3月31日で5年間勤務させていただいた職場を退職しました。

ここでの仕事が私の最後の職場となりました。
新卒で就職してから4つの会社に就職したことになります。
私の年代は、いわゆる専業主婦時代で、新卒で就職した会社は
「寿退社」しました。当時は女性として当然の選択でした。
結婚のために山形から神奈川に来たので、当然の事でもありました。
そして結婚してまもなく就職を希望して求人広告頼りに就活をしました。
失業保険を受給するために職安にも行きました。が、今では考えられませんが
「子供ができるまでの腰掛けね!?」という様な反応で、思う様な職には就けませんでした。そしてあっさりと諦めたのです。
今思うと特技もないし、これと言う資格も無かったので当然ですね。
仕事に就けなかったので、以前から学んでいた書道は続ける事ができました。
第二子が誕生した2年後位に、今の書壇で師範のお免除を頂きました。
当時住んでいた自宅で書道教室を始めました。ご近所の小中学生、そして学生時代の友達などの大人にも。
書道は教えるために始めた事では無かったのですが、学びを深める為には良い経験となりました。
やがて子供の成長と共に家計費のために働く必要が出てきました。いわゆる「パートに出る」時代です。日中の生活のリズムは変えたく無かったので、夕方から夜の数時間の勤務の「高校受験の為の塾」の事務職に就きました。
個人経営の塾を3校開校している塾長は、外資系企業を脱サラの経験者でした。日中は大人向けのパソコン教室もやっていて、これからはパソコンが必須と学び始めた老若男女が集まっていました。塾長は、私にマイクロソフト社のパソコン検定を受けて資格を取っておく事を薦めてくれました。
実はその10年以上も前に夫は会社で技術課からシステム課に仕事を換えていました。ホームパソコンも当然他の家庭より充実していました。
そして次の仕事に就く時に大いに役に立ちました。いわゆるネット通販の先駆け的企業に就く事ができました。
子育ても一段落した頃に私たち4人の両親を見送る事にもなりました。
思えば、すでに65歳という時にまだやり残した感があって、仕事を探して今の職場に就きました。
55歳で夫の台湾赴任に帯同する為に、以前の職場を退職したので、まさかまた仕事に就こうとは思ってもみませんでした。
「やり残した感」というのは、ライフワークとしていた書道です。
当時仮名も学びはじめていたので、書道に費やする為の経費を
年金暮らしとなった当時は、悩みの種でした。経費をかけない楽しみ方もあるのですが、経費をかける楽しさを継続したいという思いでした。
この5年間は本当に有意義な時間でした。子供と関わる仕事だったので、子供から得られるエネルギーと身体を動かす快感は、初めての経験でした。そして目的の書道は、芸術としての自分の書の方向を掴む事ができました。これからがとても楽しみです。
70歳という事で退職の時期を選択できたことに感謝します。

