後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

この世のものが全て人工的になって来た・・・自然の貴重さ、素晴らしさを大切にしよう!

2014年11月24日 | 日記・エッセイ・コラム
最近、山梨県の七里ガ岩の黄葉の写真を撮りました。ところが写真では黄色い葉が写っていなくて肉眼で見た時の華やかさが感じられません。
下の一番目の写真がその写したままの写真です。そこでコンピューターの画像を加工して黄色を強調しました。下の二番目の写真がそれです。



そこでこの両方の写真をFace Book に掲載してどちらの写真がお好きですかと問いかけてみました。
そうしたら34名の方からご意見を頂きました。そのうち30名の方が自然のままの方が美しくて良いというご意見でした。画像はいじるべきでないというご意見です。家内も前からそう言っていましたので複雑な思いです。
これで写真の素人の私の今後の方針が決まりました。画像を加工しないで自然のままに掲載することにしました。
それはそれで良いのですが、写真のお上手な方から次の3つのご意見を頂きました。大変重要な内容なので以下に掲載させて頂きます。
(1)多田 茂樹さんから: 時と場合と、レタッチのテクニックによると思います。
未加工の写真が「自然そのまま」であるというわけでは、決してないので、上手にレタッチして、自然に仕上げることが、時には必要になることがあります。
(2)Akitoshi Narimatsuさんから:写真の色は決して自然な色ではないですね。以前、撮った写真の空の青さがあまりに鮮やかすぎるのが気になって、メーカーのサービスセンターに持ち込んだことがありますが、後日の報告は「一般にコンパクトデジカメは派手目な発色になるように調整されている。お客さん(私)のカメラはその範囲内であり正常です」というものでした。自分の思う通りに色調整できるソフトがあればいいのですが、なかなかうまく調整できません。
(3)小林 邦夫さんから:多田 茂樹 さん、Akitoshi Narimatsuさんの言われるとおり写真の色は決して自然な色ではないですね。
これから同時刻に同じ風景を撮影した画像を二枚お送りします。
一枚目はオートモードで撮影。メーカ任せの撮影で、明らかに露出不足の写真ができあがります。代表的なパラメータは、
露出時間=1/50、絞り値=4.0、ISO感度=100、焦点距離18.0mm
二枚目はマニュアルモードでシャッター速度、絞り、ISO感度を変えて撮影したもので、露出時間を長くし;1/30、絞り値やや開いて;5.6、ISO感度上げて;400、焦点距離18.0mm。
パソコンで修正しなくても、たっこれだけの撮影方法で全然違った仕上がりになります。
写真の色とは撮像素子(CCD,CMOS)の光の受光量とカメラの電子的な処理で決まるように思われます。
小林さんの具体的な実例を用いてのご説明は実に明快です。
これで私は結論を出しました。
すべての写真は自然の風景を決して自然のままに再現しているのではないのです。カメラをより多く売ろうとするカメラの製造会社が自然よりもより美しく写るようにカメラを作っているのです。ここにまず問題があります。
そして私はデジタル・カメラしか持っていない素人なのでシャッタースピードや絞りを変えられないのです。すべて偶然買ったカメラ任せなのです。
それで画像を加工するのは止めることにしました。
ところが以下のような貴重なコメントも頂きました。
(1)Aya Shintaさんから: どちらもいいですね☆
(2)藤間 久豊弥さんから: その時々によって表現したい気持ちがより伝わる方を選ぶといいんじゃないかと 私は思います。偉そうなこと言ってごめんなさい。
ところで藤間 久豊弥さんは日本舞踊のお師匠さんです。踊っている時の気持ちが重要なのですとおっしゃっています。
自分の気持ちや思索を表現するのが芸術なのですねと納得しました。
そこで楽しいヨット遊びを表現するために下の3番目の写真のような色彩の写真を掲載します。

そして夕方の物悲しい夕日とヨットの舫っている風景はモノクロームにして下の4番目の写真として掲載してみました。

その時々の気持ちを表現するにはモノクローム写真も良いことに気がつきました。
そこで昨日からいろいろなことを考えています。
そしていろいろなものが人工的になっていることに気がつきました。自然のままのものが次第に消えて行っているのです。
それを嫌がる人々が自然食品や有機栽培の野菜を好むのです。
大きな馬力のエンジンで水上を疾駆するモーターボートを敬遠して、風の力で静かに走るヨットを愛好する人もいます。
原子力発電を嫌って水力発電や太陽光発電が好きな人がいます。
全ての電化製品をなるべく使用しないで電気はおもに電燈だけに使う人もいます。
このような自然志向の人の数は少ないのですが大変重要な存在です。
この世から失われつつあるものに憧れをもって大切にしようという思想なのです。この思想が現代の先進国の人々の精神を健康にしてくれているのです。
私は真似は出来ませんがその自然志向の思想を大切にして精神の健康を維持したいと思っています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)