祥泉暦

日常の出来事の記録

芭蕉 全発句 山本健吉著

2019-05-30 23:06:30 | 書籍


台湾滞在中に買っておいた。
ライフワークである書道で、いずれ俳句を書く事になると思い、
それには 芭蕉かな、と思っていました。

朝活読書をはじめて5ヶ月。
これまで中国の古典に触れてきたけど、
和モノへの憧れで 芭蕉 に。

膨大すぎる句集(973句)から、先ずはやっぱり 奥の細道!!
故郷の景色が眼に浮かぶし、土地感があるので、
おもしろい!
郷土の歴史に触れる機会にもなった。


まずとても興味深いのは、
芭蕉は、漢詩や古典の和歌に精通しているので(当たり前のことだが)
それを踏まえた句が結構あるということ。
知らなくとも鑑賞はできるけれど、より解りやすい。

例えば旅行紀最初の句
行く春や鳥啼きうをの目は泪
旅立ちの時に、見送りの人々との別れの情景だが、
杜甫の「春望ノ詩」であまりにも有名な句
時ニ感ジテハ花モ涙ヲ濺(そそ)ギ、別レヲ恨ンデハ
鳥モ心ヲ驚カス
また、崇徳院の歌(千載集)
花はねに鳥は古巣にかへるなり 春のとまりを知る人ぞなき
というのがある。
「この詩歌をもとにしてつくったというよりは、
伝統的発想を踏まえて読んだ句」という著者の解説に納得する。
この時代に未知の世界への大旅行、
旅先で果てるかもしれないという覚悟を持っての旅たちの情景である。

「奥の細道」には入っていないが、
夏草や兵共が夢の跡
は、平泉での作。
義経一群は、藤原泰衡の大軍に攻められ全員打死した。
その古戦場跡に立ち回顧して詠んだ。
「兵共が夢の跡」は
「義経伝説を育んできた、東北民衆の間に
ずっと続いている心の伝承」を芭蕉がこのように詠んだ。
著者は、芭蕉を「詩的肺活量の大きさを示している」と絶賛している。
杜甫の「国破レテ山河在リ、城春ニシテ草木深シ」の回顧的境地である。

五月雨のふり残してや光堂
この句は平泉中尊寺にて、奥州500年の歴史を回想し、
藤原三代の平泉文化の名残を眼前にした句である。
「ふり残してや」の名表現。
数年前におとづれた時は、辺りが何となく陰鬱な情景であったことを
思い出した。
「五月雨」の暗いイメージと光り輝く光堂。
世界遺産登録後 光堂は煌びやかに塗られているが、
人工的にはどうにもならない自然が相まって、
この句が物語っているのに
抜群の効果だったと今回思い出した。
藤原三代の栄枯盛衰の史実を知りたいので
次回からの朝活読書にしよう!

閑かさや岩にしみ入る蝉の声
子供の頃からもう何度となく登った山寺!!

思い起こせば、私が初めて俳句を読んだのは
きっとこれでしょう。
山の頂にある立石寺は、
歯骨を納める寺とされています。
立石寺に至る途中に中店があり、
お醤油で良い色に煮あがった「こんにゃく」を売っていて、
そこでひと休みするのが慣わしでした。
その店のおばあちゃんは、名物おばあちゃんになっていて、
高齢になってもお元気でした。
私の高校時代の親友のおばあちゃんです。
立石寺は私の実家と遠縁に当たると父が言っていましたが、
真意は知らず。。。。

話はそれましたので、もとへ。
5月27日(旧暦)、午後に立石寺について詠んだ句。
岩に岩が重なって山となっている山寺。
ほとんど岩です。
辺りは静かそのもの、蝉の声だけしか聞こえない、
蝉の声が大きすぎて岩にしみこんでしまいそうだ(?)と
子供の頃から勝手に解釈していました。
初案は「山寺や石にしみつく蝉の声」
再案は「さびしさや岩にしみこむ蝉の声」
著者の
「閑かさや岩にしみ入る」の詩句が、蝉声いよいよ盛んにして
四辺の閑かさがいよいよ深まった夕景の山寺を、彷彿とさせるのである。」
何と素晴らしい解説!!
この解説を山寺の情景を思い起こしながら読みとても共感しました。

南朝時代の官僚で文人 王籍
蝉噪(さや)ギテ林逾(いよいよ)静カナリ、鳥鳴キテ山更ニ幽カナリ
の境地と似ている。
幽寂さの表現は、「岩にしみ入る」と微にいった表現となり
「蝉の声が岩にしみ入るとは、同時にあたりの閑かさがしみ入ることであり、
そこには、ひそまり返った趣で大地に岩が存在する。
そこに作者の肺腑にも、自然の寂寥そのものとして深くしみ入るのである」
子供の頃の私には、いえこの解説を読むまでは、
全くわかりませんでした。

五月雨を集めて早し最上川
現在新庄からJR陸羽西線に乗ると、
最上川沿いにさしかかった時に、
速度を落として運転してくれるので、美しい最上川を眺める事ができる。
私の大好きなスポットです。
芭蕉は、本合海から古口まで最上川を船で下りました。
正に前述したスポットです。
一昨年本合海の船着場跡に行きました。
今は閑散としていて、かえって風情がありました。
最上川は日本三大急流の一つで、五月雨の時期には
水嵩が増すので急流となり「早し」となる情景が、想像できます。

