後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

茶道や茶室は静かな文化です

2014年11月18日 | 写真
茶室のある風景は見ているだけで心がなごやかになります。
茶道の作法は面倒なので自分には出来ません。そのことを始めに謝ると主人が「それでは作法抜きでお茶を楽しみましょう」と言ってくれるのが普通です。...
そんなやり方で数十年、茶席に入ったり、自分で抹茶をたてて楽しんでいます。掛軸や茶碗は季節によって変えます。
この前にリオのカーニバルの写真をお送りしたので、それとは対照的に静かな茶室の風景写真をお送りいたします。一昨日、府中郷土の森博物館公園の茶室(梅欅庵」で撮った写真です。

上は茶室への道です。

門を入ると茶室の丸窓が見えます。

茶花は茶室にふさわしい楚々としたものです。
軸の文字は読めないのが普通です。亭主に、「良い字ですが私には読めません。お教え下さい」と言います。すると「閑坐して松風を聴く」と読みますと静かに教えてくれます。

上は茶室から庭を見た風景です。晩秋の陽射しが明るくそそいでいます。

上は茶室に入る前に手と口を洗う手水鉢と蹲踞(つくばい)です。石灯篭があって雰囲気が良いです。
そんな風景を見ているだけでなごやかな気分になります。日本文化は侘び寂びの文化です。

文化とは何でしょうか(2)日本人には分かり難い謝肉祭のある国々の文化

2014年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム

南米、リオのカーニバル(謝肉祭)の熱気と騒々しさを思うと日本文化の静かさが本当に良いと思います。
しかしあの騒ぎもカトリックの戒律の反動として生まれた大規模なお祭りなのです。その因果関係を簡単に言えばカトリックの復活祭の前の40日間の断食と謹慎にそなえて、飽食と遊興をしているのです。そうしてその後の40日間の断食と謹慎をなんとかやり通そうという決意の表れなのです。
ですからあの馬鹿騒ぎのように見えるカーニバル(謝肉祭)はキリスト教から生まれた珍しい文化現象なのです。
似たような文化現象は日本にも数多くあります。神社の御神輿を担いで町を練り歩くのも神道から生まれた文化現象です。
しかしお祭りは宗教的な色彩が次第に薄れて人々の通俗的な娯楽になるものです。私はそれを非難していません。宗教抜きの祭りでも人々の絆が生まれお互いに親しくなることは大変良いことです。人々が幸せになります。
ですから神社抜きの「ねぶた」「たなばた」「竿灯祭り」とか「地方のいろいろな農業祭」などは日本固有の文化として大切にすべきと思っています。
ここでリオのカーニバルの良い側面をもう少しご説明したいと思います。
イエス・キリストは、ローマ提督、ピラトによって十字架刑にされました。しかし3日後に復活して生き返りました。そして弟子達と会い、話をして、天国へ登り、神の右の座に着きました。このイエス様の復活を祝うのが復活祭です。春先の大きなお祭りです。
その前の40日間が四旬節として歌舞音楽を控え、断食や節食をしてイエス様の処刑を悼みます。カトリック圏では騒がしい音楽やお笑いがテレビやラジオから消えます。静かな番組になります。禁欲的な生活を送る40日間なのです。
その四旬節の始めの日が、「灰の水曜日」です。ですからリオのカーニバルは毎年、厳密に灰の水曜日の前日に一斉に止めます。
この禁欲的な40日の前に、大いに肉を食べ、ワインを飲み、バカ騒ぎをして断食や節食の期間へ突入する準備をします。それがカーニバル、あるいは謝肉祭と呼ばれるお祭りなのです。
この謝肉祭が行われるのはカトリックの国々です。特にスペインやポルトガルの植民地だった南米では大きなお祭りとして毎年行われます。
しかし、イエス様は飽食や、欲望のままに酒を飲むのを喜ぶでしょうか?「汝、肉慾に生きるな」と教えました。ですからカーニバルはキリスト教とはあまり関係の無いお祭です。
お祭り騒ぎは私も大好きです。一般的に祭は娯楽的な文化現象なのです。それで人々が幸せを感じるなら大いに祭りを盛りたてれば良いのです。
ここでリオのカーニバルの写真をお送りいたします。
南米の人々の熱気と歓声が感じられますね。ここまで手の込んだ、そして大規模なお祭りは一つの特色あるローカル文化になっています。
日本古来の文化とはあまりにもかけ離れた文化ですが、寛容な気持ちで受け入れてご覧になって下さい。
写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。尚、写真の出典は、http://www.jiji.com/jc/d4?p=smb005&d=d4_int です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)