今日は家内とカトリック小金井教会のミサに行きました。
今日の聖書の朗読は、エゼキエルの預言(一部分)、答唱詩編、使徒パウロの手紙、そしてアレルヤ唱を唄い、ヨハネによる福音でした。
ヨハネによる福音はイエス様が暴力を使う唯一の場面です。
・・・ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このようなものはここから運び出せ。私の父の家を商売の家としてはならない」・・・・・
神殿で金儲けの商売はしてはいけないというイエス様の言い分には賛成です。しかし暴力はいけません。しかも牛や羊や鳩は、信者が買って「いけにえ」として神に供えるのです。いけにえは供えたあと食べたのでしょうが。
そのいけにえを買うのには占領軍のローマの貨幣を使ってはいけません。ユダヤの貨幣を使わなければいけません。ですからこそ両替屋が必要だったのです。
境内で商売をしないで神殿の外の参道ですべきだったのでしょう。しかし神殿の中のほうが商売繁盛です。つい境内の中で商売をしたくなります。
この様に新約聖書は当時のユダヤ人の風習をいきいきと描いているので面白いのです。
福音書の朗読のあとは聖歌を歌ったり信仰宣言をします。そしてイエス様の体の一部に見立てた聖なるパン切れを神父様から貰って、それを食べてから帰ってきました。
その上、今日のミサの終わりのほうで七五三の可愛い子供たちが祭壇の前に並んで神父さんの祝福を受け、千歳あめを貰っていました。
今朝の記事では、おたあジュリアのことを書いたのでジュリアのためにも祈ってきました。
さてと、午後は天気が悪いのですが一回りドライブにでも行くつもりです。
皆さまも楽しい日曜日を過ごすように祈っています。
今日のミサの報告でした。
写真には函館のカトリック元町教会をご紹介いたします。
1859年(安政6年)にフランス人の司祭、カション神父によって建てられた古い教会です。このカトリック元町教会は、以後、3度の火事にあいます。現在、数多くの観光客が訪れる建物は1924年(大正13年)に出来たものです。
この教会の内部の中央祭壇と、会堂の内壁に飾ってある14個の木造彫刻はイタリーのチロル地方の作品です。ときのローマ法王ベネディクト15世が寄贈してたものです。力強い作品です。美しい作品です。この教会全体が調和を持った一個の美術的な作品になっています。
この教会の創立は明治維新の起きる前の江戸時代です。キリシタン禁教は厳しく、明治政府になってから7年間もキリシタン禁教が続けられたのです。ですから教会が出来ても隠れキリシタンは訪れることは出来ませんでした。下に外観と内部の写真を示します。
今日の聖書の朗読は、エゼキエルの預言(一部分)、答唱詩編、使徒パウロの手紙、そしてアレルヤ唱を唄い、ヨハネによる福音でした。
ヨハネによる福音はイエス様が暴力を使う唯一の場面です。
・・・ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このようなものはここから運び出せ。私の父の家を商売の家としてはならない」・・・・・
神殿で金儲けの商売はしてはいけないというイエス様の言い分には賛成です。しかし暴力はいけません。しかも牛や羊や鳩は、信者が買って「いけにえ」として神に供えるのです。いけにえは供えたあと食べたのでしょうが。
そのいけにえを買うのには占領軍のローマの貨幣を使ってはいけません。ユダヤの貨幣を使わなければいけません。ですからこそ両替屋が必要だったのです。
境内で商売をしないで神殿の外の参道ですべきだったのでしょう。しかし神殿の中のほうが商売繁盛です。つい境内の中で商売をしたくなります。
この様に新約聖書は当時のユダヤ人の風習をいきいきと描いているので面白いのです。
福音書の朗読のあとは聖歌を歌ったり信仰宣言をします。そしてイエス様の体の一部に見立てた聖なるパン切れを神父様から貰って、それを食べてから帰ってきました。
その上、今日のミサの終わりのほうで七五三の可愛い子供たちが祭壇の前に並んで神父さんの祝福を受け、千歳あめを貰っていました。
今朝の記事では、おたあジュリアのことを書いたのでジュリアのためにも祈ってきました。
さてと、午後は天気が悪いのですが一回りドライブにでも行くつもりです。
皆さまも楽しい日曜日を過ごすように祈っています。
今日のミサの報告でした。
写真には函館のカトリック元町教会をご紹介いたします。
1859年(安政6年)にフランス人の司祭、カション神父によって建てられた古い教会です。このカトリック元町教会は、以後、3度の火事にあいます。現在、数多くの観光客が訪れる建物は1924年(大正13年)に出来たものです。
この教会の内部の中央祭壇と、会堂の内壁に飾ってある14個の木造彫刻はイタリーのチロル地方の作品です。ときのローマ法王ベネディクト15世が寄贈してたものです。力強い作品です。美しい作品です。この教会全体が調和を持った一個の美術的な作品になっています。
この教会の創立は明治維新の起きる前の江戸時代です。キリシタン禁教は厳しく、明治政府になってから7年間もキリシタン禁教が続けられたのです。ですから教会が出来ても隠れキリシタンは訪れることは出来ませんでした。下に外観と内部の写真を示します。