後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

病気を治したイエス・・そして薬草と近代医学

2014年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム
自分にとって大切な人が病気になったら神に祈ります。早く治りますようにと祈ります。入院して最新の医療を受けていても祈ります。これは人間としての自然なことです。
ですから病気と信仰には古来から深い関係があります。
キリスト教の新約聖書にはイエス様が信仰の篤い人の眼を見えるようにしたり、病人を歩けるようにしたことが書いてあります。一度死んだ人を甦らせたことも書いてあります。
私はそのような奇蹟をすべて信じています。そんな馬鹿馬鹿しい話は問題にしないと笑うよりも信じようとした方が優しい気持ちになれるのです。
しかし神に祈っても病気が治らないことがあります。そこで昔の人々は薬草を粉にして飲んだり煎じて飲みました。日本に近代医学が入って来るまではいろいろな薬草だけが頼りでした。
私の子供のころは祖母がゲンノショウコを乾して煎じて苦いものを飲まされたものです。夏に蚊が家に入ってくると除虫菊の乾したものを燻して煙で蚊を追いやったものです。
昨日そんなことを思い出し、薬草植物園の散歩に行きました。小平市にある都立の薬草園です。
そうしたらあんなにいろいろあった薬草がきれいさっぱりと無くなって畑だけが広がっています。そして畝と畝の間には腐葉土が埋めてあります。薬草は冬は休みです。球根を植えたり種を撒いて育てるのが普通なのでしょう。
薬草はありませんでしたが裏の雑木林が黄葉しています。例によって家内が黄葉の写真を撮っています。その中から5枚を選び薬用植物園の黄葉の写真をお送りいたします。中にある紅葉した木はカエデ科のハナノキと言い、葉は楕円形です。
家内が写真を撮っている間、私は何故薬草があるのかと思いを巡らせながら散歩しました。
愛する人の病気を治そうと人々は必死で薬草を探しました。西洋でも薬草が広く使用されていました。中国では漢方医学が発達し、現在でも漢方医が病気の治療にあたっています。日本でも現代医学と併用して漢方薬を使っています。
そして薬草を用いながら人々は祈ったに違いありません。
教会では時々、すべての国々の病人のためにお祈りをすることがあります。祈れば必ず病気の苦しみが無くなると信じて祈るのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。
後藤和弘(藤山杜人)