スウェーデンの新鋭トーマス・アルフレッドソンがヴァンパイア映画に新たな角度から光を当てて創り上げた「ぼくのエリ 200歳の少女」(以下,オリジナル作と略)は,私にとっての昨年度のベスト・ムーヴィーだった。宿命と初恋と決断を,血も凍るような冷気に包んで,同時にある種の品位を携えながら撮り上げたアルフレッドソンの映像センスと態度は,ホラー映画の枠を縦横に拡げるものと言えた。
そんな傑作を,J.J.エイ . . . 本文を読む
東大数物連携宇宙研究機構長の村山斉さんが書いた「宇宙は何でできているのか」は,素粒子の研究が宇宙の成り立ちの探求に繋がることを分かり易く(多分,大多数の方にとっては)説いて,大きな反響を呼び,昨年の新書大賞を受賞した。ただしもともと足りなかった「数物」的思考力が近年益々減退しつつある私の読解力では,素粒子の「クオーク」という名称が,ジェームズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」に出てくる鳥の鳴き . . . 本文を読む
題名には「経済学」という文字が入っているが,題名に偽りなしのエピソードはプロローグの部分のみで,後は「ヤバい統計学」というタイトルの方がしっくり来る内容だ。だが,そんなことには関係なく,4つの主要テーマとそれを彩るいくつかのエピソードは,リズミカルな演出と編集によって,下手なドラマよりも笑えて考えて楽しめる「エンターテインメント・ドキュメンタリー」になっている。「娯楽作品製造工場」ハリウッドに対す . . . 本文を読む
先日職場の宴会の時に,周りにいた20代から30代の職員数人に「向田邦子のドラマが始まりましたねぇ」と水を向けてみたのだが,反応を示したのはたった一人。話してみると,無反応だった方々は全員「向田邦子」が何者なのかを知らなかった,という事実が判明し,私の話をあえてスルーした訳ではなかったということで私は安堵のため息をついたのだった(本当のところはどうか分からないけれど)。
そんな現代で,30余年の歳月 . . . 本文を読む
前回の対戦で完璧にやられた千葉に対して,逆にお釣りが来るほどのゴールラッシュでリベンジに成功した札幌。
何処が変わったのかと問われれば,ジオゴがワントップに入って,献身的にボールを追いかけたこと。更に言えば,前半早々にトリッキーなCKから先取点を奪えたことによって,選手のボールに食らいつく意識がこれまでにない程高まり,ボールは廻されても最後まで楽にフィニッシュはさせなかったこと。この二つに尽きるの . . . 本文を読む
チラシには「21世紀のスクリューボールコメディ誕生!」という宣伝文句が「!」付きで踊っていた。今ではとんと聞かれなくなった「スクリューボールコメディ」というジャンルを,「かつてフランク・キャプラやハワード・ホークスが得意とした,男女が喧嘩をしながら,徐々に惹かれあっていく過程を描いたもの」と定義付けるとしたら,ヒロインが5人のボーイフレンドと性的関係にあることを前提として話が始まる「婚前特急」を, . . . 本文を読む
今季は学校ものが少ないと思ったら,ヴェテランの井上由美子が繰り出してきた一風変わった「教室」ならぬ「教場」ものが,佐藤浩市主演のテレビ朝日「陽はまた昇る」だ。
警視庁捜査一課から,警察学校に赴任してきたワケありの教官(佐藤)が,若くて,世間知らずで,甘え切った(ように見える)若者たち(三浦春馬,池松壮亮など)を鍛え上げるというシンプルな筋立て。それだけに,ドラマが盛り上がるかどうかは,主役の教官は . . . 本文を読む
韓国代表にもし,まだパク・チソンがいたらどうなっていただろうか?と考えてしまった。
韓国は立ち上がり,本来なら長友が務めるべき日本の左サイド,および内田がキレを欠く状態なのが明らかな右サイド,つまり守りの要諦がどちらも穴になっていることを早々に見抜き,そこを何度も突いて,決定的チャンスを20分までに3度は作り出した。
だが,いずれもフィニッシュで落ち着きを欠いてしまい,得点することが出来ないうちに . . . 本文を読む
刑務所に入れられて12年間消息を絶ったままの父親を捜して旅する,イラク・クルド族の少年とその祖母の旅の物語。
人の情と涙と世の中の不条理,そして母の愛が,砂埃に覆われたモノトーンの画面で,静かな声で語られる。
唯一,祖母の話から世の中の理を学び,父に対する思いを募らせるヤッセル・タリーブ少年の澄んだ瞳だけが,言葉を超えたものを雄弁に訴え続ける90分間だ。
収容されていたはずの刑務所で所在を確認で . . . 本文を読む
映画の後半,羊飼いの老人が亡くなった直後,山羊の出産を捉えたショットが被さる。その生まれ落ちたばかりで,まだ立つこともままならない子ヤギの鳴き声がフレーム外から聞こえる中,山羊の顔が次々にクロースアップで映し出される。あごに髭を蓄え,虚空を睨むその顔は,何処から見ても哲学者そのものだ。
山羊を追う犬以外,プロの俳優は誰ひとり(一匹)出演していない「劇映画」にも拘わらず,彼らの顔の造作と表情で語る「 . . . 本文を読む