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漢字の話(キラキラネームの秘密、四)

2016年05月10日 14時13分41秒 | 日記
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漢字に外国語の音のルビを振ろうと言う人々が、実は、「天!地!」に(ティエン!チイ!)と振って憚らない見識の持ち主である点は、注意すべきであると思います。漢字を使って、何をするか分からないからです。


・名乗訓(なのりくん)

数年前のこと、親戚に子供が生まれました。生まれた子の親が電話を掛けてきて、名前を考えたので、意見を聞きたいと言います。彼女の考えた名前は、

稔司(ねんじ)

自信満々で「好い名前でしょう。」と。

名前は、戸籍簿に登録されます。戸籍簿は法務省の管轄で、国籍と出生,婚姻,離婚その他の事項を記載する公文書です。国民の国籍に関わり、親族の身分関係(夫婦,親子,兄弟姉妹等)を登録し,人の身分関係の形成(婚姻,離婚,縁組,離縁等)にも関係している物です。

公文書に記録される上に、その子が生きている百年の間、使い続ける物です。親の好みもあるとは思いますが、流行廃れが無く、誰が見ても奇異ではなく、覚えやすい、運の良い名前が良いと思いました。

そこで、少し考えてから、

「やめた方がいいと思う」と答えました。

「えっ、何で」と聞くので、

「稔りという字は、ネンとは読まない。ジンとかニンの音だから。」

と言うと、彼女は、

「え?ネンって音はあったけど…。」

「いや、無いと思う。『大漢和辞典』とか『新字源』で引いてみて。ネンの音はありません。何に、ネンって書いてあったの?」

「姓名判断とか、子供の名前をつける本に、ネンって載っているんだけど。」

「デタラメに書いてあるんじゃないの。きちんとした辞書を引いた方がいいと思う。」


『大漢和辞典』で引くと「稔」は、

[集韻]忍甚切

「忍甚の切」です。

「忍」は、漢音が「ジン」で呉音が「ニン」、「甚」は漢音が「シン」で呉音が「ジン」です。それで「稔」の音も、漢音が「ジン」、呉音が「ニン」になります。訓は「みのる」。この他に『大漢和辞典』には、「名乗(なのり)」という訓が挙げられています。

「名乗」とは、名前に使われる特種な読み方です。名乗訓(なのりくん)とも言われています。漢字の意味に符合するものと、符合しないものがありますが、例えば、経の「つね」、之の「ゆき」、素の「もと」、忠の「ただ」、孝の「たか」等がこれにあたります。(『漢字小百科辞典』原田種成 著より)

「稔」の字には、「ニン」「ジン」の音、「みのる」の訓の他に、

名乗訓「とし」

があります。正確には「司」も「シ」の音ですが音便変化と取るとしても、

「ニンジとかジンジとか、トシジという名前ならあり得るけど、ネンジとつけると、将来、親子で馬鹿にされないとも限らないので、やめた方がいいと思う。」

と言って電話を切りました。後日、彼女から連絡があり別の名前にしたとの事。その名については、ここには書きませんが、好い名前だと伝えました。


ところで、子に名前を付ける場合には、どの様な物を使うでしょうか。『姓名判断』や『子供の命名』に関する本でしょうか。それとも、ネットやスマートホンのアプリで調べるでしょうか。残念ながら、これらの方法は、あまりお勧めできません。情報として間違っているだけではなく、意図的に異常な物が含まれている場合が多いからです。

そもそも、子供の名前に使われる漢字は、常用漢字と人名用漢字の中から選ぶことになっています。


・文字の発見

ここで少し古いお話を。光緒二十五年(1899年)の事、清朝の国子監祭酒の地位にあった王懿栄(おういえい)は、マラリヤに苦しんでいました。国子監は、大学を統括し科挙の試験を司る役所で、祭酒とは国子監の最高責任の役職です。今で言えば東京大学の総長と同程度の地位です。博学で、金石学(青銅器などに刻まれた古代文字の研究)にも造詣の深い人物でした。

王懿栄は、医術の心得もありましたので、マラリヤの薬も、「達仁堂」という薬屋に使いの物を行かせ、服用前には自分で薬を調べていました。あるとき、偶然、「龍骨」と呼ばれるマラリヤの骨片に、文字が書かれているのを見つけました。そこで、王懿栄は、薬屋や他から千五百個以上の「龍骨」を集め、詳しく調べてみる事にしました。龍の骨として売るからには、文字が削られていたり、少ない部分が扱われていましたが、収集して調べてみると、それが、占卜に用いられた亀甲獣骨であり、上部に刻まれているのが、古代の文字である事を発見しました。これが、「甲骨文字」の発見の始まりです。

時は清末、義和団による大々的な排外運動が起こり、翌、光緒二十六年(1900年)朝廷がこれを支持して列強に宣戦布告。同年七月二十日(1900年8月14日)、八か国連合軍(義和団討伐のために派兵した列強八ヶ国。イギリス・アメリカ・ロシア・フランス・ドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリア・日本)が北京攻略を開始すると、王懿栄も衆を率いて東便門で応戦。しかし翌日、北京はあっけなく陥落。王懿栄は自宅に帰ると、「私は義として、いたずらに生きながらえる事はできない」と、家人の止めるのも聞かず服毒し、井戸に身を投げて果てました。

王懿栄が亡くなると、収蔵していた甲骨は全て、王懿栄の息子によって劉鉄雲に譲られました。劉鉄雲は、その中から資料として有用な物を拓本に取り、光緒二十九年(1903年)『鉄雲蔵亀』として出版。

マラリヤの薬として売られていた「龍骨」は、実は、河南省安陽の小屯付近の農民が掘り出した物でした。小屯は、それまで伝説だと思われていた殷王朝があったと伝えられている場所です。

殷というのは、紀元前1700年頃~前1100年頃まで存在した王朝です。河南省安陽小屯付近の殷墟は、殷王朝の中期以降から最後の紂王(ちゅうおう)までの300年間に都があった場所です。この発見によって、それまで伝説時代と思われていた「殷王朝」が、実在したという事が立証され、古代の文字の情況が明らかになってきました。

甲骨文字には、およそ4500前後の文字があり、その中には、象形を始め指事・会意・形声等の文字が含まれ、相当進んだ段階にあったと言われています。要するに、漢字の歴史は、更に古い時代にまで遡ることができるのです。


もう少し続きます。


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