太平洋戦争の敗戦から70年という節目の年を迎えた日本。安全保障関連法案を巡る審議が続くこの夏,「あの戦争」を描いた日本映画が何本も公開された。
最も楽しみにしていた塚本晋也の「野火」はあっという間に公開終了,荒井靖彦の「この国の空」は「身も心も」を撮った監督と,同一人物とは思われないくらい抑制の効いた(効き過ぎた?)らしい「禁断の関係」描写に関する新聞の論争を読んで観る気をなくした結果,消去法で残ったのがこの作品だった。
岡本喜八監督のモノクロ・スタンダード作品を,カラーのワイド画面でリメイクする。これまでも連合赤軍事件や日航機墜落など,実際に起こった事件や事故を取り上げて,どれもスピーディーかつウェルメイドな作品に仕立ててきた原田眞人監督らしい,「エグゼクティブ・ディシジョン」ならぬ「ディレクターズ・ディシジョン」だと言える企画だ。
更に俳優として出演した「ラスト・サムライ」で,エドワード・ズウィックが人間くさい明治天皇を堂々と画面に晒したことにインスパイアされたのか,岡本作品では声のみの登場だった昭和天皇を本木雅弘に演じさせ,物語を支える重要人物のひとりとして遇するというのも,原田監督ならではのひらめきに他ならなかったと言える。
作品のクオリティの面でも,興行面での安定性においても,評価の高い「原田ブランド」の下に集結した役者の顔ぶれも豪華。阿南陸軍大臣に扮した役所広司を筆頭に,鈴木首相役の山崎努,内閣書記官長の堤真一,先に挙げた本木雅弘と,まるでトップ下を置かないサッカーチームのようにどこからでも攻め込める陣容は,実際に数多くの判断とそれに対する策謀と思いが交叉した日を描くのに相応しいものになっていた。
こうしたフレームのもとに出来上がった作品は,やはり原田眞人一流の社会派エンターテインメント性全開の,スマートなアクション映画だった。
特に感じたのは,これまでも原田作品の特徴となってきた,複数のシークエンスを短いカットを繋ぎ合わせて描き出すカットバックの多用による独特のリズム感だ。撃ち合いのない戦争映画,という条件下でも観客を退屈させないために多用された伝家の宝刀は,特に導入部の人物や設定の紹介部において効果を発揮していた。
ただ問題は,阿南大臣の自決後に用意されたクライマックスに到るまで,そのカットバックが前半とまったく同じ調子で使われたこと。戦場で一足先に命を落とした息子の消息を,亡骸となった夫に妻が報告するシークエンスまでもが,細かなカット割りによって分割されるに到っては,観客が感情を移入する場所を奪うに等しい行為と感じられて,完全に引いた。
降伏を阻止せんと,ひたすら早口で絶叫し続けた畑中少佐役の松坂桃李の空回りと併せて,画竜点睛を欠いた仕上げが,作品の土台をぶち壊したという印象だ。
おかげでシルバーウィークの課題が,岡本作品とルネ・クレマンの「パリは燃えているか」を再見することに決定したのは余録ではあるけれど。
★★☆
(★★★★★が最高)
最も楽しみにしていた塚本晋也の「野火」はあっという間に公開終了,荒井靖彦の「この国の空」は「身も心も」を撮った監督と,同一人物とは思われないくらい抑制の効いた(効き過ぎた?)らしい「禁断の関係」描写に関する新聞の論争を読んで観る気をなくした結果,消去法で残ったのがこの作品だった。
岡本喜八監督のモノクロ・スタンダード作品を,カラーのワイド画面でリメイクする。これまでも連合赤軍事件や日航機墜落など,実際に起こった事件や事故を取り上げて,どれもスピーディーかつウェルメイドな作品に仕立ててきた原田眞人監督らしい,「エグゼクティブ・ディシジョン」ならぬ「ディレクターズ・ディシジョン」だと言える企画だ。
更に俳優として出演した「ラスト・サムライ」で,エドワード・ズウィックが人間くさい明治天皇を堂々と画面に晒したことにインスパイアされたのか,岡本作品では声のみの登場だった昭和天皇を本木雅弘に演じさせ,物語を支える重要人物のひとりとして遇するというのも,原田監督ならではのひらめきに他ならなかったと言える。
作品のクオリティの面でも,興行面での安定性においても,評価の高い「原田ブランド」の下に集結した役者の顔ぶれも豪華。阿南陸軍大臣に扮した役所広司を筆頭に,鈴木首相役の山崎努,内閣書記官長の堤真一,先に挙げた本木雅弘と,まるでトップ下を置かないサッカーチームのようにどこからでも攻め込める陣容は,実際に数多くの判断とそれに対する策謀と思いが交叉した日を描くのに相応しいものになっていた。
こうしたフレームのもとに出来上がった作品は,やはり原田眞人一流の社会派エンターテインメント性全開の,スマートなアクション映画だった。
特に感じたのは,これまでも原田作品の特徴となってきた,複数のシークエンスを短いカットを繋ぎ合わせて描き出すカットバックの多用による独特のリズム感だ。撃ち合いのない戦争映画,という条件下でも観客を退屈させないために多用された伝家の宝刀は,特に導入部の人物や設定の紹介部において効果を発揮していた。
ただ問題は,阿南大臣の自決後に用意されたクライマックスに到るまで,そのカットバックが前半とまったく同じ調子で使われたこと。戦場で一足先に命を落とした息子の消息を,亡骸となった夫に妻が報告するシークエンスまでもが,細かなカット割りによって分割されるに到っては,観客が感情を移入する場所を奪うに等しい行為と感じられて,完全に引いた。
降伏を阻止せんと,ひたすら早口で絶叫し続けた畑中少佐役の松坂桃李の空回りと併せて,画竜点睛を欠いた仕上げが,作品の土台をぶち壊したという印象だ。
おかげでシルバーウィークの課題が,岡本作品とルネ・クレマンの「パリは燃えているか」を再見することに決定したのは余録ではあるけれど。
★★☆
(★★★★★が最高)