祥泉暦

日常の出来事の記録

39回目の結婚記念日

2020-05-17 22:07:17 | 日記
39年前の5月17日、山形県酒田市は、雨風の大荒れでした。
あの頃、39年後の今を全く想像できなかったと思う。

結婚する前を人生の第1ステージとすると
結婚して家庭を築いた時期を第2ステージ、
そして数年前から子供達がそれぞれ家庭を持ち
夫婦2人だけの生活になったのを期に
第3ステージに入ったと考えている。

第2ステージは、激動の時期であり成長した時期であり
人生のピークの時期でもあった。
夫は仕事を大成して、私は家庭を守る体制という
世代なので、ある程度満足している。
昨年健康で定年退職を迎えた夫とともに
第2ステージを幸せに終えたと思っている。

さて第3ステージをどうするか昨年から模索していたが、
この4月から新たな環境をそれぞれ決めてスタートした。
残念ながら新コロナウイルスにより、大変な事態になってしまったが、
これまでと違った生活スタイルになるのかなと、
多少の不安を抱えた第3ステージの幕開けです。

家族みんなが健康であればどんな事が起きても
知恵と努力と協力し合い進んで行けると思う。
何故なら第2ステージをやりきった経験があるので。

来年の今日は、どんな風に変化しているのか
楽しみです。




母の命日に

2020-05-13 17:09:00 | 日記
18年前の今日、母は交通事故で亡くなりました。
母の日の次の日の月曜日の夕方のことです。

実家(山形県)から今交通事故にあって病院に運ばれたとの第一報。
母はよく自転車を乗っていたので、てっきり自転車に乗ってて事故にあったかな?
相手に運転手に迷惑かけたかな、と思いました。
しかし第二報で、直ぐに帰るようにとの事。
夫は当時単身赴任中、娘は近くの中学生の家庭教師に出かけていて、
息子は塾に行っていて、ひとりで家にいました。
もう最終の新幹線には間に合わない時間でした。

実はその2週間前に、酒田にいる義父が病気療養中だったので看病に行った帰りに
実家に少しだけ立ち寄りました。
長距離運転を心配して見送ってくれた母の姿が最後となりました。

突然の母との別れは、日が立つほど悲しみが深くなり、
なにもやる気が出なくて本当に困りました。
今となっては全て遠い思い出になりました。

最近よく母の事を思い出します。
母の作った料理はもちろん、適材適所でのことば、言い伝え、教えなど。
多分年齢とともに母に似てきているのかも。。。笑

それにしても天国からコロナウイルスの災いを心配してくれてるでしょう。
戦後の混乱時期を過ごしてきた母は、こんな時にどんなことを言ってくれるのかな。。





終のすみか

2019-10-28 12:51:00 | 日記

15年前の今日10月28日は、今の家に引っ越してをした記念日です。
それまでは5階建の4階のマンションに19年間住んでいて、 
エレベーターのない4階での暮らしには将来不安になるし、 
私以外の家族3人は通勤通学に1時間を要していて、
なるべく都心に近い一軒家を持ちたいと言う私達の目標を
実現するべく年齢に達していました。
 家を持つ条件としては 
⑴ 駅から歩けること。できれば15分以内。 しかもバスの路線があること。 駅からバスの生活は、結婚当初住んでいた社宅がバス必須で不便を痛感していました。 しかし次のマンションでは、駅から徒歩10分弱 だったのですがバスの路線がなかったので、 雨の中を10分歩くのは大変でした。 「 歩けるけれどバスにも乗れる」が理想で た。

 ⑵駅から歩く道が暗くない、危なくないこと。当時娘は女子大生だったので、この条件は重要 でした。 

⑶終の住処と思っているので、多少のお庭が欲し い。 

⑷すでに建築中などの既成住宅 建売ではないこ と。 外断熱の家を建てたいと思っていたので注文住宅であること。 

⑸最寄りの駅が新宿、池袋から30分位の所 

しかしながら予算はあまり無い! 
それからかなり広範囲に土地探しをしました。 
不動産屋さんに紹介してもらった後、実際歩いてみました。 
なかなか簡単には見つからなかったのですが、 
友人から希望の物件がきっとあるから絶対妥協しないことという
 アドバイスをもらっていたので、 それを励みとしました。
 不動産屋さんを変えてみた途端、 今の物件に出会い飛びつきました。
 子供達にもみてもらい、 駅から15分歩くのは不満そうでしたが、
 私達親がよければ、という事でした。 
当時娘は大学4年生年生、息子は大学1年生で、
 いずれ親元から離れるとの予想で、 
それまでの数年を家族一緒に暮らしたいという思いでした。
 100パーセント大満足とは、 予算の都合上いきませんが、 
8割以上満足でした。 あれから15年、、、
途中5年間は台湾赴任の為家を空けましたが、
 外断熱の家にしたので家の痛みはありませんでした。 
大事な着物や革製品も全く問題なく、 本当に驚きでした。

 今年から夫婦揃ってほとんど家で過ごす生活になりましたが、 
息子の部屋だった所は夫の、 娘の部屋だった所は私のプライベートの部屋にしています。 基本的には各々一人、食事やお茶などは二人一緒の生活を過ごせているのは、
 この家があるからだと、最近痛感しています。 
窓からの景色は自然がいっぱいで、 まるで避暑地です。
 以前は来客の多い家でしたが、年齢とともにそれがほとんどなくなり、
 子供達家族が孫を連れて来る事のみになりました。
 その時は狭くとも一時なので、楽しみにしています。 

私達は田舎育ちだったので、住宅への憧れが強かったのですが、 
今は暮らし方楽しみ方が多様になっています。 
持ち家にするか賃貸で過ごすか、 どちらもありの時代です。
 それよりも自分の好みの「環境」で 過ごすことが良いと思います。

64歳!

2018-06-25 17:28:22 | 日記
還暦過ぎてから、何歳になったのかわからなくなります。
私は以前から年齢を隠しません。
年齢に恥ずかしくない生き方をしたいという思いからです。

思えば子育てをはじめた頃からずうっと自分探しが続いています。
ちょうど今自分の子供逹家族がその頃にさしかかっていて、
懐かしく少し距離を置いてみています。
私は子育て中は専業主婦だったので、子供達とは多少違っていますが、
どんな時代でも環境でも不安と悩みはつきものです。

そして64歳になった今、全く予想していなかった自分がいます!

それはヨガ歴10年目に突入する事で得た 健康 です!
運動オンチのコンプレックスは相当なものだったので、
今の自分は想定外です。
最近初級の山登りを2回経験してまた自信が得られました。
これからの楽しみです。

それからライフワークの書道は、向き合い方がさらに深まって来ました。
今までは鍛練の書道だったようで、たまに苦しくなっていました。
今は不思議とそれがなく、とにかく書きたい!というワクワク感が先行しています。
自分が書ける字体を認め、これが「私の字」と思えるようになったのです。
それによって、これからやるべき課題がよく見えてきて、
ひとりで習得できる気がしています。
なぜこういう変化、気づきがあったのかよくわからないのですが、
とても気が楽になりました。


こんな明るい64歳になれた事、本当に幸せだと思います。
パートナーと子供達家族に感謝です!!