暑き日を海にいれたり最上川
酒田の日和山に登り、遠く水平線の彼方に沈む真っ赤な太陽を見た
のであろう。絶景である。
日和山は最上川の河口にあり、対岸の袖の裏も眺めて詠んだ句である。
酒田は私の嫁ぎ先でもあるので、日和山には幾度も行きました。
余談ですが
酒田庄内地方で漁れる「サクラマス」は、
最上川で孵化して成長とともに海へと下り、
オホーツク海や日本海を回遊した後、
産卵のため川へと再び戻ってきます。
春を告げる風物詩は、日本海と最上川という自然が産んだ魚です。


荒海や佐渡に横たう天河
当時船宿で繁盛していた出雲崎とい港から佐渡を眺めての句。
実は波は穏やかな所であると言う。
佐渡はかつて罪人や朝敵が遠流された地であったという
歴史的な背景がある。「波の音を断腸の思いを誘う大海洋」を
芭蕉は「荒海」と詠んだ。
数年前この句を書いた私の筆跡。
とても拙いものであるが、これに因んで添付。

寂しさや須磨にかちたる浜の秋
紀行最終地 敦賀湾にて。
「須磨の秋」は、源氏物語の須磨の巻以来
もののあわれが讃えられているが、
この浜の秋の哀れは須磨の秋にまさっている。

浪の間や小貝にまじる萩の塵
種(いろ)の浜の特産「ますほの小貝」は、薄紅のさした美しい貝。
休憩した寺の庭に咲きこぼれていた萩の花。
この二つがまぎれることは物理的にないことであるが、
美しい可憐なふたつを重ね合わせた芭蕉の「詩的フィクション」である。
素敵に美しい!!

まだまだ書き足りない感は否めないが、
これから更に深めて追記したい。

台湾の元総統 李登輝は、大の芭蕉ファンで、
「奥の細道」の 名所をお忍びで旅行していると聞いた事がある。
確かにこの自然の美しさは、台湾にはない。
そしてこの風景を美しいと思う感性を台湾人は持っていると思う。

私の故郷を旅してくれた俳人芭蕉、
これからも更に深めて感じ入りながら、
書にしてみよう。


吉本ばなな アムリタ上下 ハネムーン

2019-05-25 16:46:25 | 書籍


平成が終わろうとしている時に、
平成でよく絵読まれた著者に吉本ばなな氏があげられていました。
娘の置いていった本の中にあって、
いつか私も読むであろうと思い、とってありました。


もっぱら読書は電車の中、しかも往復で20分足らず、
スマホを見てるとその時間も確保できないので、
スマホは電車に乗ったら見ないと決めて、
吉本ばななワールドに浸りました。

多少浮世離れしている世界観に
返って居心地良さを感じて、
それでも胸に迫るところがあり、
ここが人気のツボかな、と思いました。


それにしても、娘は20代に読んだと思うが、
こういう面白さがわかるとは、、、大人!!

2019年5月競書

2019-05-20 21:08:49 | 
年中行事の毎日展出品を何とか提出して、
息をつく暇がなく競書に取り組み送付。
事前にわかっていたので、半紙はほぼ仕上げておいた。






















次は三耀展、すでに要項が発表になりました。
近代詩のみまだ受賞していないので、それを目指します!

陶淵明

2019-05-01 13:55:22 | 書籍


名前だけはしっていうレベルだった私が、
もっと知りたいと思ったきっかけは、
ある冊子がきっかけでした。

その冊子とは、娘宛に毎月届く「煎茶道」です。
20数年前、以前から興味があった煎茶道を習い、
10年前に台湾赴任とともにお休み状態です。
私に触発されて始めた娘は、
教授のお免除をもらうほど深め、
お煎茶教室やワークショップ、
美術館やギャラリーの催し時にお茶を振舞うなどの機会に恵まれました。
「煎茶道」という冊子は、教授の資格を得たものだけに送られる冊子なのです。

この冊子は、煎茶活動の報告だけでなく、
お煎茶道の歴史、季節の花のことなど
とても興味深い内容で、
ある時連載されている「賞琴一杯清茗」に
陶淵明の琴詩 という副題が目に留まりました。
隠遁詩人である陶淵明が、琴を弾く趣味があるとは!

読み進めると、筆者は琴学研究、琴弾奏家 伏見无家で、中国文学研究者如く造詣が深い。
連載ものなので家にある冊子を遡り読み進めました。

私は書を学びながら、何を描くかの言葉探しを常にしています。
陶淵明の詩をもっと深く知ろうと思いました。


感銘を受けた詩はいくつかあるが、
きっと今の自分であるがため。。。
だから、幾度と読む本だと思う。


一つの構想をメモしておこう。
陶淵明の漢詩と芭蕉の俳句を
一幅の半切版にはどうだろう。
習い始めた仮名が上達しないとね。。。