後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「寒い夜は森敦の『月山』を思い出す、そして注連寺と即身仏」

2024年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム
寒い日々が続いています。特に夜はひどく冷え込みます。そんんな夜には森敦の「月山」という小説をを思い出します。
1974年に第70回芥川賞を受賞した小説です。
冬の月山の麓の夜の寒さを描いた場面が印象深い作品でした。そのせいで寒い夜に思い出すのです。
東北地方に生まれ育った私は「月山」に描かれた冬の寒さが身にしみてわかるのです。森敦の『月山』は感銘深い名作です。
話は森敦が出羽三山の最高峰月山のふもとにある注連寺という寺に居候して冬を越すという話です。
東北の月山の冬は雪深く寒いのです。主人公はお寺に残っていた和紙を張り合わせて蚊帳のような形のものを作り、その中で寝るのです。
しかし厳しい寒さが忍び寄りまんじりともせず夜を過ごすのです。
「月山」は深い内容の美しい作品として忘れられない小説でした。
この作品は森敦が自ら生まれ変わろうとするその姿を描いた作品のようです。
月山を「死者の行くあの世の山」として描いています。
現世とは山麓にある部落です。隔離された異世界は月山です。
冬を迎えると月山は吹雪や霧により下界と遮断されてしまう異世界なのです。
 そして、森敦はその地、山形県鶴岡市大網で数々の奇妙な話を聞きます。
吹雪の中で行き倒れになったよそ者をミイラにして観光の呼び物にするという風習があったのです。実際、注連寺も即身仏で有名な寺だったのです。
冬の夜の寒さがこの不気味な話と相まって一層寒々と感じるのです。
この森敦の「月山」という小説を読んだ頃に私は山梨の甲斐駒岳の麓に小さな山小屋をを作りました。
まだ若く元気だったのでよくその小屋に泊まりました。特に冬に泊まるとすごく寒い夜を体験します。冬の夜に小屋に泊まると「月山」のことを考えてしまいます。

そんな個人的な事情で私は寒い冬の夜には森敦の「月山」と甲斐駒岳の麓の山小屋を想うのです。

年老いた現在はその山小屋にはもう足繫く行けません。遥かに想うだけになりました。森敦の「月山」を読んでから50年の月日が流れてしまったのです。そんなことを考える今日この頃です。

森 敦は1912年(明治45年)生まれ 1989年没でした。長崎市銀屋町に生まれました。
1932年、旧制一高を依願退学します。1934年、「酩酊船」(よいどれふね)を「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」に連載して文壇に登場したのです。

今日は昔の文士の森敦の『月山』をご紹介しました。そして注連寺と即身仏にまつわる話を書きました。

東北地方に生まれ育った私は月山の冬の寒さが身にしみてわかるのです。森敦の『月山』は感銘深い名作です。

挿絵代わりの写真月山の雪景色の写真です。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

====森敦の略歴===================
1934年、「酩酊船」(よいどれふね)を「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」に連載して文壇に登場。
1934年、「青い花」(文芸同人誌)に参加。1935年より、奈良市、松本市を放浪。
1941年、横光利一夫妻の媒酌により前田暘〔よう〕と結婚。
1945年、この頃より酒田市、弥彦村、吹浦村、山形県庄内地方、尾鷲市などを放浪する。
1951年、8月下旬から翌年春まで真言宗の古刹:湯殿山注連寺に滞在。
1974年、『月山』で第70回芥川賞(昭和48年下半期)を受賞。
1987年、『われ逝くもののごとく』で第40回野間文芸賞を受賞。
1989年7月29日、新宿区市谷の自宅で意識を失い、東京女子医科大学病院へ搬送されたが死去(享年77歳)。旧朝日村名誉村民(現:鶴岡市名誉市民)となる。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。