永続のページ別館

愛知県岡崎市在住
永続のページ管理人の個人日記

『絶えず新たに出逢う』

2019年02月14日 | 渡辺和子

 

渡辺和子先生の

愛と励ましの言葉366日

より 久々の引用です。

 

お客様と渡辺先生の話題になり、思い立った次第です。

 

『 最初の出逢い以上にたいせつなものは、

同じその人と絶えず新たに出逢うということではないだろうか。

馴れてしまわないということ。

それは一期一会の心構え、緊張感と言ってもよい。』

 

『絶えず新たに出逢う』

常に変化、常に成長。

常に、『よりよい』存在であることを目指したいものです。

◆◆

今日お会いしたお客様は、経営者としての自覚に目覚めつつある

というか、

ネッツトヨタ南国の横田さんの表現でいう

『10年でガラッと変わる』

という言葉を使わせていただきました。

 

本人の自覚はないかもしれませんが、

日々の研鑽、試行錯誤の日々を経て

毎日少しずつ変わり

振り返ってみると

『3年でガラッと変わった』

と称賛させていただきました。

経営計画書(指針書)を軸に置いた会話でそう感じさせていただきました。

ワクワクする未来像。

いままで全く考えなかった、考えられなかった未来像。

そこに想いが至るようになったようで、表情も違います。

『新しい、別人にでも出会ったような思いでした。』

ついにワクワクがキーワードとして登場しました。

自分、自社、社員の明るい未来を考える未来志向。

こんな方とのおつきあいできる機会を増やしていきないなぁと思います。

◆◆

 

相手にとって、自分の存在は環境の一部です。

よりよい環境。

より価値のある存在になり鱒。

先生でなく、ともによりよい未来を目指すパートナー。

 

『在り方』

自分の目指す、成長軸を確認させて頂く機会をいただきました。

感謝です。

 

 

 


穏やかに過ごせる一日に

2013年02月26日 | 渡辺和子
人間の弱さの中には、自分が罪を犯す弱さがあると同時に、

他人の弱さを裁こうとする弱さもあります。

そして私たちは、そういう弱さを持っている自分に、

折々でいいから気づくことがたいせつなのです。

◆◆

渡辺和子先生の今日の言葉です。

2月26日。

2・26事件

教育総監だった先生のお父様が殺害され、日本の歴史が動いた日です。


「ニーニーロクジケン」

という響きを耳にするたびに、

目の前で、銃弾を何発も打ち込まれた瞬間を思い出してしまうに違いありません。


先生が穏やかに過ごせる一日になればいいなぁと思います。


◆◆

ついに100万部を突破したそうです。

素晴らしいです。

歴代の本のエッセンスをまとめたような、

シンプルで読みやすい内容が心に響くのでしょう。

置かれた場所で咲きなさい
クリエーター情報なし
幻冬舎

明日は我が身

2012年12月07日 | 渡辺和子
私たちの毎日毎日は、後戻りすることができない。

だから、二度と同じ人生を送ることはない、

やり直しのきかない人生だという感覚で生きることが大切なのです。


◆◆

久々に本日の渡辺先生の言葉です。

毎日毎日訃報が報道されています。

トンネル事故。

勘三郎さん。

その他、明日死ぬとは思っていなかった人たち。

明日も生きたいと願っていた人たち。


ここに入るのは、

人ごとではなく、

当事者として、

自分事として、

毎日を丁寧に生きていかないといけませんね。


明日は我が身。

ニーバーの祈り

2012年10月12日 | 渡辺和子
◆◆ 渡辺和子先生の本日の言葉

世の中には変えられないものがあります。

変えられるものもあります。

変えられないものは、受け容れる心の静けさserenityがたいせつです。

変えられるものは変える勇気courageが大事で、

その両者を見分ける、英知discernが必要です。

◆◆

英語がさっぱりわからないので、何ともいえませんが、

discernは先生があえて、こちらを使用しています。

wisdomとは、どう違うのでしょうね。


◆◆ ラインホールドニーバーの祈り

Wikiより

英語(英語原文)

