後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「節分、立春、謝肉祭、灰の水曜日、四旬節、復活祭ー月日は足早に流れ行く」

2024年01月21日 | 日記・エッセイ・コラム
老境には月日がどんどん早く流れ行きます。2月になるとすぐ節分です。次の日は立春です。節分とは各季節の始まりの日です。立春・立夏・立秋・立冬の前日のことです。季節を分ける日です。江戸時代以後は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を意味します。節分の後はいよいよ春が来て梅が咲きウグイスが鳴きます。こうして季節が廻ります。
この季節になると欧米ではいろいろと宗教的な行事が続きます。謝肉祭や灰の水曜日や四旬節、そして復活祭が続きます。
欧米の人々には無宗教の人もいますが、多くの人はこれらの宗教的行事を身近に感じています。欧米の人々にとっては季節の歳時記のようなものです。

そこで今日は間もなくやって来る謝肉祭や灰の水曜日や四旬節、そして復活祭について簡単に説明したいと思います。
やって来る順序は、謝肉祭(カーニバル)、灰の水曜日、四旬節、そして最後に復活祭(イースター)という順序になります。
しかしそれぞれの宗教的な意味を説明するためにはこの順序を逆にして説明したほうが分かり易いのです。
(1)今年の復活祭は3月31日の日曜日です。
復活祭 (イースター) とは、十字架にかけられ死んだイエス様が3日目に蘇られたことを記念する、キリスト教の最も重要なお祝いの日です。クリスマスより重要とも言えます。
その復活祭の日の決め方は、「春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日」です。 この決め方に従うと今年の復活祭は3月31日になります。
(2)復活祭の前の40日間の四旬節
復活祭前に節制した生活を送る準備期間を四旬節(40日間)と呼びます。40という数字は、イエス様が荒れ野で40日間断食をされたことに由来しています。それに倣って40日の間に断食をしたり節制したりする習慣が生まれました。
もう少し厳密に言うと、四旬節が始まるのは その直前の水曜日 、すなはち「灰の水曜日」 からです。
(3)日本人にも理解し易い灰の水曜日
「灰の水曜日」という名前は、この日に司祭が灰で信者の額に十字の印をつけることに由来します。自分が灰のように消えてなくなるはかない者であることを認め、ただ神の慈しみによって生かしていただいていることを思い起こすのです。この意味は仏教の無常の考えと同じなので理解し易いです。
灰の水曜日に用いる灰は、前の年の「枝の主日」に祝別されたシュロの枝を焼いて作られます。エルサレムにイエス様が入城した時に群衆が棕櫚の葉を手に持って打ち振り、歓迎しました。シュロの枝は勝利と歓喜の象徴として、凱旋の行列に用いられるといわれますが、イエス様がこれによって人間の栄華も歓喜も、灰のように塵になる儚いものであることを教えたのです。
(4)日本人には分かり難いバカ騒ぎの謝肉祭
謝肉祭はカーニバルとも呼ばれますが、これは分かり難い祭です。
断食をしたり節食をして静かに過ごす40日の四旬節に入る前に、思いっきり飽食をして仮装をして踊り狂います。この世の楽しみを思う存分してから40日間の静かな節制生活に突入するのです。このようなバカ騒ぎをイエス様が喜ぶか私は疑問に思っています。
しかし賑やかな謝肉祭も灰の水曜日の前日にピタリと止めます。
ですから有名な南米のリオのカーニバルも「灰の水曜日」の前日に終り静かになります。

以上はカトリックの習慣です。しかし欧米では夏のバカンス以外の休日は、多くカトリックの習慣に従って決まっています。ですから謝肉祭(カーニバル)、灰の水曜日、そして四旬節、そして最後の復活祭(イースター)などは欧米社会の歳時記として定着しているのです。堅苦しく考えなければそれらは欧米社会の楽しい風物詩なのです。
その上、復活祭(イースター)はクリスマスと共に日本の俳句の季語にもなっています。

今年も謝肉祭(カーニバル)、灰の水曜日、四旬節、復活祭(イースター)が巡って来ますので、こんなことを書いてみました。

このような欧米の行事を日本の片隅でも守っている人々がいます。数少ないカトリック教徒です。
一つの例として木造で2番に古いカトリック宮津教会のことをご紹介します。
ステンドグラスの美しい畳敷きの教会です。信者は入り口で靴を脱いで畳の上を静かに歩きます。
写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。
出典は、http://pupa.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_f70a.html です。




この教会の歴史です。
1888(明治21)年、パリ外国宣教会のルイ・ルラーブ神父は宮津に居を定めて、宣教を開始しました。
1895(明治28)年に、地元の旧家・田井五郎衛門氏から敷地の寄贈を受け、翌年の5月、当時としては珍しいフランス風の構造に木造・畳敷きという和洋折衷のロマネスク式の聖堂「洗者聖ヨハネ天主堂」が竣工され、献堂式が行われました。

宮津教会は、日本に現存する2番目に古いカトリック天主堂として、今も現役の教会として祈りがささげられています。
 
今日は欧米の人々にとっては季節の歳時記のような謝肉祭(カーニバル)、灰の水曜日、四旬節、そして復活祭(イースター)について説明しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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