人が人の可能性を奪ってしまったことに対し、人の可能性を奪うという刑を執行していいか?悩ましい話です。
西水美恵子さんが寄稿しておられる、毎日新聞日曜版コラム『時代の風』の紙面版(6月10日付「人道外れる死刑制度 - 人の痛み、我が身重ねよ」)は、こちらからご覧になれます。
http://www.sophiabank.co.jp/archives/nishimizu/jidainokaze_20120610.pdf
当然のごとく賛否両論あるようで、下記のページにて紹介しておられますが、読むのもつらいような汚い文章での意見も含めて、正面から意見を受け止めておられます。
http://www.facebook.com/#!/SimplyMieko.Official/posts/406736769377422
ご本人はウイリアムテルの息子のごとく面の皮が厚くなったと表現しておられますが、向かい来る矢に対し、背筋を伸ばして、正面から正対しないと的は、的でいられません。そうなると射手の力量(言葉の場合真意)をはかれないので、勇気がいることだと思っています。
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私は死刑廃止論者ではないと、以前書いたことがあります。
理由は
「それが嫌なら、悪いことをしなければいい」
ということです。
ただ、
「冤罪」や
「死刑になりたくて人を殺した」というわけのわからない人の登場により
心が揺らぎます。
だから、少し姿勢を変えるとするなら
「極刑賛成論者」
ということにしておきましょうか...(汗)
だから、無期懲役という刑期が未定で、
模範囚なら出てこられる制度は今でも反対です。
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いわゆる、地獄のように、焼かれたり、切られたり...
でも、死ねない。
簡単には終わらせず、ずっと、罪をつぐない続けてもらう。
こんな感じの終身刑はどうですかね。
「死刑より辛い生きる刑」
冤罪なのに執行してしまった取り返しのつかない状態は免れます。
死んで、この世から逃げたいという場合も、終身刑の場合は、抑止効果
があるように思います。
終身刑になりたい...。こんなのが出てきたらお手上げですが。
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死刑を論ずるときには、
「遺族の感情」
「人が人を裁くことの完全性」
「抑止力としての死刑」
などの軸が色々出てきて入り混じるので、話がややこしくなります。
・感情は人により違う
ア.死刑なら溜飲が下がる
イ.死刑でもやりきれない気持ちは消えない
ウ.死刑みたいに簡単に終わらせず、苦しみ続けてもらいたい
エ.やり直して欲しい
・完全性は裁くのが人間である以上、常に完全でいられない。
A.本人肯定、事実もそう
B.本人否定、しかし、事実はそう
C.本人否定、事実も違う
D.本人肯定、しかし、事実は違う
・抑止力はもろ刃の剣
a.死刑が怖いのでふみとどまる
b.どうせ死刑だから一線を越えたら、めちゃくちゃにやる
c.死刑になりたいから人を殺す
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とっさに思いつく分を分類するだけでも、上記のようになりますが、これを全部、踏まえた法制度が整備できるかは疑問です。Cが怖いという話をしているときに、アの話が出てきたりします。
アでAなら、事実上問題ありません。
(こち亀の両さんのように、両さんだけがもっている免疫が人類に必要になるとか、そんな話があれば別です。)
イでCは最悪です。
人として、国家として、どんな制度を選択するか、議論を深めないといけませんね。