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映画「ターナー,光に愛を求めて」:俳優と監督とカメラマンの驚異的なトライアングル

2015年08月22日 22時21分11秒 | 映画(新作レヴュー)
画面の右側に水車が見えるところから,どうやらオランダの田園地帯と思われる川縁の道が,柔らかな黄昏の光に染まっている冒頭のシーンですべては決まってしまったような印象だ。
映画の後半で,イギリス女王が「汚らしい」と吐き捨てるような言葉で切って捨てた,ターナーの目に映る光があやなす世界を,現代のスクリーンに鮮やかに再現した監督のマイク・リーと職人たちの素晴らしい仕事に心から敬意を表したい。

脚本に頼らず,どちらに転がるか予想をつけ難い,緊迫感に満ちた即興の会話を核として作品を作ってきた演劇界出身のマイク・リーの作風からすれば,物語の推進力を画面の構成力と俳優の佇まいに置き換えるというのは,かなりの冒険だったのではないかという気がする。それでも70歳を過ぎて,あえて実在した歴史上の人物を主役に据えた作品を撮るというチャレンジに踏み出したのは,ターナーという画家に対する深い興味と,それを形にし得るティモシー・スポールという役者の存在が大きかったからなのではないか。
そんなリーの期待にスポールは,まるでターナーの生前の知己だったのではないかと思われるような,自信に満ちた造形力で応え,150分の長尺をぐいぐいと引っ張る。まるで怒ったような形相と物言いで相手を讃え,恋心を告白するシーンは,笑えて切なくて,しかも泣ける。

画家の人生を描いた映画につきものの,作品そのものを巡るエピソードも豊富だ。特に審査会のシークエンスで,出品した作品に手を入れ続ける画家と対立する場面で,完成したと思しき自分の海の絵の真ん中に,何の脈絡もなく赤い絵の具で落書きをするエピソードは心躍る。その一方で,そんな茶目っ気のある天才であること自体が,そうではない人間(それは時に凡庸な画家であったり,彼を支える家政婦であったりするのだが)を心ならずも傷つけざるを得ないという性を内包することも,残酷に示される。

審査会の会場の目も眩むような美術に冒頭のシーンも含めて何度か出てくるトワイライトを捉えたディック・ポープの見事なカメラ・ワーク。ターナーの伝記映画というだけで,相当に上がったであろうハードルを,難なくクリアして見せたイギリス映画界の底の深さを見せつけられた思いだ。
デレク・ジャーマンが撮った自由奔放な「カラヴァッジオ」とは対極にあるクラシカルな伝記映画だが,画家へのリスペクトの純度という点で同作を想起させもする,リーの新しい代表作の誕生だ。
★★★★☆
(★★★★★が最高)


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