永続のページ別館

愛知県岡崎市在住
永続のページ管理人の個人日記

成長に軸を置く

2012年05月08日 | 沖縄教育出版
最近、Facebookでちょっと文章が長いとシェアできないという
事態に陥ってしまい、困っています。

今頃ですが、文章だけなら、全文転記という方法があることに
気づきました。(原文にシェアの通知は表示されませんが)


◆◆ 5月8日の川畑お師匠さま


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【成長しているかどうかという座標軸】

最近すごく思うのは、人生の座標軸が

幸せ、幸せと言いすぎるのではないかと思うんです。

幸せか不幸か、成功か失敗か、勝者か敗者かという座標軸ではなくて、

成長しているかどうか、成熟しているかどうかという座標軸に移せば、

どんな人も、どんなときでも人生は誰でもOK。

生きていればいろいろな事があります。

私は25年前に腎臓がんを患ったけれども、その事を受け入れた。

受け入れるとはいい意味でいろいろな事を諦めた。

「諦める」とは「明らかにして極める事」。

諦めて過去にサヨナラしないと、新しいこんにちわはありません。

会社も成功しているからと言っても、それは通過点に過ぎない。

本当は失敗なんて言葉はないし、いい経験という学びの場。

幸いな事に課題や問題があるわけで、成長の場が与えられる。

私たちは起こった事をどう捉えるかなんだと思います。

例えばここに千円札があるとします。

一人はニコニコ、一人はブスッとしている。

ところが千円札そのものは変わりません。

変わるのはその人の心なんです。

いろいろな事が起こったときに、

その人の心がどういう状態にあるのか

その事をどう受け止めるかが大きのではないでしょうか。

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◆◆ リンク

・幸せとは、好きなもの・有難いものに囲まれている状態をいう。

→「成長」とは感性のエンジンが大きくなること

・目の前の当たり前とおもっているものを有難いものと気づくと宝物が増え、幸せが増す。

→「感性のエンジン」を大きくすると、気づく力が向上する。
  つまり、目の前の有難いものに気づく力が向上し、より幸せになれる。


→「幸せ」という外的要因に軸を置くのではなく、「成長」という内的な自己、管理可能な部分に軸をおくこと。
 「幸せ」を捨てて「成長」をとるのではなく、実は不離一体のもの。
 むしろ、自分がより幸せになるために、成長に軸をおくべきと感じました。

・「本当は失敗なんて言葉はないし、いい経験という学びの場。」

→苦労、失敗、喪失そのものはなくせないが、どれだけ創造的な意味を見出すか?
 ○○に気づいた、××という学びがあった...


◆◆ 相田みつをさんの詩を紹介しておられました。

つまずいたおかげで


つまずいたり ころんだり したおかげで  
物事を深く考えるようになりました

あやまちや失敗をくり返したおかげで
少しずつだが
人のやることを 暖かい眼で
見られるようになりました

何回も追いつめられたたおかげで
人間としての 自分の弱さと だらしなさを
いやというほど知りました

だまされたり 裏切られたり したおかげで
馬鹿正直で親切な人間の暖かさも知りました
そして・・・
身近な人の死に逢うたびに
人のいのちのはかなさと
いま ここに
生きていることの尊さを
骨身にしみて味わいました

人のいのちの尊さを
骨身にしみて 味わったおかげで
人のいのちを ほんとうに大切にする
ほんものの人間に裸で逢うことができました

一人の ほんものの人間に
めぐり逢えたおかげで
それが 縁となり 
次々に 沢山のよい人たちに
めぐり逢えることができました

だから わたしの まわりにいる人たちは
みんな よい人ばかりなんです   



◆◆


車中で聴いていた、渡辺和子先生のCDの「幸せを求めて」とリンクして

いるので、これは私へのメッセージと受け止めました。


○○してくれない、という「くれない族」でなく

△△のせいで、という周りの「せい人」でなく

何様でもなく、

□□のおかげで、という「おかげ様」

でいこうと思います。

感謝。