O GOD, GIVE US
SERENITY TO ACCEPT WHAT CANNOT BE CHANGED,
COURAGE TO CHANGE WHAT SHOULD BE CHANGED,
AND WISDOM TO DISTINGUISH THE ONE FROM
THE OTHER


日本語訳(翻訳者:大木英夫)


神よ 変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

◆◆ いずれにせよ

変えられないことを変えようと嘆くのではなく、

変えられるものを選んで、変えようと行動する

ことが大切なんだろうと思います。

難しいのは、

変えにくいだけで、変えられないわけではないものを

どうするか?

だから、変えられると見分ける英知と、

変えようと覚悟して挑み続ける勇気が

必要なのでしょう。


冷静さ、勇気、英知。

困ったなぁ...

一つもない(汗)


星の王子様の日

2012年06月29日 | 渡辺和子
目に見えないもの、苦しみとか喜びとか愛とかを捧げると、その代わりに、目に見えないものがどこかで誰かの役に立っているという、その世界を持っている時に人は豊かになります。ものの世界だけで生きている時は、人間の生活は物質的に豊かかもしれませんけれど、それでおしまいです。

渡辺先生の、本日の愛と励ましの言葉は上記のものです。


前も書きましたが、本日は星の王子様の日(サンテグジュペリの誕生日)だそうで、より、「目に見えない」ものを大切にすることを考えたい日です。

物質的なものでなく、精神的な豊かさを考えるものとして、本日の言葉は大好きです。

物って、使うとなくなるし、取り合うと一方は取られることになります。

心って、使うと「より豊かに」になりますよね。

減らないし、相手のものを奪うものでもありません。

「目に見えないもの」を大切にしていこうと、改めて思いました。
(もちろん、物も大切にしますよ)

花と草と自分と

2012年06月26日 | 渡辺和子
「置かれたところで咲きなさい。咲くということは、しかたないと​あきらめることではありません。それは自分が笑顔で
幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなた​をここにお植えになったのは間違いではなかったと、証明すること​なのです」


渡辺和子先生の言葉を、あるメルマガで目にした友人が、

Facebookで取り上げていました。

◆◆

これの、英詩の原文は、

Bloom where God has planted you.

神が植えたとこで咲きなさい

となっているのを「置かれた場所で咲きなさい」

と渡辺先生が言い換えたものです。

クリスチャンでない日本人に特に受入れ易い表現になっていますね。

私も好きな言葉です。


◆◆ 花は自分しか植えられない

これに似た詩に、工藤直子さんの「花」というものがあります。

「 わたしは わたしの人生から出ていくことはできない

ならば ここに 花を植えよう 」


◆◆ さらに深いのが(何度も書いていますが)

