあります。上の写真にあるように国後島も踏破して、海岸の地名が克明に書いてあります。これを見ると1800年当時は北海道は完全にアイヌ民族のものだったと理解できます。現在ある札幌も旭川も釧路も存在していないのです。
(5)国破れて山河あり、という唐詩があります。幾ら戦乱があっても自然の風景は変わらないと言います。しかし文明開化後の日本の風景は激変したのです。
富士山の風景は変化しませんが、手前に高圧電線が見えます。新幹線の列車が遠方にみえます。東名高速道路が見えます。静岡市のビルも見えます。風景をそのようなもの全てを含めると日本の風景は激変してしまったのです。当然住んでいる人々の心も変ったに違いありません。そん事まで考えさせる感動的な展示会でした。入場料金は500円です。「完全復元伊能図全国巡回フロア展」は各地で開催されました。
その写真をお送り致します。