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アブラクサスの祭り

2010-11-04 23:54:31 | 映画・音楽・観劇


もう1ヶ月ほど前になりますが、次男と一緒に、映画「アブラクサスの祭り」を観ました。
郡山出身の芥川賞作家で、現役の僧侶でもある玄侑宗久さんの著書『アブラクサスの祭り』を映画化したものです。

「お坊さんだって、悩みはある!」悩めるお坊さんの自分探しのお話。

かつてロックミュージシャンだった浄念は、音楽への狂おしい思いから、ノイズが聞こえるようになり、鬱病患者として入院した過去がある僧侶です。
妻と息子と3人暮らし、福島の小さなお寺に身をおいて、病気を抱えながらも仏の道に精進しようと努めていましたが、なかなか思い通りにならず、落ち込むことも多い日々でした。
ある日、浄念を鬱々とさせるものは、断ち切れないロックへの思いだということに気付き、この小さな町でライブをやりたいと思い始めます。




浄念のよき理解者である寺の住職玄宗とその妻、浄念の健康を案じてライブに反対する彼の妻、「坊主がロックなんて、罰当たり」と怒る檀家たち。
あるがままの自分を受け入れようとする浄念と、その周りの人々の生き方が様々に交差します。
精神の病と向き合い苦悩する中で、“おまえはそのままで正しい”というアブラクサスの啓示を聞きます。
真っ直ぐに自分を見つめようとする浄念の、不器用だけどひたむきな姿には思わずホロリです。

本物のミュージシャンであるスネオヘアーさんが演じる浄念の演奏も素晴らしいです。
無の境地から発する音楽、心のメッセージが観る(聴く)人の心を揺さぶります。
  (アブラクサスとは、善と悪、天使と悪魔がひとつになった神の名)

原作者の玄侑宗久さんは、「あるがまま」という禅的な教えをもっと突き詰め、「ないがまま」とも表現しています。

昨日、たまたまテレビで見た「インドのITはなぜ進んでいる?」の中で、数字の「0」の存在を指摘していました。
この奇跡の数字「0」は、インドで生まれたものなのだそうです。
そう言えば、ローマ数字には「0」がありません。「0」という数字は東洋的な考え方から生まれたのだとすれば、「0」=「無」=禅の教えと言うのも納得、ストンと腑に落ちます。
「0」という数字はなんて哲学的なの?!と、ちょっと感動でした(^_^;)

お話は逸れましたが、普通、何も無いということは、とても不安で落ち着かないことだと思います。
けれども、「無」には無限の広がりや可能性もある?と思えるのも確かです。
人が「無」になったとき、そこから何が生まれてくるのか・・・

浄念さんの場合は「ロック」だったのかも知れません。


左から、本上まなみ(玄宗の妻)、小林薫(住職の玄宗)、スネオヘアー(浄念)、ともさかりえ(浄念の妻)



郡山は先行ロードショーということで、玄侑宗久さんとスネオヘアーさんの舞台挨拶がありました。
初めて見るスネオヘアーさんはとてもシャイで素敵な方でした。
次男の話によれば、ステージパフォーマンスはかなり激しいものだそうですが。


原作者の玄侑宗久さんは、息子たちの高校の先輩であり、映画のタイトルロゴも先輩である「風とロック」の箭内道彦氏、と言うことで何かとご縁を感じる映画でもありました。

12月25日(土)から全国で順次ロードショーが始まります。





おまけ






先日刊行されたばかりの玄侑宗久著『荘子と遊ぶ』

玄侑宗久さんの本は、デビュー作の『水の舳先』から、芥川賞受賞の『中陰の花』『アブラクサスの祭り』『アミターバ 無量光明』『化蝶散華』『禅的生活』と読んできましたが、今回の『荘子と遊ぶ』は、心を開放してもっと楽に生きましょうよ、とポンと肩をたたかれたような哲学のお話がたくさん詰まっている、玄侑宗久流の『荘子』の読み解きの本です。楽しく生きるヒントがギュッと詰まっていそうです






                               ozさん作

Comments (10)
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