高見順さんの「われは草なり」

**

我は草なり   伸びんとす
伸びられるとき 伸びんとす
伸びられぬ日は 伸びぬなり
伸びられる日は 伸びるなり

我は草なり   緑なり
全身すべて   緑なり
毎年かわらず  緑なり
緑のおのれに  あきぬなり

我は草なり   緑なり
緑の深きを   願うなり

ああ生きる日の 美しき
ああ生きる日の 楽しさよ

我は草なり   生きんとす
草の命を    生きんとす

**

花でなくとも、自分の緑を深めよう、

自分を否定せず、自分らしくいようと教えてくれる詩です。



◆◆ 悩んでいる友人に、渡辺先生の別の言葉を。

今あなたが抱えているたくさんの悩み。

それらを一度整理してみてください。

変えられない現実はどうしようもない。

無理に変えようとすれば、心は疲れ果ててしまう。

ならば、その悩みに対する心の持ちようを変えてみること。

そうすることでたとえ悩みは消えなくとも、

きっと生きる勇気が芽生えるはずですから。

◆◆

友人の胸に刺さったという言葉を目にして、

色々考えていたら、

気づくと、色々な言葉が、私の胸に刺さっていました。

刺さるというか、心に降り注ぐと言った方がいいですかね。

「人を和ませる」「人を救う」

言葉には力があります。

上手に使いたいと思います。


置かれた場所で咲きなさい
クリエーター情報なし
幻冬舎

置かれた場所で咲きなさい

2012年06月06日 | 渡辺和子
尊敬する渡辺和子先生の著書「置かれた場所で咲きなさい」

先生の教えを象徴するような題名です。

以前紹介しましたが、そのときで4万部。本屋さんに行ったら、16万だか18万まで部数が伸びていることを知りました。

先日、高島屋の三省堂に行った際に10や20でなく、100冊以上ワゴンに載っていたので、なんだこれは?と思ったのですが、テレビでも紹介されて、バカ売れのようだと初めて知りました。

テレビ的にも2.26事件のこととか、人となりで注目も浴びやすいのでしょうね。

シスター渡辺和子を好きな人もたくさんいますが、私は人格論の先生としての渡辺和子先生が好きな部類ではないかと思います。

どう違うかは明確に説明できませんが、お父様を非業の死でなくされ、お母様には存在を否定され、30代にして要職に就き、50代でウツを経験し....

自身の居場所を求め、常に自身と戦ってきた先生の象徴的な言葉
「置かれた場所で咲きなさい」
をスタートに40程の言葉と解説が載せられています。

お勧めの一冊です。

◆◆


ちょっと心配しているのは、「変に」有名になってしまうことです。

身辺が妙に騒がしいでしょうね。

私自身、たかが4~5年ファンをしているだけの人間ですから偉そうなことは言えませんが、講演の引き合いとか、色々でてくるでしょうね。教育関連しかほとんど受けてないと思いますが、U松努氏を苦しめているのも教育関連。

相手の命の時間を削るという行為に対して、敬意を払った心ある関係であってほしいと僭越ながら願う次第です。

※私自身、先生に会って話をしたいという願望が果たせていませんので、単に倍率が上がるというヒガミなのかも知れません。(汗)






置かれた場所で咲きなさい
クリエーター情報なし
幻冬舎

人格としての個

2012年05月05日 | 渡辺和子
知識とともに、むしろ知識よりももっと大切に子どもたちの中に育てていかなければならないのは、「僕は物じゃない」「私は物でない」「数でない」「私は一個の名前を持ったかけがえのない人間だ」という人格としての意識だと思います。

◆◆

久しぶりに。

渡辺和子先生の今日の言葉です。

生物学的な人という獣を

社会的な人間にする「人格」

子どもにもある「人格」「人間としての尊厳」

子どもの日は子どもを甘やかせる日ではなく、

子どもを大切に一人格として認識する日。

そんなことを思いました。

といいつつ、ラグーナ蒲郡まで片道一時間弱の距離、

子どもを送迎する甘い父ちゃんも楽しんでいます。

「微笑み」

2011年08月31日 | 渡辺和子
本の営業に訪れた方に笑顔でお断りをしたのはいいのですが、

不機嫌な帰り方をされてびっくりしました。

微笑みが足りなかったのかなぁ。



◆◆ 「微笑み」

ほほえみは、お金を払う必要のない安いものだが、

相手にとっては非常な価値を持つ。

ほほえまれた者を豊かにしながら、ほほえんだ人は何も失わない。

瞬間的に消えるが、記憶には永久にとどまる。

お金があっても、ほほえみなしには貧しく、

貧しくても、ほほえみのある家は豊かだ。

ほほえみは、家庭に平和を生み出し、社会を明るく善意に満ちたものにし、

二人の間に友情をはぐくむ。

疲れた者には休息を与え、失望する者には光となり、

いろいろな心配に思い病んでいる人には解毒剤の役割を果たす。

しかも買うことができないもの

頼んで得られないもの

借りられもしない代わりに盗まれないもの

もし、あなたが誰かに期待したほほえみが得られないなら、

不愉快になる代わりに、あなたの方からほほえみかけてごらんなさい。

実際、ほほえみを忘れた人ほど、

それを必要としている人はいないのだから。