祥泉暦

日常の出来事の記録

64歳!

2018-06-25 17:28:22 | 日記
還暦過ぎてから、何歳になったのかわからなくなります。
私は以前から年齢を隠しません。
年齢に恥ずかしくない生き方をしたいという思いからです。

思えば子育てをはじめた頃からずうっと自分探しが続いています。
ちょうど今自分の子供逹家族がその頃にさしかかっていて、
懐かしく少し距離を置いてみています。
私は子育て中は専業主婦だったので、子供達とは多少違っていますが、
どんな時代でも環境でも不安と悩みはつきものです。

そして64歳になった今、全く予想していなかった自分がいます!

それはヨガ歴10年目に突入する事で得た 健康 です!
運動オンチのコンプレックスは相当なものだったので、
今の自分は想定外です。
最近初級の山登りを2回経験してまた自信が得られました。
これからの楽しみです。

それからライフワークの書道は、向き合い方がさらに深まって来ました。
今までは鍛練の書道だったようで、たまに苦しくなっていました。
今は不思議とそれがなく、とにかく書きたい!というワクワク感が先行しています。
自分が書ける字体を認め、これが「私の字」と思えるようになったのです。
それによって、これからやるべき課題がよく見えてきて、
ひとりで習得できる気がしています。
なぜこういう変化、気づきがあったのかよくわからないのですが、
とても気が楽になりました。


こんな明るい64歳になれた事、本当に幸せだと思います。
パートナーと子供達家族に感謝です!!




花に背いて 鈴木由紀子著

2018-06-21 20:42:01 | 書籍
山形県米沢市出身の鈴木由紀子氏を知ったのは、NHKBS TV 「英雄達の選択」のコメンテーターとして出演していたのをみたことです。
テレビを見ながら鈴木由紀子氏を検索して、その場で2冊購入しました!
「花に背いて」直江兼続とその妻。
以前放送されたNHK大河ドラマ「天と地」と被りますが、
出身地が米沢である鈴木由紀子氏のこの作品の方がかなり面白いと思いました。



あいまいだった 上杉謙信 最上義光 伊達政宗 の時代背景がみえてきた。
郷土史なのに何故今まで解らずにいたのでしょうw
米織と食用ウコギを垣根にしたのは、
困窮を脱するための兼続と妻のお船のアイデアだったとは!
以前民放の番組で、「山形の人は生垣をも食べる」と、
まるで山形県人を蔑むような内容だったと聞いています。
米沢には藩校だった興譲館高校があり、どこか文化的な名残があるのは、
兼続の文武両道だったことが起因しているのかもしれない。晩年兼続が読んだ詩

雪夜炉を囲んで情更に長し
吟遊あい会して古今を忘る
江南の良策求むる処無くんば
柴火(さいか)煙中芋をやくの香り

才がありながら武士の面桶を優先することが民の為なのかに悩み苦しみ、
苦渋の決断の末家康追撃を諦めた兼続の心境。
この精神は、上杉謙信公の志でもある。
多くの家来や親戚に非難されても義を貫く、、、
山形県人気質でしょう。

それにしてもこの戦国時代に生きた女性達は、強い!
これまで政略の道具としてしか捉えられていなかったのに、
しなやかでたくましい!!
内助の功 というよりも「男は女の支えなしでは生きられない」と
筆者があとがきで述べている。。

そして兼続とお船は、お互いに支え合って、協力し合い、
現代人に近い感覚を持ち合わせた夫婦です。


今度帰省した時は、米沢資料館や林泉寺を訪ねたい。




6月の課題

2018-06-14 21:26:16 | 
毎日書道展の作品を提出してからの開放感の中
全国書協研連盟書道展に出品依頼があって、漢字半折を書きました。
その後は、毎月の課題を余裕を持って取り組んだ。
来月は三耀展の作品作り、ようやく構成が終わりました。

余裕の時期には臨書に励もうと思っています。





















父の日を前にして

2018-06-14 16:17:17 | 日記
ラジオ番組で、父の日を前に「私のお父さん」をやっている。
私は父の祥月命日に父を偲んでいたけれど、父の日に因んで思い出そう!

大正生まれの父は、その当時には珍しく 子供を褒めて育ててくれた。
若い時は気難しくて、母には辛く当たっていたのに、
私たち子供にとっては優しい父でした。

文学歴史好きで、何時も本をそばに置いていた。
決して経済的には楽ではないのに、
教育や趣味についてはとても理解があったなあ。

ターニングポイントには、何時も適切な言葉で背中をおしてくれた。

当時お付き合いしていたパートナーとの結婚について悩んでいた時に
「彼は良い青年だと思うよ」と言ってくれたっけ。

子育て中、主婦がホームパーティーを中心にやるビジネスをやっている時に、
目に余るやり方をしている人を風刺する記事が雑誌に掲載された時
「人がやるビジネスだから、人間性が出るのは仕方がない。ただ
こう言う記事が出ることによって、
お前のビジネスに悪い影響がでるのではと心配している。
頑張れ!」と励ましてくれたっけ。

大好きな子供と孫たちに囲まれて、金婚式のお祝いをした時の
嬉しそうな顔が忘れられない。

10年以上も闘病し、最後に入院したとき、
自分の最期を悟って、
家族や兄弟みんなに、担当の医師と看護婦さんにお礼を言って
逝きました。父らしい。。。